中途難聴になって・・・・。

7年前40代半ばに中途難聴になって、鬱になって。

やっと鬱は治ったけれどこれからどう生きていこうと模索中です。

病院に行って・・・・

2013-10-13 01:21:36 | 闘病の悩み
先日病院に行って


今度の手術のための検査を受けました。


CT検査、血液検査、尿検査、心電図・・・などなど。


今度別の日にMRIを受けに行く予定です。

朝から緊張してたので

どっと疲れたわ!


私以外にもう1人、おじさんが来ておられて

自分も、受けるんですよっておっしゃってた。



全く聞こえておられず、要約筆記の方を連れてこられていた。


私はまだかろうじて聞こえているので

1人で何でもできるけれど


全く聞こえないってしんどいだろうなあって思いながら・・・


でも、この方もつい最近までは片方は聞こえておられていたらしい。


でも、内臓の大きな手術を何回かされてる間に


耳の方も全く聞こえなくなったんだとおっしゃっていた。


体力が落ちて免疫が落ちて聞こえなくなったらしい。


やはり、身体と耳はつながっているんだなあってしみじみ思った。


私なんてまだまだ甘いのかもしれないなあ。


とにかく、先生が手術していいよっておっしゃってくださったんだし


前向きに頑張ってみよう!


まだ少し神経が残っているから、


もしかしたら耳鳴りとかがきついかもしれないけれどとおっしゃった。


えええ!右耳は全く聞こえてないのに、まだ、生きてるんですか?


と聞くと、本当に聞こえない人は、神経自体が退化してしまって、全く反応しなくなってしまっているらしい。


どうなるんだろう?とちょっと不安が残る。


本当はもう少し我慢して、IPS細胞が使用できたらなあって思ってたんだけれど


先生曰く、まだまだそんな段階ではないです…とのことで


1人娘で、両親の介護など、いろいろ乗っかってる身なので


少し早いけれど、やっていただくことになったのだと思う。


事実、今回入院することになっただけでも

88歳の母親はパーキンソン症で特養に入っているし

父親は今82歳だが、心臓、癌、腎臓、C型肝炎などを患いながら

地元の包括支援センターさんにお世話になって、


ヘルパーさんや、腎臓病食などを用意してもらって


1人で暮らしている状態なので、私が間に入り、話し合いをしながらいろんなことを決めてきた。

もちろん私の事を気使って

ゆっくり話していただくし、補聴器も聞こえているので、それほど不便ではなかったのだが

身体の調子によっては

補聴器が聞こえたり聞こえなかったりと、


少しずつ、会議とかに出てお話しするのが苦痛になっていた。


ビルのような密室での話はほとんど半分くらいしか聞こえてなかったし。


特に病院の先生が母の病状について話されるときなど、全く聞き取れず


わざわざ父についてきてもらって話を聞いてもらうような始末だった。


家族3人がみんな障害者なんて本当にびっくりするようなことになってしまって。




父が心臓を悪くしたのが49歳で、なかなか原因が突き止められず、


心身症と言われうつ病の薬を飲まされてぼーっとした日々が続いた。


その後癌が見つかり手術、その時に心臓が危ないと解り、さっそく翌年心臓弁の手術、


でもその時、外国の薬からc型肝炎になりいまだに治っていない。


66歳の時、今度は母親がパーキンソン症と診断された。


二人とも、若い時は、バリバリ働いていたので、病気とは縁がないと思っていたのに


バタバタと病気になって・・・本当にどうなったんだろうとさすがに落ち込んでしまった。




そのころ、私は関西に嫁いで子供が3人うまれたので、


本当に大したことが何もできなくて・・・・。

当時は九州の親戚の方に大分助けてもらった。



でも、まあ、その後は穏やかに日々が流れていたのだが・・・・



今度は平成15年3月に私が突然風邪から突発性難聴になり

悪性だったのか、両耳がやられてしまった。

片方は完全に聞こえなくなって、平成16年には残りの片方も、数回の入院の甲斐なく、聴力が徐々に衰えていった。


平成15年の11月に、主人の父が脳溢血で倒れ、義母が看病疲れからか平成17年3月に急逝した。

また、私の父も平成16年の11月に大腸にがんが転移し、手術になった。

この時は、耳鳴りがガンガンしている体で父の病院に付き添った。

でも、父の言うことが聞こえなくて、

パーキンソン症の母にも病院に泊まってもらって父の言う言葉を伝えてもらった。

私は泊まる部屋がなく、遺体を一時安置する部屋に寝泊まりした。

とても怖かったが我慢したのだ。

なのに、父は傷みで、私に役立たず!と暴言を吐くし、

私も耳鳴りのガンガンなってる状態の中で

必死に父の看病をやっているのにと、大喧嘩になってしまった。(今では笑い話だが・・・。)


そのうえ、その時

怖い部屋で、毎日が睡眠不足だったのもあり、ぼーっとしてたのか、


(いつも寝るとき、背中がぞーっとしてたのよねえ!汗)


不覚にも、洗濯に行ったとき10万円入りの財布を無くしてしまった。


これには親も絶句していた。(苦笑)もちろん親のお金である。・・・・




その後、主人の田舎で、義母の葬儀など続き、


そうこうしているうちに、私はPTSDからうつ病になり5年ほど起きられなくなってしまっていた。


それからやっと、立ち直った平成21年12月、


母親がついに入院したと聞き九州の実家に駆けつけて介護を始めた。


家に帰ってきた母はもうほとんど自分では動けない。


トイレだけは行くが、座るにしても立つにしても自分ではできない。

デイサービスやヘルパーさんなどに来てもらって自宅介護をしていたが

1年半ほど関西と九州を行ったり来たりしていた私は

慣れない介護で、ヘルニアぎっくり腰になってしまい 病院通いをする羽目に。

その間 義父が亡くなった。

その後、母親はかわいそうだが、特養に入れてもらうことに。

次の年長男結婚式。

そして平成24年、義父の介護をしていた独身の義兄が 父親の3回忌のすぐ後に 急逝した。


長男の役を引き受けることになった私たち夫婦は、


私は京都から、主人は兵庫から、北陸の主人の実家まで行って


葬式一切・・田舎の家のかたずけまですることになった。


民宿してたのでもう本当に半端の量じゃない!


そのうえ、田舎の親戚とのコミュニケーションがうまくいかない私はとてもつらい・・・



もうすぐ東京の娘の結婚式をして、私は入院である。


12月は主人の定年(今は転勤で一緒に住んでいない。3年ほどお互い1人暮らしです)帰って来るかどうかは不明・・・


来年の6月には義兄の3回忌。(最後の食事の時にお酌して回れず、一人ポツンと座ってるのも気が引ける。)


その後はうちの両親が私の帰りを首を長くして待っている。


どこの家でもいろいろあるとは思うけれど1人娘で1人嫁の立場は


耳の悪い私にとっては本当に負担なことだらけ。


病気になるのが15年、遅かったら現役引退していたんだけれど


一番頑張らないといけないときに本当に大変です。


とにかく頑張らなくては!




しみじみ、病気っていつなるかわからないし

誰だってなりたくてなるわけじゃないんだよなあって

身に染みて感じる昨今です。


独り言なので、不快になられる方はスルーなさってくださいね。