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高校野球備忘録 1980年夏

2011-02-19 00:52:13 | 高校野球備忘録
想い出の高校野球、夏以来久々の投稿となるが今回は1980年夏の大会。
1980センバツまでは下記から下にスクロールしてご参照くださいませ♪
http://blog.goo.ne.jp/tsuchy67/c/99a012d36462afff9df22c1558d09046


第62回全国高等学校野球選手権大会

春夏連覇を狙う高知商、左腕愛甲(ロッテ等)を擁し優勝候補の呼び声も高い横浜らが優勝候補。
センバツは出場ならなかったが昨年春夏制覇し夏2連覇を狙う箕島、好投手を擁す古豪松商学園・東北、春4強の古豪広陵、さらには春準Vの帝京を下して勝ち上がった早実などが顔を揃えた。

注目を集めたのは西東京の公立進学校国立。
初戦で箕島に敗退したが、市川投手の頭脳的投球で中盤まで0-0と健闘をみせた。
余談ではあるが、市川・川端のバッテリーは共に東大・一橋に進学し、市川は東京六大学でも活躍した。

さて、今大会に彗星のごとく注目選手が現れる。
エース芳賀に替わり、1年生ながら予選終盤から早実のマウンドを守ってきた荒木大輔投手(ヤクルト等)である。
端正な顔立ちの荒木は、1年生とは思えない堂々としたマウンドさばきで1回戦で強打の北陽を完封すると、準決勝まで1点も取られない大活躍で女性ファンのみならず高校野球ファンを唸らせ、空前の大ちゃんフィーバーが巻き起こした。
余談だが、この年生まれた松坂大輔投手(西武・ボストン)も荒木投手の名前からとったといわれる。

エースの故障も印象的だった。
前年大分商8強の立役者、エース左腕松本が故障で山なりのスローボールしか投げれなかった。
その大分商を下した浜松商エース浜崎も準々決勝で故障に関わらず先発し、瀬田工に大敗を喫した。
確か熊谷商のエースも大会前に疲労骨折で、こちらは出場できなかったと記憶している。

春夏連覇を目指す高知商は2回戦で前年春夏優勝校の箕島との対決となった。
箕島は1回戦中盤まで国立市川に苦戦したものの、5-0と初戦を突破し勢いを得ていた。
一方春の覇者高知商は1回戦で松商の好投手川村(西武)の投球に苦しみながら2-0と突破したものの、打線が不調だった様に思えた。
箕島軟投派左腕宮本の丁寧な投球を前に沈黙、序盤に好投手中西(阪神)から1点ずつ点を重ねた箕島が9回に突き放し、5-0と下馬評を覆し春の覇者を破った。
箕島は前年に比べれば小粒のチームだったが攻守にバランスよく、名将尾藤監督の采配もあり試合を重ねるごとに強くなっていった感がある。

2連覇を狙う箕島は準々決勝で横浜に競り負け連覇の夢は絶たれた。
左腕好投手石本(近鉄)を下した春4強の広陵に競り勝った天理が4強入りと活躍。

優勝候補横浜は3回戦でこそ鳴門島田投手の好投に苦しんだが、順当に勝ち進み前述の箕島に辛勝、準決勝で天理小山(近鉄)を終盤攻略し決勝に進出した。

前年比叡山が滋賀県勢夏の初勝利を挙げたが、今大会は瀬田工が4強と大活躍した。

決勝はその瀬田工に準決勝で大勝した、荒木の早実と優勝候補横浜の対戦となった。
試合は初回から動く。
1回表早実は愛甲の立ち上がりを攻めスクイズで1点を先取した。
1回裏早実のマウンドには今大会無失点の荒木。
しかし横浜の打線が荒木を捕らえた。
連打で1.3塁とした後、4番片平の適時打が出て同点、遂に荒木の無失点記録は途絶えた。
荒木は2死をとるものの痛恨のボークで逆転を許してしまう。
動揺した早実内野陣が2回3回にタイムリーエラーを出し3回までに5-1と横浜がリードし荒木をマウンドから引きずりおろした。

しかし早実も粘る。
4回に2点を返し2点差とした後、5回にも愛甲を攻めついに1点差とした。
ここで横浜渡辺監督は愛甲をあきらめ、6回から控えの川戸をマウンドに送る。
早実のペースかと思われたが、川戸は気迫の投球で早実打線を抑える。
横浜は、その裏1点を追加し6-4と早実を突き放した。
川戸はその後も粘り強い投球で早実の追加点を防ぎ最終回。
早実も粘り1死から連打で川戸を攻めるが、後続を絶たれゲームセット。
横浜は夏初優勝を成し遂げた。
優勝の瞬間マウンドで両手を突き上げ喜びを爆発させる川戸投手は愛甲の陰に隠れ続けたが、決勝でのリリーフは気迫溢れる見事な投球だった。


横浜優勝の瞬間は0分43秒付近からです。

高校野球備忘録 1980年センバツ

2010-08-05 23:30:09 | 高校野球備忘録
第52回選抜高等学校野球大会
入場行進曲 『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』(西城秀樹)


春は中西(阪神)擁する高知商、原(広島)の広陵、中島(日ハム)の柳川、左腕・中条(読売)の東北、関東大会優勝の東京農大二、秦(ヤクルト)のいる強打の鳴門、左腕園川(ロッテ)ら投手陣充実の九州学院、石本(近鉄)の滝川といった学校が選抜された。

