ばちかぶり季記 人生いきあたりばったり

なんとかなるもんよ。・・・・・・たぶんね。

初日の出は。。。

2020年01月02日 | 海っぺりの話
  
元旦はあいにく雲が厚く、海からの初日の出は拝めませんでした。
あきらめて帰っていく人が多いなか、少々ねばっていました。

毎年、知人と見ているのですが、
毎年、思ってた場所と違うところからお日様が出る。
「あれ? あっち?」
「え? こっちじゃないの?」
水平線に目標物がないとはいえ、日の出に関しては学習能力がないとしか思えない2人。
特に今年は雲の隙間から複数の場所が明るくなり、
「わーー お日様いっぱい?」
私は大昔に読んだモンゴル民話の、"七つの太陽を射落とす"話を思い出していました。



こんな感じから



横一線に点々が並んだ日にゃ
「これ、雲の向こうに母船いるよね?」
「うん、うん。いるよねーー。それかデススター?」



日の出から30分後にはこうなりました。 母船爆発?

このあと職場に直行して仕事に入りましたので後は知らん。
午後にはよく晴れて、青い空と青い海~~



早朝出勤したぶん早くあがりまして、帰宅途中で地区の氏神さまに初詣して帰宅。



帰宅してからお雑煮作って、おせち詰めて、色々食べたら眠くなって
早々に寝てしまったので初日の出報告遅れました。(今日も仕事)
今年もこんな感じっ(笑)


台風15号の長い話。

2019年10月07日 | 海っぺりの話

    ↑ 落ちた鬼瓦(隅棟の切据鬼)

9月8日から9日にかけての台風15号について書いておきましょう。長文になりますよ。
停電解消後にとりあえず近況報告は猫ブログのほうに書きました。
こちら→ 「今日のクラウスたち。」9月ぶん。

≪概要≫
9日(月)未明:停電
9日(月)10時頃:docomoが圏外に。TV電波も停波。
10日(火)水道局が給水所の開設始める。
11日ころ 防災行政無線がバッテリー切れで停止。(←ダメじゃん。)
12日(水)出が細くなっていた水道、完全に断水。
12日(水)15時:中継塔付近の停電解消し、docomoの電波復活。メールどさっと到着。
12日(水)20時:我が家の電力復旧。だが、私のパソコンが通電しない事が判明。
13日(木):陸自の災害派遣部隊が3キロ先の施設に到着。夜からお風呂の提供。
       その他、福祉施設などで浴場開放あり。
15日(日):我が家の断水解消。
17日(火):こども園、小学校、中学校の再開。

まずは8日夕方。予報では最大瞬間風速60m/sということで、雨戸嫌いの私も雨戸を閉めました。
なんで私が雨戸が嫌いかというとですね、実家には雨戸がなかったからなんです。
上京後に雨戸がある部屋や家に住んでも、真っ暗な部屋がいやで雨戸は使いませんでした。
アパートの部屋で写真を現像するには便利でしたが(笑)。
雨戸がなかったのは実家の特殊事情ではなく、あまり強風が吹かない地方だからです。
おそらく大昔は和紙の障子と雨戸、という構造だったのが
小さな普通の家ではガラス窓が雨戸に取って代わったのでしょう。
近所の大きな家の縁側はガラス窓と雨戸の二重になってましたけど。
更にアルミサッシ窓の登場で当時の雨戸はほとんど省かれたのかと思います。
ところが、今では全国共通ハウスメーカーの仕様で雨戸は標準装備めいています。
昔は実家から信越線で上京する時に軽井沢までは沿線の家々に雨戸はありませんでした。
横川峠を過ぎて群馬県に入ると、ほぼすべての家に雨戸が出現。
なんで昼間でもわかるかって、そりゃ昔の戸袋の有無は遠目でもわかりましたわ~~。

