「楽して成功する」
私はいつも、このような生き方ができればいいのにと考えて生きてきました。
就職したばかりの頃は、公共の福祉のために役に立ちたいという志を持って仕事をしていましたが、時とともにもっと楽な部署に異動したいと考えるようになりました。
プライベートでは、不労所得で稼ごうと投資に手を出したものの、トータル的には損失を被り、それまで節約して貯めてきたお金を失うことになりました。
御言葉を知らなければ、いまだに楽して生きる道があるのではと探し求めていたと思います。
神様は、この世には楽をして生きられるという法則は存在しないと断言しています。
それを求めて生きることは、神様の価値観と真逆の考え方であり、人間にとっては堕落した人生の入り口となるのです。
神様は他のどの天使よりもどの人間よりも実は最も勤勉で努力を怠らない方です。
神様は時にこの地上を眺めながらその美しさに感動し、創造した時の苦労を思い出し涙することがあるとおっしゃっています。
そして、この地上のほとんどの人が神様の存在に気が付かない状況下にあっても、この地上を正常に運行するために日々人類のために手を加え管理してくださっています。
大きな椅子に腰を下ろし、いつも寛ぎながら天から人間の活動を眺めているようなイメージとはかけ離れた、たゆまず努力する勤勉な方、それが私たちの神様です。
裏を返せば、神様よりも死に物狂いで努力する存在が他にいないからこそ、神様が神様であり続けられるのです。
私たちは、日々勤勉に努力することでしか本物の実力を身に付けることはできません。
しかし、一度身に付けた実力はこの世の名誉や富のように朽ちることも減ることもありません。
たとえ死んだとしても霊界に持っていくことができる確固たるものであり、苦労したことは決して無駄にならないのです。
神様は、私たち人間が生み出した家や車などのデザインや生活の中で使うものなどをご覧になって感心することがあるそうです。
そして、人間を創造して良かったと思っておられます。
日々の生活に追われる毎日の中で、必ずしもお金に直結しないことのために努力することは確かに億劫ではあります。
しかし、自分一人の力では難しいことも、神様と共に成していけばこの世のものとは一線を画すものを生み出すことは不可能ではありません。
なぜなら、人間一人一人にそれぞれ異なる個性と才能を与えてくれたのは、他でもない神様であり、自分よりも自分のことをご存知なのも人類を創造した神様なのですから。