8強は広陵・諫早・高知商・尼崎北・帝京・秋田商・丸亀商・東北。
高知商・東北らのほか、帝京の伊東(ヤクルト)広陵の下手投げ渡辺・秋田商高山(西武)・尼崎北の下手投げ田中らの投手が活躍、8強進出の原動力となった。

決勝は高知商-帝京。
帝京は2度目の出場で早くも初優勝を目指す。
高知商は右の好投手中西を擁し下馬評通り勝ち進んできた。
(中西は水島新司の漫画「球道くん」の主人公「中西球道」にちなんで「球道くん」とのニックネームで知られた。)
試合は中西が伸びのある直球と大きなカーブで帝京打線を押さえると、伊東も巧みなコーナーワークで高知商を押さえ、両チーム0行進の息詰まる投手戦となった。

試合は0-0のまま延長に入る。
延長10回裏、高知商は一死三塁とこの試合最大絶好のチャンス。
高知商は強攻策に出るが、浅いレフトフライ。
タッチアップはムリかと思われたが、帝京の左翼黒木は腕を故障しており、それをついて三塁ランナーは思い切ってタッチアップ。
やはり黒木は満足な送球が出来ず、三走生還し高知商がサヨナラで優勝を決めた。

ちなみに私は大会2日目に友人と甲子園観戦したはずであるが、いまひとつ記憶がはっきりしない。。。
観戦した日は覚えているつもりだったのだが・・・
30年という月日を改めて感じている。


1980年選抜高校野球 高知商 中西投手

高校野球備忘録 1979年夏 その2 

2010-08-05 06:32:07 | 高校野球備忘録
第61回全国高等学校野球選手権大会

延長18回の死闘の余韻が冷めぬ甲子園も浪商が広島商を一蹴し8強入り、池田・横浜商も下馬評通り8強入りを果たし、滋賀県勢として甲子園初勝利を挙げた比叡山もその勢いのまま8強に進出した。
他には2年生左腕松本投手を盛り上げて勝ち進んできた岡崎(読売)らの大分商、1回戦で銚子(大洋)の市銚子3回戦で井上(南海等)の都城を破った高知、東東京の城西が8強に名を連ねた。

準々決勝は箕島・池田・ 浪商・横浜商が勝利。

準決勝は第一試合で箕島が横浜商に勝利し、春夏連覇に王手をかける。
第二試合は浪商-池田。
ここまで浪商のエース牛島(中日等)は4試合で自責点2と抜群の安定感。
初戦先頭打者に四球を出して以来無四球と制球力も誇った。
打線も香川(南海)が大会2本の本塁打を放つなど、チーム4本塁打と好調で、誰もが春の決勝の再現を予想した。

試合は投手戦で6回まで両チーム無得点、七回表に池田が相手の守備の乱れもあり1点を先制、9回にも1点を追加し、2-0で最終回浪商の攻撃を迎える。
9回浪商が反撃、4番香川が四球を選んで歩き5番山本のヒットで無死1・2塁、ここで迎える打者は上尾戦土壇場で本塁打を放った牛島。
9回2点差を追いついた上尾戦の再現かと思われたが、期待の牛島は内野ゴロで併殺に倒れ、続く川端も凡退、浪商は惜しまれつつ甲子園を去った。

決勝は箕島対池田。
箕島の春夏連覇の他にも、尾藤監督対蔦監督という名将対決と注目が集まった。

時折小雨が降る中、試合が始まる。
初回池田は石井(西武)の立ち上がりを攻め、安打の山下を一塁に置き3番川原が左中間をライナーで破り1点を先制する。
その裏箕島も橋川の立ち上がりをとらえる。
先頭嶋田(阪神)の三遊間を破る安打、二死後2つの盗塁で三塁に進み、4番北野の右前適時打で1-1の同点とする。
四球など1・2塁とした後、6番森下のライト前ヒットでニ走北野が本塁をつく。
ライトからの返球は高かったが、捕手岡田が駆け抜けた北野に懸命のタッチ、きわどいタイミングとなったが判定はアウト、1回の攻防は両者1点ずつであった。

4回表、池田は永井の本塁打で2-1と勝ち越し。
池田は5回にも安打の田所を橋川が送って、一死二塁から山本が中前へ適時打を放ち3-1とリードを広げる。

2点を追う箕島は6回、先頭の北野が四球を選び、続く上野との間でヒットエンドランが決まり一死1・3塁。
続く森川の3球目、橋川の牽制球に北野が飛び出すも、そのまま思い切ってホームへ。
今度は上手く岡田のタッチをかわして本塁を駆け抜け1点差とする。

7回裏も箕島がチャンス、2本の内野安打で無死1・2塁として、バッターは嶋田。
嶋田は甲子園に出た試合14試合全部でヒットを打っている好打者で、箕島は強行に出る。
嶋田の当たりは投手へのライナー、橋川はじくも落ち着いて3塁に送ってアウト。
続く宮本は内野ゴロで二死1・3塁、さらに盗塁で2・3塁のチャンスを作るが、上野山倒れ無得点に終わった。

