ばちかぶり季記 人生いきあたりばったり

なんとかなるもんよ。・・・・・・たぶんね。

謹賀新年。

2025年01月01日 | 諸々



風なく暖かく、いい元旦でした。今年は水平線に雲がなく最高の初日の出でした。
一年を通して日の出を見ている夜勤のジイちゃんによると
「こんな日は年に数回だな。」 ほおおっ

年末に3本、9月と11月と6月の季記を書きました。
今年は病気話じゃない回も書けたらいいなあと思います。
ま、猫日記の方が手っ取り早いですけどww

使用カメラ:arrows Be3 F-02L
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法事で長野に帰った話。

2024年12月30日 | ながの
今年の事は今年のうちに、本年度最終回の第3弾。

今年は亡母の十三回忌がありました。早いもんです。
しかも私も兄も20年後の三十三回忌には生きているか??という年頃。
(うちは間の回忌はほぼやりません)
命日が同月4日違いの亡父の五十回忌(2年早め)も兼ねています。
幸いにも今年は命日が日曜日。きっちり命日の日に執り行いました。
すべて手配したのは兄ですがw
私は御仏前を多めに包んで、出席してくださった親戚に私からの千葉土産を用意しただけ。

この海っぺりの僻地から長野市まで高速バスと新幹線で日帰りは無理。
少なくとも法事の前日に前のり。法事が終わってから帰るのもとても忙しい事になる。
旧友たちに会いたいし善光寺にも行きたい。買い物もしたいじゃない?
実家近くの駅近ビジネスホテルを3泊とりました♪



兄にもらったJR東日本株主優待券で買った4割引きの切符。
以前はみどりの窓口で買う必要があったけど、今は自動券売機で優待発券。
券売機の前でオロオロする高齢者の図が頭によぎったけど、無事に買えました♪♪ エヘン。

法事の前々日に行って翌日は旧友たちと女子会ランチ定番のホテルメトロポリタンのビュッフェ。
何年ぶりに会おうとも同級生はいいものです。
クラス替えがなかった高校の女子同級生は4人だけでしかも東日本各地に散っているので、
故郷にいるのは中学の同級生です。
楽しくおしゃべりして満腹で実家に行ったら、前のりしてた兄が「夕食を予約してあるから。」と言うではないですか。
無理~~~と思ったけど最近入籍した姪が夫婦で来てるから初顔合わせとな。
うむ、それではしかたない。結婚祝いも用意して来たしね。
この姪の夫なる人物が我が家と同姓でして。兄に彼氏の名前を聞いた時「その苗字の男はやめろ!」と言ったんだけど(笑)。
もういっそ、跡継ぎがないウチの養子にしたろか。
ま、夫婦共に超高学歴なので、こんな田舎の家には住んでくれないだろな(^^A;
おっとりした姪が少し心配だけど、末永く仲よく暮らしてね。
善光寺大門近くの「西洋料理店 もりたろう」で軽いメニューを選びました。

さて翌日、法事本番。兄嫁や甥たち、兄の孫の幼児たち、叔父叔母従兄従姉妹も実家に集合。
ご住職がいらして十三回忌は無事終了。場所を近くのホテルに移してお斎の会食。



母方親戚は末っ子の叔父だけが来てくれました。その上の叔母は遠方へはもう無理とか。
元は6人兄弟姉妹だったんですけどね。
やはり6人兄弟姉妹だった父方は叔母ふたりが健在でそれぞれ従姉妹の付き添い付きで来てくれました。
ほかは市内の従兄がひとり。この従兄も兄より年上なので、兄の子孫以外は年寄りばっかり(笑)
みんなまだしばらくは元気でいようねっ



最終日の朝、善光寺へ行きました。
私は初参りも七五三も善光寺。私の産土神ならぬ産土仏です。
膝が悪いので機動力がない。ホテルチェックアウト後そのまま荷物を預けてタクシーを呼ぶ。
観光地で駅近ですからタクシーいっぱいいるけど、亡母の介護中にさんざんお世話になったタクシー会社に決めてます。
市内どこから電話しても「〇〇様、ありがとうございます」とすぐ来てくれてドライバーさんにハズレがない。←これ重要。
路線バスでも行ける大門前からだと緩い上り坂の長い参道がしんどいので仁王門、仲見世より先の山門の東側まで行ってもらう。
六地蔵の先、手水場の近くですね。
子供の頃は大門の西方にあった中学校まで毎日歩いて坂を登ったのにねえ。(母校は郊外へ引っ越してしまった)