閑話休題。

風雨が強くなったのは22時過ぎくらいからの夜更けです。
開けっ放しの窓と扇風機で夏を過ごす家なので、暑いよ暑いよと言いながらも就寝。
雨戸のせいで通常の嵐の音との比較ができませんが、バタバタボタボタと音はうるさかった。
午前2時過ぎに目が覚めたら停電していました。でもまた寝まして。
9日は非番だったので少しのんびり起きだしたら、まだ停電中。
家の外に出てみましょう。
あらぁーーー 雨どいがほとんど落ちてしまいました。
南側上部壁の漆喰も落ちました。
屋根を見ましょう。傾斜地なので上から見られる裏側。北西隅の切裾鬼瓦が塀の外まで飛んでました。
あんな重いものがねえ。幸いにも塀の外は草地なのでパカッとは割れていません。
平板瓦はあちこちでズレていますが、重大な被害ではなさそうです。
ブロック塀の一部がこわれてアルミフェンスが曲がっています。ま、これ無くてもいいヤツ。
その真下、敷地北西の隅にある稲荷の祠が台座から後ろにズレています。
私ひとりの力では1cm傾けるのにも苦労する、××(伏字)重い材でできているのに。
格子扉のある前側から相当な風が吹き込んだのでしょう。
私、そのすぐ脇の座敷で寝てたんだけどなーー(^^A;

西隣の家では銅板葺き屋根の一部がめくれました。
150軒ほどの地区内では半壊の家もあります。
地震災害のように板瓦がザアーーと落ちた家あり、棟瓦が落ちた家あり、壁が抜けた家あり。
古い家や物置が壊れて破片が風下の家に飛んで、その家の破片がまた飛んでという事があったようです。

この時点ではdocomoの電波は生きていました。お隣さんのauは早朝すでにダメだったようです。
停電なのでテレビは使えませんが、ワンセグTVは見れました。
テレビ電波送信塔は生きているということです。
当地区はNHKに見捨てられた地デジ難視聴地域なので地区独自で建てた受信設備です。
停電時用に蓄電池を抱かせてあります。
午前10時頃、ケータイが圏外になりました。最寄のdocomo中継塔のバッテリーが終わったということです。
ワンセグTVも圏外になりました。発電機は備えてありますがどうせ停電でテレビ見れないし。
テレビが見れたとしても、役にたつような情報はこの時点では流れてなかったでしょう。
ワンセグ需要もあまりないので、発電機は温存し作動させませんでした。
それでも蓄電池で8時間くらい動いた、という実証データは取れました(^^A;

停電なので当然、光ケーブルによるインターネットと光電話も最初からダメです。
ほとんどすべての連絡手段は途絶えました。
こうなるともう開き直るしかありません。幸いにも我が家には心配な親族もいませんし。

圏外になってるケータイでも防災情報メールは届きました。どういうシステムなんでしょうね。
情報メールが「広範囲で停電しています。」と流したのは午後1時前くらい。停電発生から既に半日。
「このまま停電が続くと断水の恐れがあります。」と言ってきたのは午後3時過ぎ。
でも、誰もが「どうせすぐに停電は終わるだろう。」と思っていました。・・・終わらなかった。

当日の月曜日は宅配コープの配達日でした。
どうなのかな?と思っていましたが、一週間分の食材すべて届きました。
お隣さんが発電機で冷蔵庫だけ生かしてるというので、冷凍冷蔵品の一部は預かってもらいました。
助かった(^^A;
この日の夕食はなんだったか忘れましたが、惜しい食材から使いました。
冷蔵庫はすばやく開け閉め。
調理はプロパンガスなので問題なし。インフラは原始的なほうが災害に強い。
給湯ボイラーは灯油なのですが着火が電気なのでダメ(泣)。
大昔のシンプルな風呂釜はマッチでも点火できたんだけどなーーー。
居間の真ん中に、普段使わない高さ40cmの燭台に燃焼時間4時間の大きなロウソクたてました。
田舎の古い家ですので仏壇にそんなものがあります。でも裸火って暑いね。
田舎の夜道は暗いので懐中電灯は大小各種常備してるけど、ランタン型の大きいのがあると良かったですね。

