おひとり様てるこの日記

てることいいます。50歳過ぎましたが気ままに生きてます。人生の危機感ゼロ。

ちょっと介護3 ようやく主治医に会えた

2019-11-09 21:19:00 | 日記
仕事が休みの度に、家から1時間かけて病院にせっせと通った。私は平日休みが多いのだが、たまに土日に休みが取れて病院に行くと、患者さんがいないロビーであるドラマの撮影をしていたりして、ちょっと得した気分になった。 

この病院は売店で寝巻き(パジャマではない)を借りたり、オムツも自分で買わなければいけない。この頃まだ起き上がって自力でトイレに行けなかった父はオムツが必要で、普通より尿の量が多いらしく、しょっちゅうシーツを濡らしていた。そんなわけで、オムツがどれだけいるか全く予想ができず、私は休みの度に通って何枚もの寝巻きと大量のオムツを買わなければいけなかった。

父は脱水症で入院したため、水分をたくさん摂らなければならず、たくさん飲めば出てくるのも多いのは仕方ないことだった。しかも父はせん妄で点滴を自分で抜いてしまった「前科」から、点滴はやめてとにかく水分を口から取らされていたのだった。そのため、片手に大量のオムツ、片手に大量のペットボトルという買い物を何回も繰り返した。助かったのは、冷蔵庫が個々のベッドにあったこと。テレビと冷蔵庫が一緒になったカード式のものだったが、夏だったので冷たい飲み物が大好きな父はよく飲んでくれた。

ある日、ふと私は気が付いた。父の主治医に会ってないじゃん。看護師さんから先生がこういうふうに言ってました、という話をよく聞いていたのだが、その肝心な先生に会ってない。なぜに家族が来てる時に顔を見せないの?そんなもの?というわけで、一度先生にお会いしたいと看護師さんにお願いした。が、手術やら休みやらなんやらで漸くお会いできたのが、入院してから2週間ほど経ってからだった。

やって来たのは、想像以上に若い先生だった。まだ30前かもしれないくらい若い男性。笑顔もなく、なんとなく居心地が悪そうにしている。「あんた、私よりお金持ちの家で生まれて偏差値も高いんだから、しっかりしなさいよ」と、心の中で言いながら食堂で話を聞いた(すごい偏見ですみません)。

で、父は結局脱水症で、歩けるようにさえなれば退院できるという話を聞いた。そして、認知機能が少し低下していると言っていた。でもそれは認知症ではなくて、年齢のせいらしい。まあ、元々命に別状はないのはわかっていたから、後は歩けるようになるだけなのねーと、のんびり構えて待つしかないことがわかった。

この頃からリハビリが始まり、私は見学をさせてもらったのだが、本当に父はヨボヨボだった。これで本当に歩けるようになるの?と思うくらいにヨボヨボで、足下がおぼつかないってこういうことを言うんだなあと思いながら見ていた。やはり、老健施設に申し込みしようと思った。

あとは歩けるようになれば、という時に父の退院は延びることになってしまった。お食事中の方には申し訳ないのだが、父は黒い便が出るようになった。胃か腸がら出血している疑いがあるということで、胃カメラで検査したところ、胃潰瘍らしい。ガンだったらどうしよう?とハラハラしていたのだが、胃潰瘍かい。薬で治る程度ということで、今度はその治療で退院が一カ月延びることになってしまったのだ。

ということで、老人保健施設に申し込みかけていたのを一旦キャンセルすることになった。

父はたぶん、ストレスから胃潰瘍になったんじゃないかと思う。なんせ、毎日のように電話をしてきては、病院のメシは不味い、まともに食べられる物がないと愚痴をこぼしていた。事実、あまり食べていなくて、私が水羊羹や水大福を持って行くと、甘いものが苦手な父ががっつくように私の分まで食べていた。

あと、おうち大好き過ぎる人なのだ。入院をしている間、とにかく家に早く帰りたがっていた。そんな人が2か月も入院しなきゃいけなくなって、わがままを聞いてくれる可愛い娘もいなくて、好きな物も食べられないし、大好きな番組をやっているBSチャンネルは見られないしで、そりゃあストレスが溜まると思う。

しかし、そんな中、父を癒してくれる人が現れた。それは病院の付属の看護学校から実習にやってきた19歳の女の子だった。学生さんは父をお風呂に入れてくれたり、話し相手になってくれたり、いろいろと面倒を見てくれたらしい。孫といってもおかしくない歳のこの学生さんに、大好きな落語の話を聞いてもらったりして、本当にお世話になったらしい。