山門前で出会った猫さん。首輪あり。のび~~~~

まずは金堂の外陣で普通に参拝。次に来れるのはいつになるかわからんので拝観料を納めて百五十畳敷きの内陣でも焼香。
その後そのまま後方中央付近で座って母の供養を兼ねてしばし金色(こんじき)の旗鉾や華慢、来迎二十五菩薩像を眺めていました。
するとある家族のお骨上げ法要が内々陣で始まるとかで、案内人のおじさんに「どうぞ近くの方へいらっしゃい。」と呼ばれました。
絶対秘仏である善光寺如来仏の前には御開帳の時だけ姿を拝める前立本尊の厨子があります。
通常はその手前に二重に戸帳(緞帳)が降りている。大鐘や太鼓の音と共に手前側の鳳凰の緞帳があがって龍の緞帳が現れました。
(お骨上げ法要とは長野だけの呼び方かもしれませんが、菩提寺による葬式のあと、納骨前に行います。
半世紀近く前の亡父の時は大本願(善光寺住職がいる尼寺)でやってもらいました。)
法要は数分で終わり、これで法要料いくらなんだろう?と下賤な事を考えつつ帰ることにします。
内陣出口近くにいた案内人さんに昨日亡母の十三回忌だったことを話すと「ちょっと待ってて」と。
奥の小部屋から散華(紙の蓮の花びら。法要の時に蒔く)を持って来てくれました。ありがとーー!
あとで調べたらお骨上げ法要だけなら法要料はそんなに高くなかった。

帰りは歩いて大門まで出ました。まずは大勧進(もうひとりの善光寺住職がいる寺)。



放生池の亀さんに会いに。



橋の反対側には大賀バス。

仲見世ぶらぶら。早めのお昼でも食べておこうか。
名店の「丸清」の開店を待って入りました。間口一間半くらいの小さい店です。
母とも来た店です。「とんかつと石臼轢きそばの店 丸清」→ こちら
まだそんなに空腹ではないので、少なめのもり蕎麦とミニヒレカツ丼の「もりセット」。
お蕎麦おいしい。カツもおいしい。私は冬の旅先の駅ソバ以外は冷たい蕎麦一択。



大本願さんに寄って大門を出て「八幡屋礒五郎」で瓶入り柚子七味とハンドクリーム買って、
またタクシー呼んでホテルに戻り荷物をピックアップして駅へ。
さ、駅ビルでもう少し買い物して帰りますか。お土産のほとんどは宅急便で送りました。
キャリーケースの中は東京駅での買い物用に空けておく(笑)。
湯田中温泉にも行きたかったけど果たせず。

往路は雨模様で浅間山は見えず。復路も雲が多くて見えない。
この辺で見えるはずなんだけど??ってあたりの新幹線車窓。



軽井沢あたりは土砂降り。



私は晴れ女で、怪しい天気でも私が屋外にいる時は降らない。
法事の日もそうでした。
ただし、最初に家を出てバス停までの間だけは何故かたまに降ります。
また「予定したお出かけの時限定」であって普段の通勤時は雨の日は雨です。
私がどこへ行くのか、お空が見張ってる??(笑)

新幹線は無事に東京駅に着き、また高速バスに乗って僻地の我が家にたどり着きました。
女子会ランチと善光寺と懐かしい便利な街の暮らしとお買い物を楽しんだ法事でした。

はい、今年2024年の話はこれでおしまい。




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両目サイボーグ化!!

2024年12月28日 | 眼科の話
2年前に右目の白内障手術をしました。
その時の話は こちら↓
「白内障の手術を受けました。その1。」
「白内障の手術を受けました。その2。」
「白内障の手術を受けました。その3。」


前回の術後、「失敗した!」と思ったのは短距離焦点の人工レンズにした事。想像したよりも焦点距離30cmは近かった。
それでも視界がクリアになったのは快適でしたけどね。
さて、2年たって左目視界も霞がかかってきたので再度挑戦です。
前回より若い医師です。
手術日を決める診察回と色々事前検査の回を経て、涼しくなった11月に手術。
同じこと2回目となればそうそう新しい話もないけれど、
薬品が足りなくなっていると聞く昨今、麻酔薬も足りないそうで、ケチってるんでしょうか。
術中に3回ほど「痛い!」と抗議しましたわ。
指で目玉を洗うっていう工程もなかったよ。
まあそれでも無事終了して1泊入院へ。(送迎者がいれば日帰り可能です)
今回もクリニック棟最上階のおそらく人間ドッグ宿泊用階でした。
経過観察とか治療とかの必要がない「ここで一晩おとなしくしててね」って患者用にしてるのかな。
2人部屋でしたが同室者なし。でも個室じゃないから前回より安い。ラッキー♪

お昼ごろ終わったのですぐに昼食が出ました。病人食じゃないやつ。
前回と違って普通に運んできてくれた。



鶏肉の青椒肉絲風が山盛り、完食(笑)。味噌汁しょっぱい。

落ち着いてから鏡を見て「なんじゃこりゃ?」



ぶ厚いパッド状のものをボテっと貼り付け・・・雑くないか?w
ま、外部に出ないからいいっか。(お見苦しい完全すっぴんです)



夕食。ポテトグラタンとミモザサラダ。おいしい。スープしょっぱい。



朝食。前回も朝はウインナソーセージだったなあ。

朝9時に診察階まで降りて待合室で普通に順番待って診察。終了。会計して退院。



病室からの眺め。よい天気。2年前は荒れ模様だった。

さて術後は前回よりも難航しました。午前中、日によっては夕方まで焦点が合わない!!
元々、右目は視界はクリアでも黄斑前膜のせいで物がゆがんで見えるのであまり役にたたない。
今回は焦点距離50cmのレンズにしたのだけれど、左目だけで見てもPCモニターの字が二重になる。
ほぼ「勘」で仕事してました。
長時間眠った日は見えない時間も長かったのでドライアイの影響もある??
それも1カ月もたてば慣れなのかなんなのか知らないけれど、ほぼ朝から見えるようになりました。
時々調子が悪い日もあるけれどね。紙の文字は見えてもPCモニターがダメ。
パソコン使わない、事務仕事しない、活字も読まないって人なら問題ないかなあ。

というわけで無事に両目がプチ・サイボーグになったお話でした。
今回は退院したその日のうちにネットで保険会社へ手術&入院給付金申請完了!