10日火曜日、パート勤務してるホテルに出勤しました。近所なので当然停電しています。
9日朝はレストランで朝食が出せず、軽食を客室に配ったりして大変だったようです。
エレベーター使えませんからね。私は非番で幸いでした。
1本だけ生きていた代表電話回線のバッテリーも終わり、予約客への連絡不能。
もちろんパソコンは使えず、ネットも断絶中。
電話がつながるところまで車で行って、本社に代行を頼んだらしい。(詳細は知らない)
窓ガラスとドアの破損数か所。真横からの強い風雨で、客室窓側からの浸水。
びしょ濡れになった窓辺カーペットを、ありったけのタオルとリネン類で救出。
その後数日間は冷蔵・冷凍食材の廃棄作業などなど雑用を。
エアコン無しだから暑かったですけど、真夏の客室清掃作業に比べればたいしたことない。
10階建てなので水は屋上タンクからの給水です。
停電後のチェックアウトで使ったぶんで終わったようで、全館断水。
通用口近くの1本だけが地下から直の配管で、海抜も低いので13日までそこだけ使えました。
1階トイレの前には大きな桶に汲み置きの水が水洗用に配置。
休業中はレストラン組も客室清掃組もお休みなので、
フロント組と住み込み組が交代で片付け作業に従事しました。
電気復旧してやっと全館掃除機がけ。
断水が終わればレストラン組も水を使った後片付けをしてました。
でもリネン洗濯屋さんの機械が被災して、通電してみなければ作動するかわからないという件もあり、
結局、営業再開は21日までずれこみました。再開後のキャンセルも多かったので経営的に大損害。
私も勤務時間が大幅に少なかったので大損害(時給パート)。

でも今は全部平常通りです。オフシーズンですが観光客の皆様、来てください。

停電中、自宅では懐中電灯で本を読んで過ごしてました。
ヘタに作業などすればお風呂が使えないのに汗をかきます。
だから、開き直ってジッとしてました。
非常用のラジオではNHKが災害地用の情報を流すのを聞いていました。
でも防災無線と防災メールで地域限定情報は得てました。
防災無線が燃料切れで途切れてしまったのは「何してんねん!!」って感じでしたね。
水道もこうなるとわかっていたなら早めに電源の要請とかしたんでしょうか??
取水・浄水・給水には相当な電力使うでしょうから無理なんでしょうか。

停電よりも断水のほうが精神的にきつかったです。
給水制限で水圧が下がると海抜が高い場所から断水します。
2~3mの段差が海まで4段階くらいある海岸段丘の地形です。
うちが細々出ていた日には上の家ではもう断水してた。
うちが断水した日に下の家ではまだ出ていた。
買い置きの飲料水に加えて頂きものの飲料水、水がでていたうちに浴槽に貯めた水、
それに近所で年中じゃぶじゃぶ湧いている湧水(飲めるレベル)もある。
給水所に行かなくても水は足りましたが、蛇口をひねれば水が出るという文明の消失は耐え難い。
料理材料も調理手段もあるけれど、後で鍋釜を洗う手段を考えると料理する気力も失せるってもんです。
おかげで少々痩せましたよ(もう元通り)。
テレビやネットは放棄しても、やっぱり水は大事ですね。

今回の災害が地域外に周知されるのには時間がかかりました。
まずは、房総半島の南側半分で、域内を通過する人が少ないどん詰まり地帯ということ。
停電で現地からの発信ができないので、外に状況情報が出ない。
知人の様子を見に来た人が被害写真をネットにあげたのが周知の始まりとも聞いてます。
やっとTVで取り上げられ、知人縁者たちが私にメールくれたのが11日前後のようです。
田舎の自治体に機動力がないのは熟知してるけど、県も動かなかった。
東京電力の甘い復旧予測も足を引っ張ったんでしょう。
もっと早くに援助要請をしていれば電気復旧した翌日にやっと自衛隊が来るなんてことはなかったのに。
南房総市も水やブルーシートや食料、ベビー用品を配布したけれど遅かったし、機動力がある人だけが取りに行ける。
現場も住民の個人状況もわかる各区の区長を使えば、本当に必要な人に必要なものが届くでしょう。
区長・区役員はメチャ大変だけどさ。(役員経験あり)
停電中でも館山のホームセンターは懐中電灯で営業してたそうですし、
電気が来れば他の商店も開く。自家用車があれば少し遠くでも買い物に行ける。
物流は当初からそれほど遅延してなかったし、「災害備蓄品、配布しました!」という実績を作っただけでしょう。

