我が家にも色々な宗教団体が来るけれど、当時(昭和30年代初め頃)出会った創価学会会員はまるで破落戸(ごろつき)だったなあ。
独身だったが、丁度アパートから出て庭付きの家を借りた時、手入れをせず草茫々(くさぼうぼう)になっていた。ある休みの日見兼ねたらしく、前の旧家の若奥さんが来て、草を取り花を植えるように色々教えてくれ、手伝って庭を綺麗にしてくれたんだ。
親切な人だと感謝していた。そんなある日「実は創価学会だけど、話を聴いてほしい。今度の休みに担当会員を来させていいか」と言われ、お世話になっているので承知した。
当日昼過ぎにテレビを観ていると男性が訪れた。挨拶もそこそこに部屋に上がると、いきなりテレビ電源を切ったんだ。???
そして自己紹介、電車の車掌だとか。なんでも行先の相手によっては、怒って殴られたことがあるそうだ。
勝手に長時間喋りまくり、質問する間もなく、いきなり入信しろと言った。
何が何だか判らず言うままにはならないのが、普通人の対応だと思う。それで当然断ったよ。
すると「そんなことだから幸せにならないいだ」とか悪口三昧、呆れて追い返すと、戦後流行った(はやった)押し売りと同じとしか思えない、捨てセリフを残し、戸をバタンと力任せに閉めて出ていった。
そんなやつ殴られるのが当たり前だろう。
宗教とは弱い人、悩んでいる人、苦しんでいる人などを救う、有り難い教えじゃないのかなあ。
聞いた話によると、こういう押し売りは、人相の悪い男が「刑務所から出たばかりだが、カネがないのでゴム紐を買ってくれ」と市価の何十倍とかで売りつけたらしい。
大概怖くて買ってしまうらしいが、中にはビシっと断る人もいるみたい。するとこの創価学会勧誘員のような態度に豹変、悪態を吐きドアが壊れそうな閉め方で出ていくそうだ。
よく判らないが、当時の創価学会では1人勧誘に成功すると、幾らかの収入になるのかなあ、と商売にしているみたいに感じたよ。
戦後の混乱期ではあるし、当時の創価学会のことは日蓮宗の一派の、新興宗教ということ以外全く知らないけど、聞くところでは、富士山の方のタイシャク寺とかいうお寺とつるんでいるそうだ。
以上はあくまでもオイラの体験で、ここの実態を知らない者の受け止め方だけどね。
幾らなんでも今も同じか如何か・・・
個人的に何とも言えません。
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