おしまい。

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憩室炎再び。

2024年12月27日 | 諸々
やっぱり今年中に書いておかないといかんかな、ということで超々久々の投稿です(笑)。
8年前の9月に大腸の憩室炎を発症しました。その時の日記は →こちら
今回も夏バテで食欲低下したあげくの9月早々です。おそらく免疫力が下がったんでしょう。

『9月1日の午後に右下腹部に痛みあり、かすかに記憶するイヤ~~な痛み。
1日おいて劇的に悪化はしなかったが幸いにも仕事が連休なので、えいっといつもの消化器内科受診。血液検査&CT。
上行結腸下部にいつのまにか出来てたバカでっかい憩室が炎症現場でありました。
婦人科で撮ってたCTには前から写ってたのに指摘されず。大腸内視鏡でもわからず。
憩室ができてること自体には急な害はないからアレなんですがね。
嫌気性菌に効くフラジール内服錠と好気性菌に効くレボフロキサシン内服錠処方。
ちなみに炎症マーカーCRP値は5.15。8年前は入院レベルの11.0(笑)。(基準値0.3以下)』

と、猫日記に書いて数日。あんまり経過がよろしくない。
薬が胃にあわないのか上腹部も痛い。だるい。食欲?そんなもの無い。
一週間後の再診日。CRP値は3.52。半分にもなってない。白血球数も増加。
「入院して絶食・点滴!!」となりましたが、病室の空きがない。
最初は「明後日なら」とかで「明日近所のクリニックで点滴してもらえるかな?」とか言ってたものの、
「明日なんとかベッド空けられそう、とりあえずこれから点滴しましょ。で、悪いけど明日出直して?」
よく覚えてないけど点滴用の部屋で過ごして終わる頃にはもう夕方。
これから帰っても駅から家までの路線バスなし(タクシーだと4000円)。
なによりも気力体力なし。ま、こんなことになるかもと最小限の入院支度は持って来てクロークに預けてた。
点滴中にスマホで近くのホテルを素泊まり予約。病院入り口から徒歩15分程度の距離をタクシー移動。

泊まったのは「亀の井ホテル 鴨川」。数年前まで「かんぽの宿 鴨川」だった。一年くらいリニューアル工事してましたかね。
内装は新しいのにフロント設備やサービスは「かんぽの宿」っぽいのが少し違和感。
8畳のきれいな和室。窓の外は大きな松の林。テラス部分が仕切りなしで広がっているのと調度のせいで広く感じた。
普段、12畳と8畳と仏間と廊下と全部あけっぱなし空間の家で暮らしているのにね。モノがないからだな。
ゴハン食べられないし(絶食)、お風呂だけでも入ろう!!ハラ痛いけど。
夜の女風呂は太平洋を臨む7階の展望風呂でした。広い!!きれい!!でも外はもう真っ暗(苦笑)。
夕食時間なのでガラガラ。体をさっと洗って、どぶんっとお湯につかって出ました。就寝。
朝もお風呂行きました。1階の松林を臨む庭園風呂。気持ちのいい露天風呂は底に傾斜があって半分立ち湯。
じゃぶじゃぶ一周歩いてあがる。
いつかバイキング2食つきで和室で2泊くらいしたいな。シーワールドも近いし。
チェックアウトしてお迎えのタクシー乗って、やっと入院!!!あ、入院手続きメンドクサ。。。

ふたり部屋だったけど同室の奥さまも毎日面会に来る旦那さまも物静かな方でした。
ただ、古い病棟で部屋のドアは1日中開けっ放し。
隣の病室が改装するらしく職員との打ち合わせやらが廊下で行われ、
昼間は「ここはどこのバックヤード?」と思うくらいの賑やかさ(笑)。重症患者はこの階にいないんでしょう。
それでも私は一日中点滴でテレビも見ずカーテン閉めてくうくう寝てた。時々スマホでネット小説。
3日間ゴハンもなし。同フロア内なら点滴引きずって移動自由。
ラウンジの自販機にあるのは水と無糖茶類とゼロカロリーコーラ。「からだ巡茶」が気に入って一日中ちびちび。



毎日点滴されてたのはピシリバクタ(ペニシリン系抗生物質)。それと水分やエネルギーの補給液。
4日目の朝、お腹がすきました! 良くなってきた証拠なので昼食からゴハン!