学生さんがこんな絵を父に描いてくれた。私も実際に何回か会ったんだけど、このイラストのように可愛らしい真面目そうな学生さんだった。実習が終わる時、涙を流して寂しがってくれた。その気持ちをいつまでも忘れないでいて欲しいなと思った。



ちょっと介護2 老健施設に見学に行った

2019-11-05 20:48:00 | 日記
さて、入院したての父がせん妄でまだすっとぼけたことを言ってるときに、病院のソーシャルワーカーさんがやってきた。父の今後のことの相談にのってくれるという。

父がもしこのまま歩けなければ、リハビリをやらなければいけないし、もし歩けないままならば今のエレベーターがないマンションから引っ越さなければいけないだろう、とメガネをかけたもう中学生に似たソーシャルワーカーさんは言った。入院したばかりなのに、突然そんなことを言われても、と私はよく分からなくなった。

ちょっと何言ってるかわかんないって喉まで出かけたが、つまり先の先のことまでもう考えとけって言ってるんだなと、思い直した。引越し!!人生3回目の引越しになるのか。1回目は赤子だったから覚えてないけど。その夜、早速スマホでSUUMOに登録してみた。条件を入れて探すと、案外うちの近くにも賃貸物件はたくさんあった。

しばらくそれらの見取り図を見ながら、父と二人その部屋に暮らすことを想像した。車椅子に座った父とそれを押す私。デイサービスに行く父を見送る私。CATVとBSが見られるならばいいかなあ。オートロックがいいかも。2部屋くらいあれば十分か。エアコンと冷蔵庫と洗濯機はうちから持って行こう。ベランダは南側かな。ハッと気付いたら数時間経っていた。SUUMO楽しい!

さて、もう中学生(似)に教えてもらったケアセンターに、相談に行くことにした。そこは自宅から近く、スーパーに行くときに前を通る養護老人ホームの中にあった。前回のブログに書いたが、車を運転するしか役に立たない弟と嫁を呼び出し、一緒に行ってもらうことにした。

約束した時間よりずっと早く着いてしまったので、デイサービスに来ているらしきご老人の皆様を遠くから遠慮気味に眺めた。何か合唱しているようだ。昭和歌謡っぽいな。体操をしている人もいる。そっと弟を見ると、弟も私を見ていて目が合った。「お父さんには無理」と目で話し合った。
集団行動が嫌いで、飲み仲間以外は同世代が大嫌いな父なのだ。つまりひねくれ者。

しばらくして事務所から女性が出てきて、事務所の中に案内され、私より少し年上の女性Sさんが私たちを迎えてくれた。ちょっと緊張気味の私たちに優しく介護関係の説明をしてくれた。こちらもその優しい雰囲気に釣られて、プライベートな悩みを相談した。やはりここでも、もし父が歩けなくなったらという最悪のことを考えて、いろいろとある民間のリハビリ教室などを教えてくれた。

そこを出て、普段人見知りな私がペラペラと初めて会う人に父についての悩みを打ち明けてしまったことに気付いて、我ながらびっくりした。もし介護することになれば、初めてのことばかりだから誰かに教えて欲しい。しかし、最初の知識を誰から教えてもらったらいいかわからなかった。Sさんはそんな私の不安を一掃してくれた。

そして、介護認定をSさんを通じて申し込んだ。そんなことまでSさんはしてくれるのだ。因みに父はまだせん妄でボケていて、しかもまだ歩けない時だったので、要介護4になってしまった。父の姉、伯母によると伯母は要介護2だったのが今は要支援2になったらしい。そういうこともあるんだな。

それから、もう一つ、もう中学生(似)の紹介で行ったところがあった。それは老人保健施設だ。三ヶ月間、そこに住みながらリハビリをするのだ。そこは自宅から自転車で40分くらいの場所。今の家に引越しで来る前に住んでいた家のすぐ近くだった。早速電話で予約をして、またもや弟に車を運転させて、見学に行った。

着いてびっくり!すごーく豪華などこのお金持ちの家だろう?と思うくらい、立派な建物だった。もちろん、中も豪華な感じ。まだ新しいらしい。一階の広いフロアでは、父と同じくらいの年齢の人たちがリハビリに取り組んでいた。なかなか立派な設備だ。11時過ぎに行ったので、食堂では食事を待つ人たちがおとなしくテーブルについていた。

