幸福の科学との出会い
幸福の科学発祥の地
杉並区西荻南及び松庵
初めての読んだ書籍は何読んだ?
というよりもほとんどが忘れてしまいました。
誌友会員になったことははっきりと覚えている。
郵便切手で会費を払っていたように思える。
昭和55年か56年に会員になるための作文を
確かに郵便局から差し出した。
その頃私は星飛雄馬で有名になった
エックス・パンダー(大リーガー・養成ギブスをまるで体全体に装着しているように
体が重く、立っていることさえきつい中(薬物の副作用)
負けてなるものかと人一倍一生懸命に働き続けていた。
会員になれるか不安があった。
もちろんそんな状態だったから、、もう半年か一年後に
再チャレンジしてくださいと通知が届いた。残念((😢))
幸福の科学の正会員に不合格となったことで意気消沈した。
昭和53年から三鷹の下連雀にある独身寮に住んでいた。
昭和53年か54年にある東大生となんかの縁で私の住んでいる
独身寮に遊びに来てくれた。
そんな立派な方が遊びに来てくれたことに興奮したことを今も覚えている。
部屋でか外でか覚えておりませんが、東大生なのに意気消沈して
東大生になったことにまるで悔いているように見えた
なに言ってんですよ!
仮に私が東大に入学しようと決意し、黙々勉学を続けたとして
50年いや90年猛勉強しても無理なことすよ!
あなたはそれくらい難関な所に合格したのだからあなたはすごい方です。
そうだな!と元気になった。
東大生ってみんな
周りすべて東大生(2,3千人全員東大生)だから不安になるのかと思った。
昭和55年か56年当時?
私の勤務先が荻窪駅と西荻窪駅の間にあり、
西荻窪駅南側(松庵)の初めてできた幸福の科学の書店で(黒縁の眼鏡の男性)これいいですよ出たばかりの書籍と紹介してもらった。
何の書籍か覚えていない。今のようにカラー表紙ではなく確か
ねずみ色をしていた書籍かな?。(専門の教科書によく使うねずみ色の表紙)
そのあと様々な講演会に出かけた。
かの有名な酒販会館の第一回講演会も出かけたような気がする?
時間通り始まらなくて、、尚且つ、、到着するや否や機関銃のごとく
公演を始められたことにびっくりしてしまい席を立ってしまった。
その時の大川隆法先生小冊子は最後までいなかったせいでいただけなかった(😢))
その後の講演会での大川隆法先生のエピソードと自分がこの目で目撃した
あの時目撃した人、、大川隆法先生だったんだと思うことがしばしばあった
とてもありがたいし奇跡の瞬間を感じ縁があることにいつも感謝をしています。
自身の治療目的で聴き始めたクラッシック音楽
ヨハン・ゼバスチャン・バッハの音楽
特に教会カンタータ
に惹かれ現在でもほぼ毎日聴いている。
幸福の科学正会員になったころから
バッハは作曲家です。
詩編や作詞はほかの方がなされています。
私は幸福の科学の信者だから和訳は理解してはいけないように思い始め
教会カンタータが大好きではあるが、、受難曲以外
歌詞意味を覚えないように今も心掛けている。
バッハの音楽で今も癒し続けられている。
幸福の科学と縁ができて奇跡の連続と思う
ありがとうございます。
来世も来来性もよろしくお願いします。
Twitterの自己紹介文
幸福の科学会員
大川隆法氏の書籍は わたしの人生の心の指針そのもの
趣味はヨハン・セバスチャン・バッハの音楽 一年かけても聴ききれないほど多岐にわたる音楽家
両氏とも寝る暇も惜しむ熱心な勉強家であられる。
2020.03.22 ttl
地球の秘密ーシャンバラー 天使のモーニングコール 第1583回(2022/1/29,30)