昨日、今度心療内科に持っていく説明書みたいなのを書いてみた。
プロフィールっていうか。
書いてみると、だんだんその当時の気持ちとか出来事とかが浮かんでくる。
私、結構ハードに動いてるわ!とびっくり。
高熱から両側感音性難聴になってからも3,4回入退院を繰り返しながら
動きまくっている。
ここで安静にしてたら、今のようにひどくならなかったのかもとか
後の祭りだが。
やはり、身体には自信があったようだ。
必ず治してみせると意気込んでいた。
病院も退院後
京都大学病院の高圧酸素療法、京都医科大学付属病院の星状ブロック、大阪の鍼灸病院、八尾市の接骨病院
などを掛け持ちで通っていた。
趣味の歌もどんどんエリアを広げて飛び回っていた。
九州まで、ボランテイアコンサートにまで行ったし、施設や病院にボランテイアとして友人と参加したり。
北海道旅行、九州帰省、父のがんの時の看病などなど。
身体が危険信号を出して病気になったのに、負けてたまるか!と、応戦した結果・・・・惨敗したのかも?と、最近思う。
いつの間にか鬱気味になって寝込む日が増えて。
数年 浦島太郎になったように現実から消えた。
そして、薬の副作用で、体中がかゆくなり、肝臓に異常が出て・・・・鬱の薬を先生の許可を取り辞めさせてもらった。
その後、薬の副作用からの不快なつわりの時のようなむかつきとかが無くなり
とても元気になった。
心療内科の先生も、あなたはもう鬱状態は治ってるようなので薬はやめても良いです
とおっしゃってカルテにははなまるを書いてくださったのだ。
その後、待ってましたとばかりに九州のパーキンソン症の母親の介護が始まって。
また、鬱になったばかりの頃、義母が亡くなったのだが、その後7年間の間に仲人のおじ、義父、義兄が亡くなり
福井の旧習深い田舎の主人の家は急きょ主人と私が喪主になった。通い喪主である。
主人は単身赴任先の兵庫から私は京都から、福井に出向いて法事を行った。
全く儀式も何もわからない中で、耳の悪い私は悪戦苦闘。それも鬱が治ったばかり。
顔も見たことがないような親戚に、聞こえない耳でお酌をして回る苦痛。
どうにかこうにか終えたが、その間に、3人の子供が結婚した。
そして愛犬が15歳で死んだ。
主人はずっと単身赴任中なので、
愛犬が死んでからは、心の中にぽっかりと穴が開いたようだったが
それでもまだ元気だった。
そして昨昨年の暮れ、人工内耳手術に挑んだ。
大成功で痛みもなく順調だったが
1つだけ気になる事があった。
今迄にない、気分の落ち込みとネガテイブ思考・・・・
真夜中にベッドが揺れる。
怪奇現象???
と思うほどに、定時になると、寝ててもベッドが揺れて目が覚める。
先生に言うと
きっと、頭を触ったので、一時的に出てるのでしょうとのこと。
退院してそういうことはなくなったので、たまたまやねえ…と思っていた。
その後は耳の回復に専念していたので、夏場はアクテイブにジムに通ったりして
動けていた。
昨年の10月ごろから、頭痛が全く治らなくなり
朝起きると気分がよくない。
それにつれて、夜型の生活になり
寝るのが3時4時となってきた。
全く買い物とか用事以外は外に出たくなくなり
引き籠り状態となった。
冬期鬱かも?
と思い、また鬱がぶり返したのだろうか??と思いだしていた時に
ネットで、光ポトグラフィーの機械が
まだまだ普及率は少ないが
京都にも2か所できていることを知り受診してみようと決意!