終盤になり押し気味に試合を進めだした箕島は8回にもチャンスを作る。
先頭北野が二塁への内野安打、上野は手堅く送って1死2塁となる。
続く森川はショート正面へのゴロ、ニ走北野が3塁へ走りショートが3塁へ送球、明らかな暴走でタイミングはアウトだったが、この送球がそれてボールがファールグランドで転がる間に北野は本塁をつく。
これも微妙なタイミングであったが三塁手からの返球も大きくそれて、箕島は同点に追いつき、なおも1死3塁となる。
続く久保の打球は3塁正面へのゴロ、しかし今度は送球が短く一塁手がはじいて1・3塁、プレッシャーの為かここまで4試合で2失策だった池田の守備が乱れた。

8回裏3-3の同点で、1死1・3塁のチャンス、箕島はここで続く榎本の初球にスクイズをしかけた。
池田バッテリーもこれを読んでピッチドアウト、外角に大きくはずれるボールに榎本がバントの体制で飛びつく、これが見事にピッチャー前に転がり、ついに箕島は4-3と逆転した。
スクイズを読んでウエストした池田バッテリーも見事だったが、飛びつきながらスクイズを決めた榎本も見事だった。

9回この試合初めてリードを許した池田の攻撃、石井は落ち着いて先頭打者を左飛・次打者を投ゴロに打ち取って二死走者なし。
最後の打者田所も三振に倒れゲームセット、ここに箕島高校が公立高校としては初めての春夏連覇を達成した。

箕島高校の連覇への道は春夏共に決して平坦ではなかったが、星陵との延長18回をはじめとしてリードされても落ち着いて流れを呼び込み、時に奇跡を演出する素晴らしい試合運びが光った。
箕島尾藤監督の野球はいわゆる基本に忠実な、それまでの高校野球の集大成ともいえる野球であったと言えるだろう。
一方、決勝で敗れた池田蔦監督はその後、筋肉トレーニングに磨きをかけ、超高校級の打撃陣を鍛え上げ3年後全国制覇する。
この池田の野球は高校野球の戦術を塗り替えたといえ、逆に尾藤箕島は85年以降1度しか甲子園に来られず、尾藤監督は95年に勇退することとなる。
とまれ、尾藤監督の笑顔は「尾藤スマイル」として、笑顔で選手をリラックスさせるその采配法は上甲監督などの名将に引き継がれて行く。

ちなみに私はこの年中学に入学、高校野球好きの友人Kの影響もあり、判官ひいきに磨きを掛けていく最初の大会でもあり、特に印象深い大会でした。



全国高校野球 決勝戦のラストシーン(1979年~84年) 79年決勝は冒頭部

高校野球備忘録 1979年夏 その1 箕島の奇跡

2010-08-05 00:30:29 | 高校野球備忘録
第61回全国高等学校野球選手権大会

春夏制覇を狙う箕島とセンバツ準Vの浪商が優勝候補。
春8強の池田、4年前も夏4強に導いた名将野本監督が率いる仁村(中日)を擁する上尾、大型左腕・宮城の横浜商、前年4強の中京や伝統の広島商が2校に続く。

 1回戦でいきなり浪商-上尾が激突、予想通りの好試合となる。
仁村の好投で2-0で上尾リードの9回、二死で走者一人を置き、牛島(中日等)の起死回生の本塁打で浪商が追いつき延長11回の末、浪商が辛勝を収めた。
 前年延長17回を戦った高松商は今大会も1回戦延長13回の末、惜しくも姿を消した。
 また滋賀県代表・ 比叡山が47都道府県最後の初勝利を記録した。
滋賀県は1県1校制となるまでは京都と代表決定戦を行っていたのも原因の一つであろう。


さて大会9日目に高校野球史上最高の試合があった。
3回戦の箕島-星陵がその試合である。

星陵は左腕堅田投手を中心に北(大洋等)や音(中日)らの打線で、優勝候補箕島に立ち向かった。

試合は4回先行の星陵が堅田の適時打で先制、その裏箕島も森川の適時打で1-1の同点に追いつく。
試合は1-1のまま延長に入った。

延長12回表、本当のドラマはここから始まる。
星陵は音の安打と四球で一死1・2塁のチャンス。
続く石黒の打球は詰まって二塁前へのゴロ、この打球を上野山がトンネルし星陵が2-1と勝ち越した。
(※12回の攻防は動画1:01付近から)
さらに一死1・3塁の好機だが、石井毅(西武)-嶋田宗(阪神)のバッテリーは星陵のスクイズを見破りなんとか1点で凌ぐ。

12回裏箕島”最後の攻撃”、8番浦野が遊ゴロ9番石井が捕ゴロで2死走者なし。
箕島もここまで・・・かと思われたが、続く嶋田が2球目の高めに甘く入ったカーブを叩き左翼ラッキーゾーンに飛び込むソロ本塁打。
土壇場で2-2の同点に追いついた。

14回裏、今度は箕島がサヨナラの好機を掴む。
先頭森川が右前安打で出塁、バントで送って一死二塁のチャンスで堅田の二塁牽制に飛び出した森川が思い切って三塁へ走る、遊撃手からの送球が逸れセーフ。
一死三塁の絶好のチャンスとなった。
カウント2-1だがバントの巧い箕島、星陵絶体絶命のピンチ。
しかし、ここでなんと三塁手若狭が隠し球、三走森川がリードをとった瞬間タッチしてアウト。
若狭の好判断で一瞬にして箕島の好機は潰えた。
ファインプレーの若狭は12回表の攻撃でスクイズを失敗した選手だが、このプレーで借りを返した。