 

おも湯とペースト食。おいひい。



3分粥。鶏肉も野菜もペースト状。ただし「さつま芋のおろしあえ」をすりつぶすとだな…
「さつま芋風味の大根おろし」になる。これは珍味というか、いただけないw。



5分粥になった。シチューの具はたぶん歯がなくても食べられるくらい柔らかい。



菜花はまだペースト。青い葉物野菜は消化が悪いのだ。



大根の煮たのはキライ。



米粒が増えた。



カップに入っているのはバンバンジーにかける味ポン。



青菜はまだペースト。



タマネギの煮たの……キライ。

最後の朝食前の早い時間にシャワーを使わせてくれました。
退院前だから特別、だそうな。(そのぶん早くベッドが空くよね)
一番古い病棟なのでレトロなシャワー室だったけどサッパリ。

無茶しなければ普通食OKで退院しました。炎症マーカーCRP値は0.2。やれやれ。
7日間点滴三昧で左腕が肘上から手首近くまで青やら紫やらにぎやかに彩られ。
半月以上消えませんでしたーー。
右腕は点滴漏れで婆の腕が娘の頃に戻ったようにパンッと脹れて以後使わず。
「わーーー パックに入った鶏のムネ肉みたいーー」と思いましたね。



七日分の領収書。私の入院保険金と職場の健保からの傷病手当、
さらに健保から独自の給付もあって、そこそこ取り戻せたかな??



婦人科の時同様、今回もやっぱり毎日いいお天気だったらしい。ラウンジから見える海。
退院翌日から職場復帰しました。 おしまい。
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謹賀新年。

2024年01月01日 | 諸々

昨年はなんにも書いてないじゃないか、というご意見ごもっとも。
まあ、特に手術も新しい病気もしなかったのは、なによりでしょ。
それはともかく?今日使った写真は本日の初日の出写真でございます。
猫ブログのほうに日々雑記も少々混じっておりますので、
あちらをよろしくお願い致します(笑)
あちら→ 「今日のクラウスたち。」




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謹賀新年。

2023年01月01日 | 諸々

あけましておめでとうございます。
昨年ったら、白内障手術の話しか書いてない(笑)。
生存確認は猫ブログの方を見てくださいな。

「今日のクラウスたち。」


2023年、良い年でありますように。

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白内障の手術を受けました。その3。

2022年04月27日 | 眼科の話
『白内障の手術を受けました。その1。』
『白内障の手術を受けました。その2。』からの続きです。
備忘録として書きますので、だらだら長いのはご容赦を。



1日8,800円(税込)、一泊二日で17,600円の病室です。
フロア案内図を見ると検査室とか男女別更衣室とか浴場とかあったので
普段は人間ドックの宿泊に使われてるんじゃないでしょうか。ユニットバス内にも手すりがなかったし。
備品は冷蔵庫とテレビ(テレビ機能のみ)と湯沸かしポット。1人用のテーブルと椅子一脚。
アメニティといえるものは煎茶とほうじ茶のティーバッグが3個ありましたが、
お茶碗・カップ類なし。どうやって飲めと?(笑)
手指用消毒液のボトルはコロナ禍では必須。洗面台には薬用ハンドソープ。
コロナ禍でタオル類は持ち込み不可でレンタル制。顔も洗えない私は契約せず(^^A;
ホテル並みにアメニティ豊富な1日14,300円の個室(一昨年に利用)に比べれば簡素だけど、これで充分でしょ?
一般病棟4人部屋は6,600円なので、お得でした。w



夕食。人間ドック用フロア(たぶん)だけあって、同じ階にあるレストランで食べるシステムでしたが
術後ということで「運んでもらいましょうか?」と聞かれ、それに甘えました。
主菜は筍にお肉を巻いて甘辛に煮付けたものでした。
小鉢のほうの材料は謎。お揚げ?と思ったら違う。大豆たんぱく加工品のような食感。
一般レストランでの調理なので全体に普通においしかったです。完食。



朝食。ウィンナソーセージです。小鉢は山菜にツナをのせたもの。浅漬けは夜と同じだな。完食。

この2日間は、はるか南南東沖に台風1号がいて風が強く雨模様でした。
窓の外はこんな感じ。



動画もあります。風音が大きい。

←動画(YouTube)

寝起きのスッピンをマスクなし&順光で自撮りしたら、あまりのババアっぷりに驚愕。(実際ババアだけどさ)
マスクして逆光で撮り直す。これなら「見せられる」か。ちっちゃくして載せちゃえ。



術後に入室した時に血圧など測った以外は医療行為なし。
本当に「お泊り」しただけの入院でした。
ゆっくりたっぷり寝すぎて、持病の「寝起きの腰痛」がひどかったけど(^^A;
朝9時近くに一般外来診察階へ移動。待合室で順番待ちして診察。
顔に貼られたテープをまたしてもベリベリはがされます。おお、視界が明るい。
「大丈夫そうですね。」
一週間後の診察日まで洗髪・洗顔・化粧禁止ですよ。
寝る時に着けるゴーグルを買わされました。1,650円(税込)。
投薬は目薬2種。術前と同じ抗菌剤クラビット(1日3回)と抗炎症剤ステロイドのサンベタゾン(1日5回)。
通常はもう一種、痛み止めの目薬が出るらしいけど私のアレルギーを危惧して、無しでした。

「なにかご質問は?」と言われたので
「眼内レンズの実物が見たいです。」
「えっ?」 予想外&初めての事らしく、先生(若い。30代。)アタフタ。
「画像では見てますけど、実物見たいじゃないですか。」
「いやーー、サンプルはないですねえ。えーー7mmくらいのものです。」
まあ、勘弁してあげる(笑)