ちょっと気になったのは、みんなおとなしい。誰も喋っている人がいない。というか無表情だな。こういうの、父は苦手なんだよなーと少し気になった。

居住用の部屋は個室か4人部屋で、もちろん個室は高いので4人部屋を考えていた。部屋は広くて4人でも十分プライバシーは保たれている。それぞれカーテンで仕切られ、枕元には低いタンス。入り口付近にはひとりひとりのためのクローゼットもある。テレビも使用料を支払えば、貸してもらえる。床屋さんが来てくれて、もちろん病院にも必要なら連れて行ってくれる。

携帯電話は施設に預けて、必要な時だけ渡される。就寝は19時…早くないですか!?
と、後でケアセンターのSさんに聞いたら、たぶん消灯は21時くらいなのでそれまでは自由時間だろうと言っていた。携帯電話は預けてしまうのか…。

実は父は入院するまで父は携帯電話を持ったことがなく、最初は歩くのが困難だったため、携帯電話を買ってあげた。父はなんとか使い方を覚えて、一日に何回もこちらが仕事中だろうが構わずかけてきた。たぶん、初めての長い入院で寂しくて、不安だったんだと思う。そんな父が、果たして携帯電話を始終持てない状況に我慢できるのだろうか。

しかし、その当時の父はリハビリが必要だったし、どこまで良くなるのかわからなかったし、病院でのリハビリだけでは専門ではないから専門の施設に入った方がいいと言われていたし、施設の場所が家から自転車で行けるし、多少お金がかかってもいいからこちらにお世話になりたいと、私の中で8割ほど決まっていた。だから、その直後に自転車も買ったのだった。着替えをたくさん持って行くために、大きいカゴを荷台に付けた。

施設見学の帰り道、弟夫婦とスシローに行き、私の奢りだから好きなだけ食べなさい!と言いながらトロやサーモンやチーズケーキを食べ、嫁は寿司をつまみにビールを飲み、そして弟はイクラ巻きをつまみにウーロン茶を飲みながら、3人であの施設いいよねーと言い合った。が、本当はみんなあまり納得してないような、なんか複雑な空気だった。

さらにその後、ホームセンターで普通のスーパーにはない洗剤の巨大な詰め替えを買い、弟の車で運んでもらいながら、やっぱり納得しなくてもリハビリして欲しいから、あそこに入ってもらうしかないかなあとぼんやりと考えていた。

ガラリと話が変わるが、せん妄中でも父の記憶力は凄かった。入院前に飲みに行く約束をしていた父の友達にお断りの電話をするために、電話番号を書いてある手帳のありかを聞いた。すると父は「〇〇さんは090の…」と何も見ないで言い出した。それから生命保険のおばさんの電話番号も何も見ないでスラスラと言った。昔から数字を覚えるのが得意だったけど、せん妄中でもその能力は失われないものなんだなと感心したのだった。

つづく。







ちょっと介護している私

2019-10-22 16:44:56 | 日記
父が入院した。脱水症だった。

命に関わる程ではないが、手足に力が入らなくなって、結局3日間で3回救急車に乗った。 点滴をすれば治ってしまうので帰されるんだけど、また家で悪くなってしまう。最初の病院は点滴後、「きちんと水分を取ってくださいねー。あと、肝臓が弱ってるみたいなんでお酒は控えてくださいねー」と半笑いで言われて帰された。

 2回目は違う病院へ。そこの病院の先生は「いろいろ検査しましたが、脳梗塞とかの心配はありません。ただ、まだ悪くなる可能性があるので、何かあったら連絡してください」と言われた。最初の病院と違って、ここなら頼りになる!と思った。

 そして案の定、また次の日に悪くなり、2回目の病院に電話をしたら、福祉タクシーか救急車で来てくださいと言われた。最初福祉タクシーに電話をしたら、マンションの4階だと言ったらすぐに断られた。エレベーターも無いし仕方ない。救急車を呼んだ。 

 病院に着いたら即入院になった。そこから二ヶ月間、父は入院した。最初はかなりボケ老人のようになっていた。同じ事を何回も聞いたり、誰にも病院も知らせてないうちに◯◯さんがお見舞いに来たと言ったり。いわゆる、せん妄というやつらしい。

 私は事前にある本を読んでせん妄のことを知っていたので慌てなかったけど、知らない人だったら、認知症になったとかびっくりするだろうなあと思いながら、父のボケにいちいち突っ込んでいた。  

仕事は今までずっと遅番だったのを、早番にしてもらった。父がもっと早く帰れると思っていたからだ。父が帰って来た時にすぐに対応できるように、と思っていたのだが、父は思っていたよりもずっと弱っていた。そうだ、父は高齢者だった。