停電・断水が解消した現在、残るのは被害家屋の補修です。
そこらじゅうの屋根にブルーシートやテープが張られています。
お隣さんが頼んだ板金屋さんは300軒の依頼を抱えているそうです。
シートを張るほどの被害がなかった我が家は初日に写真撮っただけです。
罹災証明は市の出張所方面についでがあった17日に申請し、28日に現場確認の人が来ました。
南房総市職員ではなく助っ人の県職員だったようです。まだ証明は出てません。
保険(共済)の請求もこれから~~。記入用の書類はもらってありますけど。
パソコンは色々雑事が落ち着いてから、中古の一体型VAIOをポチりました。
到着後数日間ぼちぼちと孤軍奮闘して環境を整え、
毎日更新の猫ブログを再開したのは停電から18日後でしたね。
やっとほぼ全地域で停電が解消したのも、そのころだったようです。


さて。長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後に教訓をひとつ。

★台風が来る前日には必ず洗濯をしよう!!(ずっと洗濯したかった)



7月と8月の話。アツイノキライ。

2019年08月31日 | 海っぺりの話
蒸し暑かった7月。
海開きはしたのになかなか梅雨明けせず、
↓ 写真はたまたま晴れた7月24日。まだ寂しい海水浴場。。



↓ やっと夏本番の8月4日。ベタなぎ。



↓ 遠くの海に台風がいて珍しく波が立っている8月11日。
近隣の海水浴場は「遊泳禁止」の赤い旗が出ていたそうだが、
いつも波が穏やかなこの入り江は「注意」の黄色旗。



こんな風景を毎日見ながら、結局今年も泳がなかった。
毎日毎日働いてましたよぉーー 繁忙期だもん。
坊さまが棚経にみえる盆入りの日とかはもちろん休みをもらったが、
暑い。。。疲れた。。。眠い。。。暑い。。料理なんかしたくない。。。
まあだいたいこの繰り返しで、気がつくと夏が終わる。

夏野菜は7月の日照不足のせいかキュウリもナスも雌花が少なかった。
去年のこぼれ種からのゴーヤにいたっては盆過ぎにやっと実が付き始める始末。
同じ場所で先に発芽した青紫蘇の群れに負けたのかもしれない。
ミニトマトはそこそこだが、皮がいつもより硬いなーー。
どっちにしろ今はすべて草ヤブの中だけど。(例年通り)

アツツツツと言ってる間にミニキュウリは終了したようだが
最後のほうで変な形のが採れた。



おパンツ履かせたほうがいいですか?w

そして恒例の「陸上自衛隊富士総合火力演習」。略称「そうかえん」。
ニコ生のタイムシフト予約で夜に見た。
毎年8月後半の日曜日に実施だから、
これが終わると夏が終わるって感じのヒトは多いんじゃないか。


10式(ひとまるしき)どかんっ。




無事に状況終了のお約束シーン。

6月以来の久々のプチ遠出は3か月に1度の大病院行き。今回は薬もらってくるだけ。
病院前の海。なにが釣れるんでしょうか。



手前の砂地は砂丘状になっている。
痛い脚と華奢なサンダルで越えるのは億劫なので行かない。



左手のほうの浜にはサーファーが点々点々・・・
って、あの山の中にニョキッと立つ巨大クレーンは何???
帰り道の安房鴨川駅前にいた婦警さんに聞いたら、介護施設が建つそうな。
デカそうだねえ。