病室に戻って荷物まとめて退院です。お会計は保険診療分が5万円弱。
室料、ゴーグル代など自己負担分含めても7万円でお釣りが来ました。
私の医療保険では水晶体再建術は診療明細と領収書のコピーだけで保険金の申請ができる。
手術数日後には保険会社に書類を郵送済みです。
スマホアプリで写真添付でも請求できるようだけど、
PC入力に慣れた古い人間はスマホ入力より紙書類を揃えるほうが楽だわ。

術後の右目の視界はくっきりはっきり。未施術の左目よりも明るく明暗のコントラストが強い。
たとえれば右目視界は快晴、左目はやや薄曇りです。
ただし黄斑前膜はそのままなので、ゆがみも明確になって(笑)焦点はあっても文字の読み取りはキツイ。
目玉を縫ってあるので、眼がチクチクごろごろします。5日目くらいから少し楽になりました。

術後一週間目に再診察。視力検査などを経て診察。
経過良好で洗髪・洗顔・化粧の許可が出ました。就寝時のゴーグルもいらない。ひゃっほ~~~♪
ドライシャンプーを数回使ったから地肌は痒くはないけれど髪の毛が段々重くなってねえ。
顔はレンチンした熱いタオルで拭いてましたよ。お手入れは目の周りを避けてクリーム少々。
日頃、簡素な手入れしかしてない丈夫な顔で良かったw
術後に処方された目薬をなくなるまで差すようにとの指導あり。

仕事は事務と接客なので術後3日で復帰。地肌すっぴんに眉毛だけ描いていた。マスクさまさま。
埃が多い場所での仕事や重い物を運ぶ仕事の場合は、もっと長く休業する必要があります。
再診後からは通常の化粧に復活してます。元々たいして盛っていませんが。
目のごろごろ的違和感はまだあって充血あり、しんどいと片目つぶってる。
次の診察は1か月後。黄斑前膜をどうするか眼底検査をします。
ま、手術するのは右目が完全安定してからでしょうし当分先のことになりますでしょう。

以上、こんなもんかな。長々とおつきあい頂きありがとうございました。
白内障による右目水晶体再建術の体験記でした。

2年前の開腹手術による子宮および付属器全摘出の体験記が未読でしたらどうぞ。→ こちら(全4回)
ずっと3カ月毎だった婦人科診察。術後2年を経て、めでたく次回は半年後です♪


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白内障の手術を受けました。その2。

2022年04月27日 | 眼科の話
『白内障の手術を受けました。その1。』からの続きです。
備忘録として書きますので、だらだら長いのはご容赦を。

さて手術当日。
寝間着用の着替えと歯ブラシしか入ってない、化粧も洗顔も禁止なので化粧ポーチも入ってないスカスカのキャリーバッグ。
これにお出かけ用品が詰まったミニトートもぶち込んじゃって、完全すっぴんは抵抗あるので眉毛だけ描いて出発。
こういう時は今のマスク必須生活はありがたいですな。
11時前にクリニック棟の入院相談室へ。あれこれ書類を受け渡しのあと場所を変えてコロナの抗原検査。
鼻の穴に細い綿棒を突っ込まれてイタタタタタ。
30分ほどで出る結果はスマホ通知もしくは近くのロビーにいれば直接教えに来てくれる。
待つことしばし。結果はマイナス。クリア!!!パチパチパチパチ。
実はこの関門が一番心配していました。症状はないけど感染してたら困るなーーーーっと。

無事にクリニック棟の外来手術室へ移動です。
待合室で待機のあと呼ばれて更に中へ。荷物はロッカー。上半身は全部脱いでキモノ式病衣に着替え。
これは、万が一の緊急救命事態にすばやく対処するための支度でしょう。
同じ目的で右腕に点滴用のラインも確保。
頭には不織布のキャップをかぶせられてテープでぺたぺた固定保護。
間隔をあけて目薬をさされながらまた待機。
やっと手術室へ呼ばれたのは予定通りの13:30でした。

左腕に血圧計の腕帯。右手指先にパルスオキシメーター。
顔は更に布やテープでペタペタと覆われていきます。目を開きっぱなしにする器具も装着。
そういえば私、眼科で外科的処置を受けるのって人生初なんですよね。
気分は「時計仕掛けのオレンジ」。。。。
局所麻酔薬やら消毒薬だかなんだかじゃぶじゃぶかけながら
「はい、眼を洗いますねーーー」
って、うわああああ、ちょっとちょっと、もしかして指で目玉洗ってますかぁーーー????
麻酔効いてるから全然痛くはないけど、物理的な感触は少しありました。
そしてなにを装着されたのか目は開いてても普通には見えていません。
暗い中に3つの光点があって、それを見ているように指示されます。
目玉にナニかされていること10分か20分間くらい? でしたでしょうか???
『うげぇぇぇぇーーーー 私の目玉にナニしてんのーーー!!』
という、ある種、根元的な不快感ですね。痛くはないですけど。
「もう終盤ですよーーー」と声がかかる頃には視界の縁、周辺部が見えていて、
先生が糸で縫うような動きをするのがわかりました。
もっと見えるようになる前に右目は眼帯ガーゼで覆われて、
かわりに事前に顔にいっぱい貼られた保護テープがベリベリはがされる。
「これが一番痛いって言われますね。」とか言いながら容赦なくベリベリ。
まったく、もうっ