その後も両者譲らぬ息詰まる展開で迎えた16回。
星陵は死球と内野安打などでニ死ながら1・3塁のチャンス、ここで山下が右翼線に適時打、三走還って星陵が再び3-2と勝ち越した。
球数が200球を超えた石井毅は後続を三振に打ち取り、なおも続いた二死1・3塁のピンチは防いだ。
(※16回の攻防は動画3:20付近から)

16回裏箕島またも”最後の攻撃”は、今日ノーヒットの4番北野が二ゴロで1死、5番上野は見逃し三振でついに2死走者なしで打席は6番森川。
森川は初球を打ち上げ、一塁側へのファールフライ。手を広げてボールを追った一塁手加藤が落下地点でファーストミットを構えついに箕島敗退か!と思われた瞬間、
加藤がこの年から設けられた人工芝の切れ目に足を引っ掛け転倒しボールを取れずファール。
箕島は九死に一生を得るが、しかし依然二死無走者の状況は変わらない。
ストライク・ボール・ファールで2-1からの5球目、高めに甘く入った直球を叩いた打球は左中間へ、打球はぐんぐん伸びてそのままスタンドへ。
1度ならず2度までも起死回生の同点本塁打となった。
森川はなんと自身初本塁打、それがこの場面で飛び出すのは最早奇跡としか言いようが無い。

延長17回は両チーム無得点、試合は延長18回に進む。
当時の大会規定では延長は18回まで、引き分けならば翌日再試合となる。

これが本当の最終回、18回表星稜1死後、この日4安打の4番川井が中前安打、続く5番堅田も中前安打で続く。
6番音は三飛に倒れて2死一二塁。
しかし、7番山下が見事にピッチャー返し中前に抜ける痛烈なヒット。大歓声の中を二塁走者の川井は三塁を回りかけるが、当りが良すぎて三塁ストップでニ死満塁。
ここで星稜山下監督が動き、7打数無安打3三振の石黒に代えて代打久木。
だが期待の久木はカウント2-2、石井が渾身の力を振り絞って投じた6球目空振り三振してチェンジ。
星稜は実に19安打、石井毅は257球で18回を投げ切り、この瞬間に箕島の負けはなくなった。

18回表のチャンスを逃し勝ちのなくなった堅田投手は、目に見えて疲労の色が濃くなった。
押さえがきかずボールが上ずりストライクが入らない。
先頭の代打辻内を歩かせてしまう。
続く上野は送りバント失敗で三振、ワンアウト。
しかし、4番北野には明らかにボールと分かる投球でストレートの四球で一死1・2塁。
星陵ベンチは伝令を出し、内野陣が集まり堅田を励ますが、堅田は既に限界だった。
続く五番上野は二球連続ボールで0-2、堅田投手の208球目は高めに甘く入る。
上野が強振した打球は遊撃手を超え、左中間に転がる。
二塁から辻内がヘッドスライディングで生還、ここに高校野球史上最高試合と
呼ばれる試合は激闘3時間50分の末、箕島の延長18回サヨナラで幕を閉じた。
(※6:13付近から箕島最後の攻撃場面)


作詞家の故阿久悠さんは最高試合として次の詩を書いている。
「奇跡と呼ぶのはたやすい
だが奇跡は一度だから奇跡であって 二度起これば奇跡ではない
言葉がない 言葉で示そうとするのがもどかしい
一言でいいつくす言葉の奇跡がぼくにはほしい」

この試合で球審を務めた永野審判は、一塁手加藤の転倒を見て自身が捕手として出場した記憶とだぶらせたという。
第35回の決勝戦土佐高校の四番捕手として試合に出場したが、自らのファールチップ落球が原因で試合は逆転負けとなった。
永野球審は試合後、引き上げる堅田投手に試合のボールをプレゼントした。
ボールをもらった堅田投手は現在、高校野球の審判として甲子園で活躍している。

痛恨の転倒をした一塁手加藤は照明が目に入ったため、腰を屈めて取りにいったとき、グランドの土と人工芝の僅かな段差に足を取られて転倒した。ちなみに打球に触れていないため失策はつかなかった。
加藤は試合後批判を受けその記憶に苦しんだというが、現在は少年野球の指導者として自身の経験を生かしている。

実はこの日、私は父と甲子園で観戦していたが、炎天下第一試合から観戦していた為1-1の終盤に球場を後にしており、帰宅した時に試合が続いていたことに驚いた。
普段は野球を見ない母がTV中継を見ており、力投を続ける両投手に声援を送っていた。
父も私も野球好きで自宅でよくTV観戦をしたが、母が試合にのめりこんで見ていたのはこの試合だけである。
それほど見ているものを惹きつける何かが、この試合には生まれていたのだろうと思う。
私も、試合全てを見ていたわけではないが、この試合が今まで見た中で最高試合だと思っている。


箕島対星稜 (第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦)

高校野球備忘録 1979年センバツ

2010-08-04 01:51:23 | 高校野球備忘録
第51回選抜高等学校野球大会

優勝候補筆頭は2度の選抜優勝経験を持つ尾藤監督率いる箕島、前年春夏の甲子園経験者石井(西武)-嶋田(阪神)のバッテリー、北野、上野山などのメンバーが健在だ。
他には、牛島(中日等)-ドカベン香川(南海)らの浪商、前年夏の準優勝投手・森(阪急)を中心とした高知商、好投手橋川を擁する池田、小早川(広島等)らのいる前年夏優勝校PL学園も注目された。