脳の血流の波形で、鬱か、双極性障害か、総合失調症かが判断できるとのこと。
値段は12000円ほど。
はらはらどきどきだったがうけてみたのだ。
双極性障害の診断を受けた時はそうかもしれないという気持ちと
まさかという気持ちが半々だった。
でも、ほっておくと、ひどくなり、家族にまた迷惑をかける事になったら大変だ。
外国での自殺率は罹患者のうち20%近いらしい。(5人に1人)
希死念慮・・・・そういえば、たまにそういう気持ちになる事がある。
だけれど、私は自殺は絶対だめだと思っているのでする気はない。勇気もない(笑)
先回の鬱状態診断は明らかに誤診だったということだ。数年間も・・・・
薬も、絶対双極性障害には与えてはならない抗うつ薬を与えられていたから
薬は効かないし、逆ギレして家族に迷惑をかけていたのだと判明した。
だから、よほど薬を飲まないときの方がクリアーに、普通に頑張れたのだ。
薬は一歩間違うと怖いなあと思う。
とにかく
双極性障害Ⅱ型と人工内耳と、大きな病気を2つも抱えてしまったが
どうにか乗り越えていこうと思う。
プロフィールっていうか。
書いてみると、だんだんその当時の気持ちとか出来事とかが浮かんでくる。
私、結構ハードに動いてるわ!とびっくり。
高熱から両側感音性難聴になってからも3,4回入退院を繰り返しながら
動きまくっている。
ここで安静にしてたら、今のようにひどくならなかったのかもとか
後の祭りだが。
やはり、身体には自信があったようだ。
必ず治してみせると意気込んでいた。
病院も退院後
京都大学病院の高圧酸素療法、京都医科大学付属病院の星状ブロック、大阪の鍼灸病院、八尾市の接骨病院
などを掛け持ちで通っていた。
趣味の歌もどんどんエリアを広げて飛び回っていた。
九州まで、ボランテイアコンサートにまで行ったし、施設や病院にボランテイアとして友人と参加したり。
北海道旅行、九州帰省、父のがんの時の看病などなど。
身体が危険信号を出して病気になったのに、負けてたまるか!と、応戦した結果・・・・惨敗したのかも?と、最近思う。
いつの間にか鬱気味になって寝込む日が増えて。
数年 浦島太郎になったように現実から消えた。
そして、薬の副作用で、体中がかゆくなり、肝臓に異常が出て・・・・鬱の薬を先生の許可を取り辞めさせてもらった。
その後、薬の副作用からの不快なつわりの時のようなむかつきとかが無くなり
とても元気になった。
心療内科の先生も、あなたはもう鬱状態は治ってるようなので薬はやめても良いです
とおっしゃってカルテにははなまるを書いてくださったのだ。
その後、待ってましたとばかりに九州のパーキンソン症の母親の介護が始まって。
また、鬱になったばかりの頃、義母が亡くなったのだが、その後7年間の間に仲人のおじ、義父、義兄が亡くなり
福井の旧習深い田舎の主人の家は急きょ主人と私が喪主になった。通い喪主である。
主人は単身赴任先の兵庫から私は京都から、福井に出向いて法事を行った。
全く儀式も何もわからない中で、耳の悪い私は悪戦苦闘。それも鬱が治ったばかり。
顔も見たことがないような親戚に、聞こえない耳でお酌をして回る苦痛。
どうにかこうにか終えたが、その間に、3人の子供が結婚した。
そして愛犬が15歳で死んだ。
主人はずっと単身赴任中なので、
愛犬が死んでからは、心の中にぽっかりと穴が開いたようだったが
それでもまだ元気だった。
そして昨昨年の暮れ、人工内耳手術に挑んだ。
大成功で痛みもなく順調だったが
1つだけ気になる事があった。
今迄にない、気分の落ち込みとネガテイブ思考・・・・
真夜中にベッドが揺れる。
怪奇現象???
と思うほどに、定時になると、寝ててもベッドが揺れて目が覚める。
先生に言うと
きっと、頭を触ったので、一時的に出てるのでしょうとのこと。
退院してそういうことはなくなったので、たまたまやねえ…と思っていた。
その後は耳の回復に専念していたので、夏場はアクテイブにジムに通ったりして
動けていた。
昨年の10月ごろから、頭痛が全く治らなくなり
朝起きると気分がよくない。
それにつれて、夜型の生活になり
寝るのが3時4時となってきた。
全く買い物とか用事以外は外に出たくなくなり
引き籠り状態となった。
冬期鬱かも?
と思い、また鬱がぶり返したのだろうか??と思いだしていた時に
ネットで、光ポトグラフィーの機械が
まだまだ普及率は少ないが
京都にも2か所できていることを知り受診してみようと決意!
脳の血流の波形で、鬱か、双極性障害か、総合失調症かが判断できるとのこと。
値段は12000円ほど。
はらはらどきどきだったがうけてみたのだ。
双極性障害の診断を受けた時はそうかもしれないという気持ちと
まさかという気持ちが半々だった。
でも、ほっておくと、ひどくなり、家族にまた迷惑をかける事になったら大変だ。
外国での自殺率は罹患者のうち20%近いらしい。(5人に1人)
希死念慮・・・・そういえば、たまにそういう気持ちになる事がある。
だけれど、私は自殺は絶対だめだと思っているのでする気はない。勇気もない(笑)
先回の鬱状態診断は明らかに誤診だったということだ。数年間も・・・・
薬も、絶対双極性障害には与えてはならない抗うつ薬を与えられていたから
薬は効かないし、逆ギレして家族に迷惑をかけていたのだと判明した。
だから、よほど薬を飲まないときの方がクリアーに、普通に頑張れたのだ。
薬は一歩間違うと怖いなあと思う。
とにかく
双極性障害Ⅱ型と人工内耳と、大きな病気を2つも抱えてしまったが
どうにか乗り越えていこうと思う。
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