「終わりました。お疲れ様でした。」「ありがとうございました。」と歩いて部屋を出て、
自分の服に着替えてしばし待機。私は入院するので病室看護師の迎えを待って念のため車椅子で病室階へーーー。

具体的に私が目玉にナニをされたのか解説しましょうか。
目のレンズ(水晶体)を包む袋状の膜(水晶体嚢)に小さい穴をあけ、濁った水晶体を超音波で砕いて吸い出します。
残った膜の中に柔らかい人工レンズを挿入します。顕微鏡下での作業らしいです。

この人工眼内レンズが一般化する前は、水晶体除去後はメガネやコンタクトレンズで補正していました。
40年以上前に私の知人が手術した時は、高齢者ゆえに初めてのコンタクトレンズに苦労していましたね。
今の眼内レンズは死ぬまでもつそうですから、技術の進化はありがたいものです。
このレンズ、単焦点と多焦点のものがありまして、この病院では単焦点レンズのみということで
私は一番短い焦点のレンズを選択しました。手元の文字が見えれば良し。
若い頃から近視なので遠くが見えないのは慣れている。遠くは物の形がわかればいいんです。

さて「その2」はこのくらいで。
続きやどうでもいい話は「その3」に続くーーー。
『白内障の手術を受けました。その3。』


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白内障の手術を受けました。その1。

2022年04月27日 | 眼科の話

海辺に咲くハマエンドウ

お久しぶりです。私の生存確認は「今日のクラウスたち。」でお願いします。
あっちは毎日更新しています。
日々のちょっとした事もついでに書いちゃうので、余計にこっちがご無沙汰に(^^A;

さて、わたくし、64才と1カ月にして右目の白内障の手術を受けました。
水晶体を人工レンズに交換してプチ・サイボーグになりました。
自覚したのは2年くらい前になるかな。強い光が視界に入るとやたらまぶしい。白内障かな?と。
だけど、普段、朝日を背負って出勤し夕日を背負って帰宅するのでそれほど気にしなかった。
あるとき夕日に向かって自転車を走らすハメになったとき、うわあああーー2m先が真っ白で見えない!!
で、これはヤバイ、マシな左目になにかあったらどうするんだと。。。
改めて片目ずつ世界を見てみれば右目視界は濃霧の世界。完全にすりガラス越しでした。
それでもまだ、内科・婦人科・消化器内科・整形外科とあれこれ受診でついつい後回しになっていた眼科。
3月に「えいっ!!今日は眼科行ってくる!!」と貴重な休日つぶして予約なし受診したらば、
初診で手術日が決まりました。春休み中は職場が忙しいので4月半ばという希望で。

白内障ったら、もうはっきり目が白くなっちゃうもんだと思ってたけど、私の目は素人目にはそれほどでもなかった。
あの白い目になっていた婆さま爺さまはどのくらい物が見えていたんだろう??

右目は元々10年以上前から黄斑前膜(→ 参考資料)を発症していましてね。
黄斑前膜は黄斑変性(失明する危険がある)とは違って、物がゆがんで見えるだけなんですが、
物は見えていても文字がゆがんで読み取り辛くなって不便です。
左目がまだ視力があるので生活できていたわけですが。
9年前に診断された時は「将来、白内障の手術する時に黄斑前膜の手術もやることになるでしょう。」って言われたのに。
思ったより早くその時が来たら「リスクが大きいから別々にやります。どうしてもと言うなら大学病院を紹介します。」
ってさ、最近この大病院って色々細かい面倒は極力排除してるような。。。(担当医は当時と違う)

今は白内障手術は日帰り手術が主流です。技術が進化して術後の絶対安静の必要がなくなったせいでしょう。
とはいえ片目で帰された翌日には診察があり、2日にわたって送迎要員が必要です。
(うちに免許持ちはいない。当然、車もない。バス+電車+バスで片道1時間。)
先生も「う~~ん、車なしで帰るにはちょっと遠いかな。」
だいいち、風呂どころか洗顔もできない身で帰宅して、もしかして私、ゴハン作るの??
化粧も出来ないのにまた出かける支度して病院来るの??それって帰宅する意味ある???
と思ったので、一泊入院も付けてもらいました。

タワー棟個室(税込14,300円×2日)か一般病棟4人部屋(6,600円×2日)か希望を聞かれ、婦人科の時と同様に個室を希望。
ただしコロナのせいで病室不足の折、どっちになるかは前日連絡とな。
近くのホテルに泊るって案もチラリと脳裏をよぎったけど、あの辺のホテル高いのよね。
顔半分べったりガーゼで独りでリゾートホテルってのもねえ。ホテル泊じゃ入院保険金でないし。
白内障手術なら手術保険金がでるし。保険診療分はあらかじめ健保から「限度額適用認定証」もらっておいたし。
有給休暇も3日間取った!!!プラマイ足りるかな、と。w