予想通り有力校は順当に勝ち進み、2回戦で有力校高知商に辛勝した浪商もベスト8に進出した。
準々決勝は雨中の戦いになり特に第4試合は水が浮いているほどのコンディションだったが大会は強行、ベスト4は箕島・PL学園・浪商・東洋大姫路の全て近畿勢となった。

準決勝の第一試合、この頃近畿大会を含め何度も対戦している箕島-PL学園の試合は、PLリードで進むものの9回土壇場で箕島が追いつき、延長10回の末サヨナラで箕島が決勝進出、PLのお株を奪う逆転劇だった。
第二試合は浪商が勝ち、決勝は箕島-浪商の対決となった。

箕島は当時甲子園常連校、一方浪商は正捕手の香川選手の風貌が水島新司の漫画「ドカベン」を彷彿することから人気があり、また実力校同士の戦いという事でも注目が集まった。

試合は早くも初回から動く。
1回表浪商は先頭椎名が右前打で出塁、一死後四球で1・2塁としたあと四番のドカベン香川が中前適時打で1点を先制。
箕島はその裏二死から主将上野山・四番北野の連続安打で1・3塁とした後、5番上野の左前適時打ですかさず同点とする。
3回箕島は、宮本の四球と上野山のプッシュバントが内野安打となった1、2塁から、4番北野が中越えに三塁打を放ち2点追加。
さらに箕島は4回嶋田の適時打で1点追加して序盤は4-1と箕島リードで試合が進む。

一方、浪商は6回二者を置いて6番川端が初球を左中間に二塁打して2者生還。
さらに犠飛で4-4の同点に追いついた。
追いつかれた箕島はその裏、二死二塁から嶋田がこの日2本目の適時打で5-4と再びリードを奪う。
試合はさながらノーガードの打ち合いの様相を呈してきた。

7回表、一死二塁の好機に山本・香川の連続長打で6-5と試合をひっくり返した。
その裏、箕島は一死から北野が同点本塁打。さらに続く上野が三塁打の後、森川が追い込まれながらもプッシュバントのスリーバントスクイズ、これが内野安打となり7-6とリード。
この試合に限らず、今大会の箕島のバント攻撃は見事といかいいようがなかった。
続く8回裏、箕島は二死ながら二塁に宮本を置いて、バッターは1回に単打3回に三塁打7回に本塁打と、この試合3安打の四番北野。
北野は疲れの見える牛島の高めに入ったカーブをとらえ右中間を深々と破る長打、ニ走返って8-6となった。
北野は三塁を狙ったがこれは返球でタッチアウトとなるが、三塁でアウトになったことにより記録は二塁打。
選抜史上初のサイクルヒットが達成された。

しかし浪商もあきらめない。
9回表先頭の山本が四球で出塁、期待の香川はニゴロに倒れるが走者が二塁に進み、続く牛島が左翼線に二塁打して8-7と一点差。
試合は最後までわからなくなったかと思われた。
だが浪商の粘りもここまで、石井が続く井戸を補邪飛、川端をニゴロに打ちとってゲームセット。
追いつ追われつの決勝は箕島の3度目の優勝で幕を閉じた。

故ルーズベルト大統領が「野球で一番面白いスコアは8-7」と言ったそうだが、その通りのエキサイティングなゲームとなった。

箕島はこの大会で一ニ塁間を狙うプッシュバントを数多く決めたが、もともと守備練習でこのバント処理をしていたところ、ことごとく内野安打となる為、尾藤監督が攻撃に使ったらしいのだが、しっかりしたバント技術をもった箕島ならではの戦法であったと言えよう。


1979 箕島vs浪商 優勝の瞬間

高校野球備忘録 1978年夏

2010-08-03 07:54:09 | 高校野球備忘録
どんどん長文になってますが、よければ最後までお付き合いくださいませm(__)m


第60回全国高等学校野球選手権大会

今大会から1県1校制(北海道、東京は2代表)代表の49校で開催される様になり、初戦が東西対決になる。

春の覇者浜松商は県予選で敗退。
有力校は選抜準優勝の強打・福井商、選抜ベスト4の試合巧者・箕島木暮・阿久沢が健在の桐生、春8強のPL学園、2年生左腕森(阪急)の四国王者高知商、地方大会無失点の大久保投手(広島)の仙台育英、、大型打線の中京(現中京大中京)など。
春8強の南陽工や3年連続8強入りを狙う豊見城も出場してきた。

春8強の南陽工は1回戦津田投手が完封して2回戦に進出したが、ソロ本塁打が決勝点となり0-1で甲子園を去った。
津田投手は後にプロ入りして広島の主に抑え投手として活躍し、剛速球を武器に「炎のストッパー」と呼ばれたが、その直球にこだわるスタイルはこの時打たれた本塁打がカーブであった為、特にその事を悔やんだ為だとか。
津田投手は残念ながら脳腫瘍の為、1993年32歳の若さでこの世を去ってしまった。