盛りは過ぎたがハマゴウの花がまだ少し咲いていた。この色あい好き。



風が涼しくなったね、日暮れが早くなったね、でもまだまだ暑いね、
とか言ってるうちに、『お彼岸』になってだな、
また墓掃除(草取り)しなきゃいけないんだろうな。。。アツイノキライ。。



三月の荒れる海。

2019年03月28日 | 海っぺりの話
確定申告のプレッシャーの中で始まる3月。
決算書と申告書の作成なんて、集中すれば丸一日の作業で終わるものなんだが、
その丸一日の隙間が取れないのと、追いこまれないと集中できない因果な性格が。。。
ええ、結局二晩集中して、ちゃんと期限内に二人分提出&納税しましたともっ。
私個人の給与所得ぶんは、ほんのチョッピリの還付申告。

誕生日も過ぎて、ワタクシめは61才の婆になりました。シニアの一年は早い早い。



写真は安房鴨川。巨大病院前の海岸。
朝まで暴風波浪警報が出ていたので海は盛大に荒れていた。
サーファーもいないねえ。





波しぶきで遠景が白く霞む勢いなので(写真は少々クリアに加工済み)
あんまり近くに寄らず、長居もせず。
だって塩分で全身ベタベタになるからさ。

病院ではこの日は造影剤入りのMR検査だった。
あの機械はゴンゴンゴンガガガガッってうるさいからヘッドホン装着なんだが、
たいした害はないが面白くもないインストゥルメンタル曲が聞こえる。
「リクエストできるなら絶対にデスメタルが合うよなあ。」と思いながら閉所で退屈していた。



こちらは現在、庭の隅で咲いているフリージア。
いつのまにか鉢植えから離れた場所に逃げだした、野良フリージアだ。
ススキの根元でカラスノエンドウやホトケノザに囲まれている。
冬に水枯れしやすい鉢植えの仲間よりも大きな花を咲かせている。
いっそ全部、地植えにしちゃおうかしらねえ。。。

でも、球根は勝手な場所に居ついた奴が一番元気に咲くんだよね。
通り道のど真ん中に居ついているスノーフレークは邪魔でしょうがない。
葉が出始めの頃は毎日のように自転車に轢かれるのに、それでも大株に成長する。
うちの庭は適者生存、弱肉強食、成長期に草刈りされるかどうかも運次第。の植物サバイバル世界。
・・・いいのかそれで?? ・・・いいんじゃない? それも。





冬グルメと冬景色。

2019年02月26日 | 海っぺりの話



帰宅途中で電話がなった。
「いま、どこーー?」
「○○さんちの前~~」
「その先にいて~~~」
しばし待って、自転車の前カゴにドシンッと入ったのは、黒鯛。関西なら「チヌ」。
全長52センチ、2200グラム。さっきまで生きてたそうな。
半身は刺身。半身がソテー。頭と中骨は煮付け。
ネットで見る「おろしかた動画」では包丁でプチプチと腹骨ごと切って三枚におろしていくけれど、
こんなデカイ魚のぶっとい腹骨、プチプチなんて切れないしーー と、多少苦戦しました。
今回の黒鯛は刺身が美味かった!!
刺身を作る時にひいた皮も煮付けに入れたので、翌朝には煮汁がぶるんぶるんの煮こごりになりました。
コラーゲンたっぷり~~~。
でかすぎて私の包丁では頭が2つに割れず、丸ごと深鍋で煮たので大量の煮こごり。
でも、煮こごりって、そんなにたくさん食えないーーー(^^A;



近くの畑から赤ムラサキ色のカリフラワーをいただきました。
ゆでてビックリ。青紫!!!!
ゆで汁も「青色2号か?」っつうくらいに青い。
少し前までの品種とは違うのねえ。
ま、酢を含むドレッシングをかければ赤紫に戻りました。
青い食品ってのはあまり食欲がわかないよねえ。。。
あ、「インスタ映え」するサラダの需要でもあるのか??