手術前日、電話あり。
「申し訳ありませんが、個室は空きがございません。」
あーーー 4人部屋かあ。ま、一晩だけだしーー と一瞬思ったら
「クリニック棟6階の個室ならご用意できます。1日8800円です。」
そんな部屋があるんかいっ 「はいっ それでお願いします!!」
4人部屋の3割増しで個室はお得でしょ。よしっ。

術前検査は色々やりました。
血ぃ採られ、おしっこ採られ、心電図録られ、様々な眼科検査機械の前を転々と・・・
黙ってると何やられているかさっぱりなので、最初の検査のあと「今の機械なあに?」と聞いてみた。
次の機械からは「これで〇〇を測ります。」と教えてくれました。
どういう仕組みで何がどうわかるのか興味津々、根掘り葉掘り聞きたい事象だったけれど
検査は次から次へと続くし、どうせ文系アタマでは聞いてもたいしてわからぬ。
実際なにを測ったのかも、聞く端から忘れてもうた婆です(笑)

それから、手術3日前から1日3回抗菌剤の目薬(クラビット)を差します。
それはちゃんと覚えてたんだけど、「さて、と」と事前に渡された書類も広げてみたら、
術前2週間の体温記入表なるものが出て来た。ひょえ??・・・コロナ対策ですな。
ええと、職場で毎日測って記入しているのを写しました。根拠ある数値なのよ。まとめて書いたけど。
保証人のハンコは半月前に郵便往復で実兄にもらっておいたから大丈夫♪♪

さて、事前の話はこんなもんかな。ではこれは「その1」として、続く。

『白内障の手術を受けました。その2。』





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謹賀新年。

2022年01月01日 | 諸々

あけましておめでとうございます。
虎図ったら伊藤若冲でしょ。
模写絵だそうですけど、元絵より有名w
個人年賀状に使おうかなとも思ったけど、
ま、やっぱり自分とこのトラ猫共にしておいた。

今年も「季記」になるような気がしますが
思い出したらここを覗いてみてくださいませ。
生存確認は猫ブログ(→こちら)のほうでよろしくお願いします。

2022年 元旦 うりゃ

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ご無沙汰にもほどがある。

2021年11月04日 | 諸々
はい。11月ですね。「季記」とはいえ、梅雨も夏も中秋すらすっとばして晩秋の域に入りましたな。
私の生存確認は、猫ブログ 「今日のクラウスたち。」でお願いします。
あっちは相変わらず毎日更新してますんでw

何事もない日々が続いております。
仕事行ってーーー 疲れ果てた休みの日は家でうだうだしてーー 
たまの遠出は地元クリニックか安房鴨川の病院で定期診察。
腫瘍マーカー値は下がったきり変化なし、造影剤入りCT検査も無事クリア。
脚と腰の痛みが続くので、ついでに整形外科も受診。
当日飛び込みながら(予約制)無理を言ってベテラン先生に診てもらう。
レントゲン結果は「トシ相応だね。ストレッチしなさい。」うむむ。

新型コロナウイルスワクチンは地元クリニックで7月末とお盆過ぎの2回終了。
1回目副反応は接種当日夜が腕の痛みのピークだったらしく、翌朝には軽減。
腕があがらない、なんてこともなく。熱も出ず。
2回目は当日と翌日ひたすら眠かった眠かった。寝すぎて常に増して腰が痛かった。
年齢が年齢ですからまあこんなもんでしょ。

緊急事態宣言下にも関わらず、夏休みの海っぺりホテルは忙しかったです。
例年なら早くから予約で埋まる時期、キャンセルも多かったけれど
前日から当日朝にどんどこ入る新規予約。
「やっぱりどっか行こうよ、あ、部屋空いてるよ!」で来るんでしょうな。
いつもとは少し違う種類のお客様が多かったように感じましたね。(多くは語らん)
そして海水浴場が開設されず海の家もなく監視員もおらず海辺の公営駐車場はすべて閉鎖。
宿をとらず日帰りで海遊びに来ても車を止める所がないので、
「お金払うから駐車場を使わせてくれないか。」という問い合わせ多々。
「お泊りのお客様で満車予定ですので。」って断るよねーーー。(実際に満車)
ま、なんとか無事に夏は終わり、緊急事態宣言が解除されても今は閑散期です。

庭の箱畑だけで栽培した夏野菜はキュウリとミニトマトと紫蘇のみ。
ああ、収穫物の写真すら撮っていやしねえ、アタシ。
最初にウワッと生る「キュウリ地獄」は、職場に持って行って配ることで解決。
日持ちするトマトも住み込みスタッフ達に数回配布しました。好評なり。
去年のこぼれ種から発芽したもののキュウリに負けてへろへろしてたゴーヤは、
ツルを撤去するときになって「あら、実ついてたのね。」 ・・・時すでに遅し。

今日、トマトの跡地にソラマメの種をまきました。去年の残りの「打越緑一寸」です。
家の裏の畑は今季も放置です。(こまめに管理する時間と根性がない)

そんなわけで半年分の写真、一気掲載。季節はずれにもほどがある。
(猫ブログで掲載済み多。)



