ありがとう 2021-05-07 22:45:00 | エッセイ 嵐が去ると夕焼けの光がもどり東の空に虹がーーダブルレインボーだぁ夕日があたるとパステルカラーが蛍光色な色を放っていました嵐のあとの希望のひかり闇と輝きを感じる感覚善し悪しにとらわれながらそれでも目の前のことを大切にありがとうの気持ちをどこにいても大切にしたいきっと大丈夫きっと大丈夫うまくいっている信じ続け選択し続けるありがとうありがとう
元気いっぱい 2021-02-02 20:21:00 | エッセイ 太陽さんが地球のみんなを応援しているようなエネルギー負けるなーー頑張ったねーすごいねーーさすがだよー節分の夕暮れ 17時前輝きが悪い鬼を光線退治きょうもありがとうございます無病息災を祈りながら元気いっぱい笑顔いっぱいの一年になぁれ
前へ 2021-01-31 17:50:00 | エッセイ 日暮れとき陽射しの優しさを感じてお釈迦さまのうしろの光みたいなあたたかさありがとうございます迷って躊躇ってグズって座り込んで良いそう言われた気がして前を向く覚悟を決めよし大丈夫全てはうまくいくためにあるから自分を奮いたたせる大丈夫大丈夫------引越しの準備に手続きのお山に目を背けていたらいよいよ日が迫り目の当たりにするとわたしの現状維持装置がこれでもかと言い訳を並べありがたや体調の変化も出してくれてうぅぅ受け止めて進むのみだと腹をくくりました落ちるところまで落ちたら力を抜いて浮き上がるのを待ちながら前を向いて今できるところから丁寧にやっていく覚悟できました身体の調子を大切にしながら加減を大切にしながら…ありがとうございます
過去と許し 2021-01-11 14:21:00 | エッセイ 大好きな人が目の前で傷みつけられるのをみながら育った過去があります拭いきれない心の痛みトラウマと言うのかもしれません母は父と駆け落ち婚江戸時代から続く庄屋の藁葺き屋根の家母が嫁いだ時は兼業農家に屋根はトタン屋根に街灯は峠に一つあとは山と田畑小川が流れる田舎の地へ母は嫁ぎました父の両親は中々子宝に恵まれず父は高齢になった母から早産で産まれ保育器がなかった時代の4月末炬燵の上に籠を置いて布で巻かれ6月くらいまで温めながら未熟児ながらなんとか生き抜いたそうです父の父は酒呑みで朝からお酒を飲んでは癇癪を起こしては暴力を振るいどうしようもない親父だったと長男として年老いた両親に農業を継ぐため都会へ出て就職したかった夢を諦め家に残ったことを学生時代に話してくれました父の父に対する憎悪感をなんとなく感じつつそれでも田畑に山やお墓の管理を一生懸命する父の背中をみて育ちました父は反面教師となったのか自宅でお酒を飲むことは私が成人するまで一度もありませんでした祖父は私が産まれる前にすでに病死で他界し遺影写真でお顔を見るだけです母は二十歳で姉を産み子育てと農業の手伝い姑(わたしの祖母)との壮絶なやり取りの中で過ごしたことをのちに知りました二十歳で出産に農家の手伝い姑との同居わたしが過ごした二十歳とは違う時だったとようやく客観的に思えます物心付く小学生のころから母と祖母のやりとりは毎日のように激しくなり当時のわたしには理解が出来ない母の行いが酷くそれを目の当たりにすることが辛く悲しくそのことで私から母へたびたび反発するようになり一度母と真剣に話し合ったとき母が涙を流しながらさーちゃんには分からないお母さんがおばあちゃんにされた辛い時期があったのと初めて母の口から本音が出た時でしたそれと同時に自分がされたことを許せないからと毎日酷いことを続けるのはおかしいと伝えましたがその後も変わらない生活が続きました大好きな人が目の前で傷めつけられるのを目の当たりにすることは苦痛で苦痛で私の心に大きな傷となりました暴力で虐待ではなく陰湿な行いに言葉による一方的なイジメでしたわたしは祖母が大好きでした温かくいつも微笑んでわたしが母のことで何か言うと決まっていいのよおばあちゃんは何も出来ないのにお父さんとお母さんに助けられてご飯も食べれるからねありがたいのよさーちゃんはいつもおばあちゃんを気にかけてくれてありがとうねえと優しい声で話してくれましたおばあちゃんの最期は末期の癌でした90歳を迎えるまで元気に過ごし誰にも迷惑をかけたくないと痛みも我慢をしながら両親からホスピスに入るよう促され最後は皮膚がただれ出血し始めモルヒネで眠る日が続きました祖母の灯火が消えかける前真夜中に病院から祖母が母へ病院に来て欲しいと言っていると連絡がありました2人が何を話たのかは母が打ち明ける事もわたしから聞く事もなかったですが想像は出来ました祖母が亡くなって自宅へ戻った夜わたしは祖母と一緒に眠りました涙が止まらない夜でしたまだ呼吸をしているかのような穏やかな顔硬直していない身体背中に手を入れると温かい感触が忘れられません祖母が亡くなり母は自分の行いを悔いるようにお仏壇へお参りをしない日はありません母は愛情表現がうまく出来ない不器用な人心で思っていても口から出る言葉に行動はいつも真逆おばあちゃんが生きているときよくスーパーでおばあちゃんは此れが好きなのよねとおばあちゃんの好きな食べ物を買い物カゴへ入れていたことを思い出しますわたしが体験した過去はテレビドラマのような嫁姑バトルを超えていましたが今わたしが感じることは母は母で大変だった誰にも言えない母の生い立ちがある母の性格 ヒステリー HSP強迫観念症などどうしようもない時があの当時に起こっていたそうだったのかもしれないと今ならようやく思えます母は姉妹の長女として産まれ父と駆け落ちをし実家から勘当され歴史ある長男の家に嫁いだけれど産まれた子供は女の子3人という負い目を感じながら過ごした過去をわたしは知りませんおばあちゃんから何を言われされたのかもそれも知りません反面教師になる沢山の出来事の中わたしに必要な学習期間だったと受け止め許し愛し手放す気持ち教えてもらった出来事でしたおばあちゃんが安らかに天国から心配しないよう生きたいと炬燵で横になっているとおばあちゃんのやわらかい温かい笑顔に包みこまれているような優しい心地よさ遠い出来事を思い出した午後でした微笑みある日々を送れますように… 最後まで読んでいただき ありがとうございます
龍神さま 2020-12-22 11:22:00 | エッセイ 先週の日曜日氏神さまへ今年一年の感謝の気持ちを伝えにお参りへ。きれいだなぁとお空を撮っていると旦那さん撮ってたのね、、雲のカタチが数秒、数分で変わりながら撮り始めて1分後に現れたのは優しいお顔の大きな龍神さま…龍神さまありがとうございます写真におさめシェアさせて頂きます今年はいろいろ 深く個人的に学び大きな時でした涙の色もカタチも今までとは違ったように感じる流れるさまでしたたくさんの気づき人の温かさ自分がこれから何を大切にしたいのかしたくないのかはっきりし心温まることがわたしのリハビリ開運に通ずる路まず自分を大切にすることを躊躇わないこれを続けた一年の運の風向きは大きく変わりました神主さまが仰った“人の役に立つように”わたしが出来るお役目をムリなく神さまに喜んでいただけるように自分の心が喜ぶように努めたいです お読み頂きありがとうございます