この大会はドラマチックな接戦が多かったが、早くも大会2日目にドラマは生まれた。
予選無失点大久保投手の仙台育英対高松商の試合。
この試合はセンバツで浪商を完封した高松商河地が大久保(広島)に1歩も譲らぬ好投ですばらしい投手戦となり、両校0対0のまま試合は延長戦へ。
延長も両者無得点で進んで迎えた延長17回表高松商無得点、再試合も予感させる中、その裏仙台育英の攻撃、先頭打者が内野安打で出塁し、続く打者がセーフティーバントを決め無死1・2塁、その後犠打と敬遠で1死満塁。1ストライクの後河地が投じた206球目は打者の頭に命中。かくて息詰まる投手戦は、サヨナラ押し出し死球によって終わった。
当時延長は18回までという規定であったが、規定が変わり延長は15回までとなった現在でも、この試合以降15回まで0-0という試合はない。
まさに息詰まる投手戦であった。
サヨナラ負けし号泣する河地投手の姿を今でも覚えている。

大会は桐生が2回戦で箕島・仙台育英が3回戦で姿を消すも高知商・PL・中京らは順当に勝ち進み4強入り。
センバツ準Vの福井商は岡山東商に破れ2回戦で甲子園を去ったが、岡山東商はこの後も横手投げ藪井投手の好投で4強入りを果たすも準決勝で高知商に敗退した。

準決勝でもドラマが生まれる。
中京対PLの一戦は、中京打線がPL左腕西田(広島)を打ち込んで得点を重ね、9回表を終わって4-0と中京のリード。

しかし最終回2点差に詰め寄ったPLはさらに一死1、2塁のチャンス。
ここで中京ベンチはエース武藤をあきらめ1塁の黒木をリリーフに送る。
PL鶴岡監督は9番打者に送らせ二死ながら2・3塁の一打同点の策をとった。
黒木は緊張の為ストライクがとれずストレートの四球で二死満塁。
二番打者渡辺にもストライクが入らない。0-3になったところで一塁の守備についていた武藤が再び登板する。
武藤はなんとかツーストライクを取り、9回裏二死満塁カウントはツー・スリーという場面となった。
ここで渡辺の打球は二塁への内野ゴロ、打球を取った二塁手はショートにトスしたが1塁ランナーはスタートを切っておりセーフ、そのまま1塁に返したが、1塁もセーフ。
この間に二塁走者も本塁へ返り、ついに同点4-4で延長戦となった。

そして迎えた延長12回裏。二死1、2塁から3塁ゴロの送球を硬くなった1塁手黒木が落球。満塁の場面、力尽きたか武藤投手のノースリーからのボールも大きくはずれサヨナラ押し出し四球。
PLは奇跡的な決勝進出を遂げたのである

続く決勝は3回に2点を挙げた高知商が2-0でリードのまま最終回PLの攻撃。
先頭打者が初球を中前へヒット。
誰もが前日の中京戦の奇跡の場面を思い起こし、甲子園は異様な雰囲気に包まれた。
動揺した2年生エース森は続く谷松にストレートの四球を与え無死1・2塁。
3番が送り、4番木戸(阪神)はセンターに犠飛、PLは1点を返したが、二死2塁とまたも土壇場に追い込まれた。
しかし、続く5番西田(広島)は2-1と追い込まれながら一塁線を突破、PLはまたしても神がかり的な同点劇を起こした。
連日の土壇場での同点劇に球場は騒然となる。
気落ちした森から五番柳田が左中間を破るサヨナラ適時打、PLは脅威の粘りで初優勝を飾った。
準決勝・決勝と土壇場で奇跡的な逆転勝ちをおさめたPL学園は、この年以降「奇跡のPL」と言われるようになったのである。

この後PL学園は名将中村監督に率いられ常勝軍団となるが、この年が初優勝。
この年PLを率いていたのは鶴岡泰(現 山本泰)監督(お父さんは南海等を率いたプロ野球の名将鶴岡一人氏)PL退任後は大阪桐蔭の監督や法政大の監督を歴任された後、近鉄バファローズのスカウトとしても活躍された。

この大会の四国代表の4校は四国四商と呼ばれる伝統校、香川県の高松商業高校、愛媛県の松山商業高校、徳島県の徳島商業高校、高知県の高知商業高校。
この大会で延長17回0-1で破れた高松商は中等学校時代からの古豪校であり、第1回センバツの優勝校であり春2度夏2度の優勝回数を誇っているが、近年は甲子園から遠ざかっている。
私は、ユニフォームが好きで前年頃から高松商を応援している。
昨年まで2年連続地区大会決勝で敗れ甲子園にはあと一歩であるが(今年は県4強で敗退)、久々に高商の勇姿を甲子園でみたいものだ。


第60回全国高校野球選手権 PL学園 逆転で初優勝のシーン(フィルム映像)

高校野球備忘録 1978年センバツ

2010-08-02 19:22:11 | 高校野球備忘録
明けて1978年。
この年のセンバツは実家が春休み中に引越して転校したので、友人もおらずTVにかじりついていた。


第50回選抜高等学校野球大会

西田(広島)木戸(阪神)を中心としたPL学園、石井毅(西武)嶋田(阪神)らの箕島、石嶺(阪急等)のいる豊見城や川又(中日)の早実、好投手菊地を擁する印旛、大型左腕小暮の桐生が有力チームと目された。
この夏の甲子園にも出場を決めている南陽工が速球投手津田(広島)を擁して初出場した大会でもある。
また、1回戦で敗れたが牛島(中日等)ドカベン香川(南海)2年生バッテリーの浪商も出場している。