↑ 今年のクジャクサボテン。6月上旬。花が終わったあとで久しぶりに植え替えしました。



↑ 庭のすみっこの黄ユリ。6月中旬。白ユリは完全に消えたらしい。



↑ 今年のマーマレードと梅ジャム。





↑ いやんなるほど快晴。千倉駅跨線橋上からと安房鴨川の海。6月15日。



↑ 庭のハブランサス。背後は青紫蘇。6月上旬から庭のあちこちで開花。



↑ 7月8月の写真が何もない。いきなり9月中旬のヒガンバナ。



↑ やっと静かになった9月下旬の海。



↑ 10月の海。たっぷんたっぷん。

使用カメラ:arrows Be3 F-02L
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春から初夏へ。そして梅雨も間近。

2021年05月14日 | ずぼらな菜園
前回から早くも2か月たちましたか。ううむ。
4月20日で昨年の子宮全摘出から丸一年たちました。年寄りの一年は短いっ。
3カ月毎の腫瘍マーカー値も経腟エコーも異常なしで過ぎております。
いまだにたまに腹の傷が痛いくらいで婦人科的には問題なし。
夏過ぎにはCTを撮るらしいな。





3月中旬はチューリップが咲き、何年も前に植えた実桜が初めて花をつけ。







スナップエンドウの花が咲きほこり、ソラマメがすくすく。青紫蘇が発芽する。
そして、4月半ば。
庭に作った半坪ほどのソラマメ畑の収穫とスナップエンドウの収穫。



近年の当地のソラマメはずいぶん早くてね。4月上旬から出荷が始まって、下旬までにはほぼ終わってた。
今年は数キロ先では霜やら潮やらで「全滅」した地域もあちこちに。
とりあえず収穫できた我が家周辺はマシだったようだ。
私が育てた品種は「大粒濃緑一寸そらまめ  打越緑一寸」。普通の品種より豆のミドリ色が濃くて好き。



お歯黒の"お"の字もないヒスイ色の超早採り。これが食べたくて自家栽培する。
その後2回ほど少量の収穫をして、先日「さて。トマト畑の準備をするべ。」と株元から刈った。
そしたら株元にびっしり花がついていた。



すごいなーーー。でももう実にはならないでしょ?
幼虫時代からずっとアブラムシ退治に働いてくれたテントウムシがいる。
高いところから飛ぶ習性から「高いところーー高いところーーあれ?先がない!?」
と、刈ったところを登ったり降りたりしてるのを見かねて捕まえて、
私の指先を空に掲げて飛ばせてあげました。そんなに遠くへは行かなかったけど。





道端のクワの木に実がたくさん。黒くなれば食べられる。
クワの葉が好きなミスジマイマイがいる。



よその家のアジサイの花が目立ってきた。もうそんな季節。



緑色の蕾がびっしりと集まっているのを見ると
どこか畏敬の念に近いものを感じる。いや、なんか凄いなーーーと、さ。

夏野菜畑の準備をする前にトマトとキュウリの苗が届いてしまった。
うん、まあ、次の休みの日になんとかするわーーー。

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春かな。

2021年03月11日 | 温暖な土地


スズランスイセンが盛りです。



昼下がりに帰宅したらオキザリスが目いっぱい開いていた。
鉢から地面に逃げたヤツらのほうが大輪になってる。
カタバミ属は丈夫でいいね。



朝方や夕方、曇りの日にはきっちり巻いている。お日様大好きな花。



上方は何年も植えっぱなしで年々小さくなるムスカリ。



むくむくと盛り上がるカラスノエンドウ(ヤハズエンドウ)。
古来は食用。今では雑草だけど有用植物ではある(緑肥とか根粒菌とか)。



チューリップの鉢を覗いたら、おお、ツボミが



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もう春が来るのか。

2021年02月20日 | ずぼらな菜園
ふと気が付けば、あと一週間ほどで今年も6分の1が過ぎます。なんてこった。

数年前に苗木で買った実桜。品種は忘却。
毎年初秋の台風の潮風害で葉っぱが落ちてしまうせいか
いまだに実どころか花もつきません。
でも! 去年は! 台風が来なかったので!!
初めて紅葉するまで葉っぱがもちました!!!



写真は1月上旬。さすがにその後の寒波で落葉しましたが、
・・・今年の春は少しは期待してもいいのか???
他の落葉樹も今季は長持ちしましてね。



裏庭に滅多やたらに勝手に生えてきて、たいへん邪魔なイヌビワ。
今年は西日を浴びると黄金色に輝いておりました。おお、綺麗じゃないか。
これも1月上旬撮影。現在は裸んぼう。

畑を断念して庭先で9株だけ育てているソラマメ。すくすく。
ここのところの暴風で少し折れましたが、花がたくさん咲いております。



もうそろそろ先端を摘んでいいのか?(摘むと早く実がつく)
ソラマメは播種から収穫まで6か月かかる、長期戦の作物です。
コロナ対策自粛とGoToキャンペーン停止で職場が暇で勤務日が大幅減少。
こんなことならイノシシ対策しながら畑で作れたんじゃないかと思うけど、
まあ、種まきの頃は超多忙だったので仕方ないね。



1月1日、初日の出から30分後の海(笑)。

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謹賀新年。

2021年01月01日 | 諸々


あけましておめでとうございます。
こちらのブログは今年も「季記」としてがんばりますっ
日々の話は「今日のクラウスたち。」でどうぞ(笑)

うりゃ


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