 なかなか歩けるようにならず、しかもせん妄で勝手に点滴を抜いたりして要注意患者になり、ベッドを勝手に離れるとセンサーでナースコールが鳴るベッドに変えられてしまった。あと、アルコール大好きな人は、アルコールを摂取しなくなると夜中に無意識に暴れたりするのでそのベッドに変えられてしまうらしい。アルコール大好きな父だったが、幸いにも暴れることはなかった。  

 一ヶ月しても父は退院できる気配はなかった。私はその頃、ようやく初めての一人暮らしを楽しめるようになってきた。父は過保護というか心配性な人で、私がちょっと帰りが遅くなると、心配して携帯に何回も電話してくる人なので、少々鬱陶しかった。 

 私はアラフィフ女である。ただのBBAだ。見た目も年相応に老けている。白髪もちらほらあるユニクロ愛用の地味な女だ。そして毎回の健康診断でBT値が高い肥満体型だ。ほぼ心配はいらない。もっと言うと神様を信じますか?と言う人にしかナンパされたことがない。  
 
というわけで、父がいない間にやってしまおう!と友人と焼肉を食べに行ったり、お笑いライブを観てみたり、夜遅くまで遊んだ。チャンネル権を握っている父がいないから、観たかったドラマをリアタイで観た。父がいると食べられないアボカドを食べた。  

 それからヒトカラにも行こうとしたが、これだけはいろいろあって行けてない。 

 というわけで、この一人暮らしがあっていろいろと発散できたからこそ父を片道一時間かけて見舞いに行けたんだろうなと思う。

いい病院なんだけど、最寄駅とされている駅から遠いし、地元のターミナル駅からもバスで15分程かかる。  

 病室は爺さんばかりだ。父の隣のベッドには5分おきにナースコールを鳴らし看護師さんを呼びつける爺さん、向かいのベッドはずっとガサガサと音を立て続けて、夜中に父に怒鳴られた爺さん(ごめんね)。そして看護師さんもなぜか声がデカイからプライバシーダダ漏れ。年寄りばかりで耳が遠い人がいるから仕方ないのかもしれないが、斜め向かいのベッドのお爺ちゃんがどんな病気で入院してきて、昔どんな仕事をしていたのか、今はどんな仕事をしているのか、家族構成まで全部分かってしまった。 

人懐こい癖に気難しく、集団生活が大嫌いなややこしい父が入院生活が辛いのは百も承知だ。病院メシが不味過ぎるとあまりご飯が食べられず、何故か胃潰瘍になり退院が延びたので余計に辛かったと思う。

が、私は人生初めての一人暮らしを謳歌した。  

 が、一人暮らしを楽しんでばかりもいられなかった。 父の退院後はどうするかということを、私は考えなければいけなかったのだ。

弟が一人いるが、こいつは車を運転してくれる以外は、本当に役に立たない。長男のクセに、お父さんの具合はどう?みたいな電話もない。スケジュール帳には嫁とサッカーを観に行く日程しか書いてない。

とりあえず、この弟を引きずり出し、福祉とやらに説明を受けに行くことにした。せっかく介護保険を払っているのだから、利用してあげなければ。 

 つづく。

中坊みたいな理由で友人から離れました(笑)

2019-07-14 16:05:34 | 日記
久しぶりにこちらから拒否るということをやってしまったアラフィフです。中学生みたいなことをやってしまいました。

10年以上お付き合いがある友人の言動がどうしても許せなくて、グループLINEから退会。個人のLINEもブロックしてしまいました。

この友人を含めたグループで飲み会を時々やっていたのですが、今回の計画で私がアレルギーで鶏肉を食べられなくなってしまったことを言ったら、その友人が「前回はたくさん食べてたのにー?(笑)」とか他にもアレルギーに関して茶化されまして。この瞬間に「あ、もういいや」って私の中で何かがプツンと切れました。

この友人が幹事をやると、9割焼き鳥屋です。自分が大好きなのに、私が好きだから焼き鳥屋にしてたんだよー的なことも言われました。

あと、友人はなぜか「みんなで食べましょうね」と言い、誰に断りもなく焼き鳥を串から外してしまうんです。それも、自分の箸をひっくり返して持つ方を使って…。

他の皆さんは優しいから、それを黙って見てるんですよね。私はまず焼き鳥を串から外すのが有り得ない。それからなぜ箸をひっくり返してわざわざ手で掴む方を使うんだ!と。

焼き鳥屋さんが一生懸命うった串からなぜわざわざ外すんだよ。それが女性の気遣いだと思ったら大間違いだし、手で握った箸ではずすなよ!!
私は潔癖症ではありませんが、流石にそれはやめろよと。

