1977年は父や西宮在住の母方の祖父に連れられて計3回甲子園に行った。
春には初めて開会式を見た。
当時は春とはいえ超満員で入場券は売り切れて、球場の外には人があふれていた。
余談ではあるがこの頃は座席数以上に入場券を売っていて、通路にも人が座っていた記憶がある。
さて77年は私がいよいよ本格的に高校野球を見始めた年でもある。
今回は春と夏に分けて書いてみます♪
第49回選抜高等学校野球大会
入場行進曲 『ビューティフル・サンデー』(田中星児)
昨年の様な超A級チームが不在、原の様なスター選手がいない大会であった。
優勝候補は強打鈴木康友や投手陣は福家(阪神)、山村の2枚看板を持つ(読売等)の天理、川又(中日)のいる早稲田実、小松投手(中日)がいる星稜。また高知の中村高校が部員12人で「24の瞳」と言われ、注目を集めた。
さてアルプス席で開会式を見た直後の第1試合、注目の中村高校が登場。
試合は山沖投手(阪急)の好投で3-0で中村が勝利。
私は俄然中村高校ファンとなってしまった♪
高知商や高知高校・土佐高校など強豪ひしめく高知から出場した部員12名(当時)の無名公立校中村高校、甲子園に出場したのは後にも先にもこの大会だけであるが、この年同校は準Vして旋風を巻き起こした。
この大会も1回戦で星陵が敗れるという波乱は起こった。
ナイトゲームとなったこの試合、星陵は滝川高校の軟投派下手投げ投手を最後まで打ちあぐみ0-4で完敗。
まさに”柔よく剛を制す”といったところである。
この大会、奈良の智弁学園が山口投手(近鉄等)を擁し、優勝候補の早実・尾上(中日等)のいる銚子商を破り4強に進出したが、監督としてこのチームを率いていたのが現在和歌山智弁学園を率い甲子園最多勝の名将高嶋監督である。
ちなみに智弁和歌山は78年創立・79年野球部創部である。
4強は奈良智弁学園・中村高校の他に名将尾藤監督率いる和歌山の箕島高校と岡山南高校。
優勝候補の天理は中村山沖を打ち崩せず、8強で姿を消した。
決勝は智弁を破った箕島と旋風を巻き起こした中村の対決。
試合は箕島が左腕東投手の好投と、粘り強い攻撃で3-0で快勝、70年センバツ以来2度目の優勝で幕を閉じた。
中村高校は大型右腕山沖を中心に粘り強く戦い、決勝では箕島に屈したものの見事準V、部員12名ながらの健闘は素晴らしかった♪
今大会の中村高校や星陵を破った滝川高校の試合は、今の私の判官贔屓の原点となっっており、今でも思い出す印象深い大会である。
1977年選抜高校野球 中村高校(高知県) 山沖投手の決勝での投球です。
1977年選抜高校野球 優勝した箕島(和歌山) 東投手の決勝での投球です。
春には初めて開会式を見た。
当時は春とはいえ超満員で入場券は売り切れて、球場の外には人があふれていた。
余談ではあるがこの頃は座席数以上に入場券を売っていて、通路にも人が座っていた記憶がある。
さて77年は私がいよいよ本格的に高校野球を見始めた年でもある。
今回は春と夏に分けて書いてみます♪
第49回選抜高等学校野球大会
入場行進曲 『ビューティフル・サンデー』(田中星児)
昨年の様な超A級チームが不在、原の様なスター選手がいない大会であった。
優勝候補は強打鈴木康友や投手陣は福家(阪神)、山村の2枚看板を持つ(読売等)の天理、川又(中日)のいる早稲田実、小松投手(中日)がいる星稜。また高知の中村高校が部員12人で「24の瞳」と言われ、注目を集めた。
さてアルプス席で開会式を見た直後の第1試合、注目の中村高校が登場。
試合は山沖投手(阪急)の好投で3-0で中村が勝利。
私は俄然中村高校ファンとなってしまった♪
高知商や高知高校・土佐高校など強豪ひしめく高知から出場した部員12名(当時)の無名公立校中村高校、甲子園に出場したのは後にも先にもこの大会だけであるが、この年同校は準Vして旋風を巻き起こした。
この大会も1回戦で星陵が敗れるという波乱は起こった。
ナイトゲームとなったこの試合、星陵は滝川高校の軟投派下手投げ投手を最後まで打ちあぐみ0-4で完敗。
まさに”柔よく剛を制す”といったところである。
この大会、奈良の智弁学園が山口投手(近鉄等)を擁し、優勝候補の早実・尾上(中日等)のいる銚子商を破り4強に進出したが、監督としてこのチームを率いていたのが現在和歌山智弁学園を率い甲子園最多勝の名将高嶋監督である。
ちなみに智弁和歌山は78年創立・79年野球部創部である。
4強は奈良智弁学園・中村高校の他に名将尾藤監督率いる和歌山の箕島高校と岡山南高校。
優勝候補の天理は中村山沖を打ち崩せず、8強で姿を消した。
決勝は智弁を破った箕島と旋風を巻き起こした中村の対決。
試合は箕島が左腕東投手の好投と、粘り強い攻撃で3-0で快勝、70年センバツ以来2度目の優勝で幕を閉じた。
中村高校は大型右腕山沖を中心に粘り強く戦い、決勝では箕島に屈したものの見事準V、部員12名ながらの健闘は素晴らしかった♪
今大会の中村高校や星陵を破った滝川高校の試合は、今の私の判官贔屓の原点となっっており、今でも思い出す印象深い大会である。
1977年選抜高校野球 中村高校(高知県) 山沖投手の決勝での投球です。
1977年選抜高校野球 優勝した箕島(和歌山) 東投手の決勝での投球です。
開会式&中村の開幕試合をご覧になられたとかで羨ましいです。私はテレビで観戦したのを覚えているのですが、山沖投手のいきなりのシャットアウトにより旋風を起こすのでは。。。という予感めいたものを感じたのは確かですね。当時は毎年のように上位進出していた高知県代表ですから12人の初陣チームであれ、中村が相当実力を備えていたことは間違いないところでしょう
大会はノーマークに近い箕島がサウスポー東の力投を柱にあれよあれよと優勝をさらいましたが、天理を下すなど爽やか旋風を起こした中村高校の健闘も実に見事。夏のインパクトに比べるとその後も春は苦戦続きの星稜の初センバツ。若き日の名将・高嶋監督が率いていた奈良・智弁学園もエース山口と強打線で全盛を誇っていたのも思い出深いですね‥☆
連続コメント有難うございます!!
見に行ったせいもあるのですが、センバツ行進曲の中では、今でも「ビューティフルサンデー」が一番印象に残っております。
中村は山沖のみならず、打線もチャンスに勝負強く好チーム、特に天理を破った試合は見事でした♪
しかし4強進出の智弁といい、この年の奈良勢はレベルの高い2校でしたね^o^
高校の恩師です!
当時のこと話してくれてたこと思い出しました☆
トップバッターの内野手だったと記憶してます。
教師になられてたんですね♪
素晴らしい情報を有難うございます#^^#
ちなみに今回の部員は16名。
32の瞳を地元民は期待します。