今では野菜は自家用だけ作るベテラン農家は新品種を試すのが好きなようだ。
右側の赤いのは皮だけが赤い大根。
甘酢に漬けると全体が鮮やかなピンクになる赤大根とは違う品種でした。
食感も巨大な二十日大根みたいな。サラダ用かな(笑)。



太平洋側の海辺では真冬は乾燥して空気が澄む。
厳寒の頃はひときわ遠くまでよく見えます。



正面左寄りに伊豆大島、その左の小さな三角は利島。
ここまでは日常的に頻繁に見える。
ひときわ寒かったこの日、画面右側半分の遠景に見えるのは伊豆半島。
中央の建物群を超えて少し西へ行けば、富士山もくっきり見えたでしょう。



これは刷毛を振ったような雲が多かった日。



こういう眺めは冬でも夏でも変わらんな。






おだやかな正月でした。

2019年01月07日 | 海っぺりの話


今日は冬型の気圧配置のようで、あくまでも快晴。家の裏山と真っ青な空。
右側のてっぺんがスカスカしているのは昨年の台風の潮風害によるもの。
マテバシイの樹高で山の高さの見た目が嵩上げされているのがバレてる。



野良のスイセンはそろそろ盛りを過ぎる。



元旦は初日の出を拝んでから勤務に出た。
お日様の高さだけ雲の隙間があってラッキー♪?



同じ元日の昼前の海。穏やかな正月でありました。



年末からずっと仕事だったので、いつものモナー神社でおみくじを引く。
大吉にしては内容がちょい厳しくないか?(^^A;

夏休みは終わったらしい。

2018年08月31日 | 海っぺりの話
7月頭に書いたっきりでしたな。
時給パート勤務先が繁忙期のため毎日黙々と働いておりました。
ヒマになるとシフトが減りますから稼げる時期に稼がないとな。

当地では台風直撃がなく、夏後半は日照り状態。
ただただひたすら暑かったです。
そんななか、お盆直後のほんの数日の涼しい時期。
海辺の夏は空気中の湿気のため風景がかすむことが多いのに
この時はからっと澄んだ空気で伊豆大島もその次の利島も見えました。(18日)
眼が良ければもっと先まで見えるのかも。(カメラより肉眼のほうが見える)



そしてその数日後の23日。台風接近の湿気で大島どころか数キロ先にある灯台も見えません。
(雨は降ってません。晴れてます。)



波も高かったねえ。



海水浴場は19日に終了し、少し遅れて海の家も解体。どうやら夏休みは終わったらしい。
そんな夏のいただきもの。その1。長野の桃。



産地住民と出身者だけが好む「硬い桃」は美味しい。
箱の底に敷かれているのは当然「信濃毎日新聞」。後で読む。

いただきもの。その2。少し早いからたぶんハウスものの長野産の葡萄。



奥がナガノパープル。手前がシャインマスカット。
どちらも皮ごと丸ごと食べられる大粒の種なし品種。
ナガノパープルは巨峰とリザマートの交配新種。
「巨峰は好きだけど皮むくの面倒」って方はぜひ食べてみて!!
と、『JAながの』に身内はいないが郷里ゆえ宣伝しておく。美味しいからね。

地元からのいただきものは禁漁明けの伊勢海老とかアワビとか。
つい最近なら大量の掘りたてのナマ落花生『おおまさり』とか大量のサツマイモとか。
山ほどの落花生をゆでて冷凍保存用に処理するのは一日がかりでしたよーー。

そしてこの夏の買い物。31年ぶりの新刊出来。



『究極超人あ~る』であ~る。



イノシシ肉と海辺の話。

2018年07月04日 | 海っぺりの話

ナマの骨付きのイノシシの肉をいただきました。 ど~~~ん!!!
外形はクリスマス前になると日本中のスーパーにあふれるチキンレッグの巨大版です。
だからモモ肉かと思ったのですが、太いほうの骨が肩甲骨でした。
あら、これ前足だ。 ウデ肉だわ(^^A;。
きれいに血抜きがしてあって、匂いも臭みもありませんでした。
骨から肉をはずして(下手なのでゴソッと大きくは取れなかったけど)
正味750gくらい。さて、どうすんべーーーー??