この大会の1回戦で大記録が生まれる。
前橋高校の松本投手が1回戦で比叡山高校相手に春夏通じて初の完全試合を達成したのである。
決して球速の早い投手ではなく、むしろ技巧派の投手だったが打者27人を打ち取った頭脳的な投球が光った。

大会は印旛・豊見城・早実が姿を消す中、初出場の南陽工が津田投手の好投もあり8強に進出したが準々決勝で福井商に惜敗。
PL学園は準々決勝に進出したが箕島石井に押さえ込まれて敗退。
4強には箕島・桐生の有力候補陣と浜松商・福井商のダークホース陣がそれぞれ進出した。

準決勝は桐生-浜松商、箕島-福井商の組み合わせ。
浜松商は粘り勝ち福井商が箕島2年生エース石井毅を打ち込んで、決勝は浜松商-福井商の顔合わせとなる。

この試合は浜松商2年生エース樽井・福井商下手投げ板倉両投手が走者を背負うも好投、3回と8回に盗塁を絡めて1点ずつを取った浜松商が2-0で勝利、初優勝を決めた。

浜松商磯部監督は何度も甲子園に出場した名将であるが、浜松商退任後常葉菊川高校監督に就任、バントなしの攻撃的野球でだが、06年まで監督だった磯部氏がその下地を作った。
ちなみに常葉菊川は07年センバツに優勝するが、磯部監督の後任として采配にあたった森下監督はこの大会の浜松商の2番打者でキャプテン、決勝でも安打を放ち2点目のホームを踏んでいる。

この大会、当時買ってもらったばかりのラジカセで録音しまくり、優勝した浜松商や箕島・PLなどの校歌をメロディーだけ覚えてしまった(笑)
今でも聞くと歌詞をみれば歌えます^^;

この大会出場した学校で、完全試合の前橋高校・4強の桐生高校は共に群馬県だが、両校は県内有数の進学校(ちなみに桐生高は中曽根元総理の母校)である。
私学優勢の今ではちょっと考えにくいですね^^



第50回選抜大会決勝・浜松商-福井商9回ウラ

高校野球備忘録 1977年夏

2010-08-01 02:00:06 | 高校野球備忘録
第59回全国高等学校野球選手権大会

センバツ優勝箕島・準優勝中村・4強天理などが予選敗退となり、春4強のうち唯一夏も出場を決めた智弁学園・左腕松本(阪急)を擁する東洋大姫路、好投手三谷の今治西、好打者川又(中日)のいる早稲田実、豪腕小松(中日)の星稜などが有力校、前年覇者の桜美林も出場してきた。

この内、早くも1回戦で智弁学園と星陵が対戦。
智弁山口(近鉄等)が小松に投げ勝ち星陵は1回戦で姿を消した。
前回覇者桜美林も早実に初戦で敗退した。
智弁は3回戦で今治西と対戦、0-4で破れ姿を消す。

勢いに乗る今治西は準々決勝で早実を大差で破り準決勝で東洋大姫路と対戦する。
試合は松本・三谷が両者一歩も譲らぬ投手戦、延長10回1-0で東洋大姫路が決勝に進出を決めた。

一方決勝に進んだもう1校は愛知の東邦。
1年生エースの坂本を中心に決勝に進出、坂本投手はバンビと呼ばれ大会中にアイドル並みに人気が爆発したが、残念ながらその後の甲子園出場は無く今大会が最後の甲子園となってしまった。

決勝は松本と坂本の投げ合いで9回を終わって1-1で延長に入る。
延長10回ウラ2死1・2塁から、東洋大姫路安井の夏史上初の決勝戦サヨナラ本塁打が飛び出し東洋大姫路が初優勝を飾った。

当時、学級委員長だった私は市内の委員長の集まる研修旅行に行っており、決勝の模様は帰りのバスの中のラジオ中継で聞いた。
地元兵庫代表ということもあり、皆で東洋大姫路を応援しサヨナラの場面は大歓声を上げて喜んだ記憶がある。

尚、この大会までは現在の様に1県1校制ではなく41代表。
1県1校制(北海道・東京は2校)は翌年の記念大会以降となっている。



1977年夏 東洋大姫路優勝シーン



高校野球備忘録 1977年センバツ

2010-07-31 09:56:11 | 高校野球備忘録
1977年は父や西宮在住の母方の祖父に連れられて計3回甲子園に行った。
春には初めて開会式を見た。
当時は春とはいえ超満員で入場券は売り切れて、球場の外には人があふれていた。
余談ではあるがこの頃は座席数以上に入場券を売っていて、通路にも人が座っていた記憶がある。

さて77年は私がいよいよ本格的に高校野球を見始めた年でもある。
今回は春と夏に分けて書いてみます♪


第49回選抜高等学校野球大会
入場行進曲 『ビューティフル・サンデー』(田中星児)

昨年の様な超A級チームが不在、原の様なスター選手がいない大会であった。

優勝候補は強打鈴木康友や投手陣は福家(阪神)、山村の2枚看板を持つ(読売等)の天理、川又(中日)のいる早稲田実、小松投手(中日)がいる星稜。また高知の中村高校が部員12人で「24の瞳」と言われ、注目を集めた。