箸のことは言わなかったんですが、せっかく店員さんが一生懸命うったんだから、串から外すのをやめようよと言ったら、それが気に食わなかったようで、アレルギーのことを散々言われた後に、今度は串のことも言われて、私がつい反論したら無視されました。

反論なんておとなげなかったなあと思いながらも、この人との付き合いはもういいかなと突然私の中でフッと何かが落ちたような切れたような。

元々、この友人に関しては、他にたくさん溜まってるものがあったんです。でも、この友人と付き合いをやめると他の友人たちとの付き合いもなくなってしまうなと思い、我慢していたのです。でも、今回のやり取りをグループLINEで見ていた友人たちからは何の反応もなく。

そういうことを感じていたのは、私一人だったんだなあとがっかり。

私が100%正しいとは思っていません。私の感覚っておかしいことが結構あるので、また変なこと言ってしまったかなあと落ち込んだんですが、でも価値観が違う人に無理に合わせることはないか、と少しだけ開き直りました。

アラフィフという人生の折り返し地点で、気の合わない人とずっとストレスを溜めたままで付き合っていくくらいだったら、この際友人が減ってしまっても一生付き合っていける人を選んで付き合っていく方がいいのではないか、とふと思ったのです。上から目線かもしれませんが。

今までマウントを取られてるってわかってても、なんだかズルズルと付き合ってしまうことが多かった気弱な人生でした。

そんな自分を反省して、こんな変わってる私にマウントを取らず自然に付き合ってくれる友人を大切にしようと思いました。

ちなみにグループLINEの他の仲間とは個人的なLINEはまだ切ってなかった間、一人だけLINEをくれた人がいて、残念だけどまた二人で飲みに行こうねって言ってくれました。嬉しかったけど、それはあるかどうかはまだ決めてません。当分は距離を置きたいので。後の人たちからは全然連絡がなかったです。間違ってるとかないとかじゃなく、価値観が合わなかったんだな、残念だけど仕方ないと思いました。

それにしても、アラフィフになってまだ中学生みたいなことしちゃって、少々恥ずかしいですね(笑)元々少ない友人が減ってしまいましたが、もしかしたらこれから何かのきっかけで新しい友人ができるかも、とも思ってます。

チュートリアル奮発の黄昏とKiramuneカフェ

2019-05-22 13:24:22 | お笑い
チュートリアルの単独ライブ、奮発の黄昏の東京公演に行って参りました。
その前に、Kiramuneカフェに行きました。



まず、浪川さんのレモンゼリー入りコーラを飲んで、その後にこのカレー。



青い!味は…置いといて、青い!見た目と味のギャップにチョコっとパニック(笑)シーフードカレーのはずが中身を気にするよりも、見た目に気を取られて、きづいたら完食してました。

この日もらったコースターはこちら。



カッキーとスパクルの方。代永さんは前回来た時に貰いました。誰かもらってくれないかなあ。

さて、そこから有楽町へ!チュートリアル単独ライブの東京会場は、BICカメラのビルに入る、よみうりホールでした。一緒に行った友人が、なんでよみうりホールっていう名前なの?というので、ここは前は有楽町そごうで、そごうは今はどうか知らないけど読売グループで、ここは読売ビルだったんだよと説明したら、「そごうだったの!?」と驚いてました。そうか、これがジェネレーションギャップか。

さて、入場。




いろんな方からお花が来てるねえと見ていたら



あれ、小沢さんたら2個お花を送ってるー。



しゃべくりからも来てました。



福田さんが連載をしているHanakoママ編集部からも。そして



えっ!?
B'zの稲葉さん!?

ファンはみんなビックリ!!だってB'zとチュートの関係がよくわかんない!チュートはCSで音楽番組をやっていますが、若手のアーティストしか出ないからなあ。後でB'zのファンの方に聞いてみましたが、分からないということでした。

さて、ライブは漫才あり、コントあり、ネタバレはまだできませんが、本当に爆笑しました。笑いすぎて後頭部が痛くなったくらいに笑いました。あんな大笑いをしたのは、久しぶりでした。このところ、ルミネに舞台を観に行っていなかったので。

前回の単独ライブで私たちを笑わせたあのキャラも再登場。そして徳井さんの新たなモノマネも(笑)

さて、いよいよ次回の名古屋で千秋楽です。