名前は聞いたことがあったこの事件、無罪判決というニュースを聞いて私は初めてどのような事件だったのか知りました。
58年前の1966年、静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が殺害される事件が発生し、当時、同社に住み込みで働いていた袴田さんは逮捕され、裁判を経て死刑判決を受けることになりました。
静岡県警の捜査官らは、袴田さんから自供を引き出すために、連日10時間以上もの取り調べや脅迫、拷問を繰り返していた上、証拠を捏造するなどし、無理やり袴田さんを犯人に仕立て上げていたことが明らかになっています。
事件の発生から1年2か月後、事件現場の近くにあった味噌タンクから血痕の付いた「5点の衣類」が発見され、それが有罪の決め手となりました。
その上で、「味噌タンクから発見された5点の衣類」、警察が袴田さんの実家を捜索した際に見つかったとされる「5点の衣類のズボンの切れ端」、「自白の任意性を認めていた1通の調書」のあわせて3つの証拠について、「捜査機関がねつ造した」と判断し、「袴田さんを犯人とは認められない」として無罪を言い渡しました。
静岡県内では戦後、袴田事件の他にも4件の冤罪事件があり、「冤罪王」「昭和の拷問王」と呼ばれた紅林麻雄(くればやしあさお)とその部下らが証拠の捏造や拷問を繰り返し、無罪の一般人を犯人に仕立て上げるといった暴挙を繰り返してきたそうです。
袴田さんも紅林麻雄の部下たちによって強引に自供させられ、無実の罪により47年7カ月にわたって勾留されることになったということです。
國井裁判長は、判決を言い渡した後、袴田さんの姉のひで子さんに対し言葉を詰まらせながら以下のように述べました。
袴田巖さん本人は、死刑執行の恐怖と半世紀近い拘留によって精神を病み、「拘禁症状」が現在も色濃く残っているため、意思疎通が難しく、法廷にも出廷できなかったそうです。
袴田さんは司法によって、人生を謳歌できる最も有意義な期間を台無しにされました。
しかし、上記のツイッターの投稿者も言っていますが、恐らくこのような冤罪事件は数多くあるのだと思います。
1989年の逮捕により世間を騒がせた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件も冤罪だと言われています。
RAPT | 「オタクは異常」の原点となった宮崎勤事件も冤罪だった。この頃から既にマスコミと警察による事件のねつ造は始まっていた。
いつ頃からこういったマスコミと警察による事件のねつ造は始まったのか、いつ頃からこのような裏社会の計画が始まったのか、について今日はお話をしたいと思います。
はっきりと断言します。このような計画が始まったのは、かの有名な「宮崎勤事件」のときからです。
実は「宮崎勤事件」も警察による冤罪事件でした。しかも、警察が誤って宮崎勤に罪をかぶせたわけではありません。わざとかぶせたのです。意図して彼に濡れ衣を着せたのです。したがって、宮崎勤は精神異常者ではありません。変質者でもありません。
宮崎勤を変質者だと言い出したのはマスコミです。そして、それは紛れもない嘘でした。マスコミが「宮崎勤は変質者」だと宣伝し、「彼のようなオタクは危険な犯罪を犯しやすい」という風潮をでっち上げていったのです。宮崎勤に濡れ衣を着せるために、マスコミは「オタクは異常」という風に世論誘導していったのです。
ただし、「宮崎勤事件」の場合は、今回の「岡山女児監禁事件」とは違って、事件そのものまでねつ造されたわけではありません。実際に誘拐事件があり、何人もの少女たちが殺されました。それを警察とマスコミがグルになって宮崎勤のせいにしていったのです。そのため、警察が数々の証拠をねつ造し、マスコミが数々のプロパガンダを発していきました。
この宮崎勤事件のときに起きた幼女の誘拐、殺人事件もすべては組織的な犯行によるものでした。どこからどう見ても、一人で実行できるような犯罪ではなかったからです。
しかし、当時このことに気付いた人の多くが、まさか警察やマスコミがグルになって冤罪事件をでっち上げるわけがないと思い、そのような疑いを抱えながらも、結局、全てをうやむやにしたまま事件の終焉を迎えてしまいました。
宮崎勉は無実だという詳細な情報を載せているブログはこちらです。
やっぱり、毎日がけっぷち 宮崎勤の死刑執行…断言するが、あれは「冤罪」だ!
宮崎勤事件―――破綻した?謀略のシナリオ? 連続幼女誘拐殺人事件の深き?闇? 黄昏時のパルチザン兵士
法治国家とは名ばかりの日本、権力に抗えず無念な思いをしてきた人にとっては地獄の日々だったことでしょう。
しかし、今回の袴田さんの無罪判決に代表されるように、これからは隠されていた様々な悪いことも良いことも公になる時代となります。
このブログを書いているときにも早速、以下のような事件、事実が発覚したというニュースを目にしました。
これまでは、少しズル賢い方が得をするという、正直者が馬鹿を見る風潮が少なからずあったように感じます。
しかし、これからは良いことも悪いことも隠されたままということはないと神様がおっしゃっています。
悪いことを行っても何も良いことはありません。
私たち日本人には道徳観があります。
真面目に善良に生きることで疚しさや不安、心配から解放された幸福な人生を生きられるのだと思います。