さてアルプス席で開会式を見た直後の第1試合、注目の中村高校が登場。
試合は山沖投手(阪急)の好投で3-0で中村が勝利。
私は俄然中村高校ファンとなってしまった♪
高知商や高知高校・土佐高校など強豪ひしめく高知から出場した部員12名(当時)の無名公立校中村高校、甲子園に出場したのは後にも先にもこの大会だけであるが、この年同校は準Vして旋風を巻き起こした。

この大会も1回戦で星陵が敗れるという波乱は起こった。
ナイトゲームとなったこの試合、星陵は滝川高校の軟投派下手投げ投手を最後まで打ちあぐみ0-4で完敗。
まさに”柔よく剛を制す”といったところである。

この大会、奈良の智弁学園が山口投手(近鉄等)を擁し、優勝候補の早実・尾上(中日等)のいる銚子商を破り4強に進出したが、監督としてこのチームを率いていたのが現在和歌山智弁学園を率い甲子園最多勝の名将高嶋監督である。
ちなみに智弁和歌山は78年創立・79年野球部創部である。

4強は奈良智弁学園・中村高校の他に名将尾藤監督率いる和歌山の箕島高校と岡山南高校。
優勝候補の天理は中村山沖を打ち崩せず、8強で姿を消した。

決勝は智弁を破った箕島と旋風を巻き起こした中村の対決。
試合は箕島が左腕東投手の好投と、粘り強い攻撃で3-0で快勝、70年センバツ以来2度目の優勝で幕を閉じた。
中村高校は大型右腕山沖を中心に粘り強く戦い、決勝では箕島に屈したものの見事準V、部員12名ながらの健闘は素晴らしかった♪

今大会の中村高校や星陵を破った滝川高校の試合は、今の私の判官贔屓の原点となっっており、今でも思い出す印象深い大会である。


1977年選抜高校野球 中村高校(高知県) 山沖投手の決勝での投球です。


1977年選抜高校野球 優勝した箕島(和歌山) 東投手の決勝での投球です。

高校野球備忘録 1976年

2010-07-29 23:23:31 | 高校野球備忘録
夏の全国高校野球選手権大会予選も大詰めである。
今年も甲子園が待ち遠しい季節になってきた^^

さてワタクシ地元が西宮という事もあり、阪神ファンではないが(笑)高校野球ファンである。
甲子園での大会を前に、ワタクシの記憶と記録を頼りに昔の大会を振り返ってみようと思う。

祖父母の家が甲子園にあったコトもあり幼少の頃甲子園に行った記憶もあるのだが、私が熱を入れて高校野球を見始めたのが1976年からであるのでまずは1976年を振り返ってみます。


第48回選抜高等学校野球大会
入場行進曲 『センチメンタル』(岩崎宏美)

この大会優勝は広島の崇徳高校。
好投手黒田(元ヤクルト)や山崎(広島で活躍)・小川(広島等)・応武(早大監督)を擁し、初出場初優勝を飾った。
鉾田一戸田投手が1回戦でノーヒットノーランを達成している。
翌年夏の優勝校東洋大姫路や奈良智弁学園が初出場、古豪の高松商や土佐や前年夏の決勝を戦った習志野・新居浜商も出場。
私は地元兵庫代表という事もありベスト8入りした東洋大姫路を応援していました。


第58回全国高等学校野球選手権大会

夏の大会は好投手目白押しの大会。
地方大会で三振の山を築いた海星のサッシーこと酒井(ヤクルト)・沖縄の星・豊見城の赤嶺、選抜ノーヒッター剛球左腕・戸田や春夏連覇を狙う崇徳・黒田(ヤクルト)・好投手・久保(近鉄・阪神)の柳川商などや2年生の星陵・小松ら好投手が多かった。
打者でも東海大相模の原(読売監督)・津末(日ハム)や柳川・立花(西武等)、天理・鈴木康(読売など)、銚子商の宇野・尾上(共に中日等で活躍)らが甲子園に出場。
強打の春の優勝校崇徳・東海大相模・柳川商が優勝候補を言われた。

大会は好投手の予想通りの活躍で盛り上がる反面、優勝候補を言われた東海大相模が2回戦で春準優勝の小山に0-1で敗退。
小山はエース初見投手を故障で欠くも急造投手黒田が好投して強力打線を完封した。

同じく優勝候補の柳川商は3回戦でPL学園に0-1で敗退。
ちなみにこの年PLは準優勝した。
春の覇者崇徳は好投手酒井の海星に押さえ込まれやはり0-1で敗退した。

東海大相模を破った春の準V小山は回戦で赤嶺投手の豊見城に惜敗。
この頃の豊見城は後に沖縄水産で夏2度の準Vを果たした名将栽監督に率いられ前年に続き8強入りしている。
その豊見城も準々決勝で小松投手擁する星陵に0-1で惜敗した。

強豪が早くから姿を消し波乱含みの大会の4強は桜美林・星稜・PL学園・海星。
決勝は初出場の桜美林が延長11回の末4-3サヨナラでPL学園を下して見事優勝を飾った。

私はこの時高校野球初心者の小学生。
強打の東海大相模や大阪のPLを応援しておりました^^


全国高校野球 決勝戦のラストシーン(1975年~78年&85年)
夏の決勝サヨナラの場面は1分01秒付近から見れますヨ。