赤ワインやローズマリーやローリエが台所に突然出現する気配はまったくないので、
ハーブソルトとオリーブオイルをなじませてからフライパンで外側を焼く。
そののち、150度の低温設定のオーブンに放り込んで50分ほど。 終了。



脂身があっさりしてて赤身も美味しかったです。ワサビ醤油や味ぽん酢が合う(笑)。
実は直前まで 「耐熱パックに入れて湯煎する」というレシピ採用だったのですが
うちには冷凍用と冷蔵用パックしかないことに気付き、普通にオーブン登場となったのは内緒。
どんと来い、ジビエ!!

骨は冷凍庫で眠っています。豚骨スープになる?

さて、そんなこんなで気が付くと7月。しかも梅雨明け済み。うそ?なんで?もう夏??
しかし、海は準備万端。



右側端に重機がいますね。砂浜を均したのでしょう。



その翌日。右端にパラソルがひとつ立っています。
さらに翌々日には海の家(浜茶屋)が1軒建ったようです。早いなーーー
ライフセーバーが常駐する海水浴場としてのオープンはまだ半月先のはずです。

この時期、海辺では地区住民総出の海岸一斉清掃があります。草刈りですね。
市に提出する証拠写真(草刈り前・当日・草刈り後)を撮るついでに海岸の写真もパチリ。





このへんは砂岩と泥岩の互層地層で、元禄地震でも関東大震災でも隆起しています。
元禄地震の時に5m以上、関東大震災でも1~2m跳ね上がったそうですから、
この岩も大正12年9月1日の朝までは海の中だったわけです。
ちなみに、海辺から200mほど離れた我が家のあたりが元禄以前の海岸線です。
いつか必ず来る大地震の時にはまた隆起するんでしょうか。



シマシマっ♪



シマシマ、デコボコっ♪



港の釣り船。 新造価格聞いてビックリ。償却年数聞いてその短さにまたビックリ。



カモメが飛んでいます。



う~~~~ん。夏の風情は嫌いじゃないけどね、暑いのは大の苦手。



漁港の自販機で買った飲料2種。寒天しるこ(冷たい汁粉に寒天が浮いている)美味しい。



たのくろ巡礼など秋の話。

2017年10月31日 | 海っぺりの話
こちらのブログはお久しぶりです。
私は9月は何をしていたんでしょうね。まあ特に何事もなかったんでしょう。

10月は6年毎の『たのくろ巡礼』のお接待当番が回って来ました。
仕事は休みをもらって当番を務めました。
たのくろ巡礼については6年前にも書いてますので、くわしくは下のリンクを読んでくだされ。

こちら → 2011年10月11日







お堂のすぐ裏は房総丘陵地帯の南の端っこです。照葉樹林のマテバシイがもこもこ。
お接待当番は2回あるのですが、2回ともだあれも来なかった。。。(日の善し悪しにもよるらしい)
毎日午前午後3人ずつも待機するのは当地区くらい、とも聞きましたし、
6年後の次は仮にお当番は残っても人数は減るかもなーー



↑ 観音堂境内の柿の木。
いいお天気だったんですけどね。

続いては秋の海。









外海で多少の波があっても港の中は静かです。

緊急避難港でもあるこの港に面しているおかげで
先日の大潮+満潮+大型台風の暴風で周辺で高潮被害が発生した時も
当地はほとんどが暴風被害だけで済んだようです。(ご近所さんは屋根が壊れた)
農作物などの植物は潮風害が発生しました。
海水が風で巻き上げられて塩分を含んだ雨が降る。
キク科やバラ科、シソ科、薄い葉っぱのものは一夜で真っ黒です。
無事に見えた照葉系も数日後に葉っぱがバラバラと大量に落ちました。
冬野菜やソラマメや花の苗が育ってきたところですから農家には痛手。
私の畑は・・・まだ・・・夏草の枯れ原のままだったので・・・
残しておいた庭の紫蘇やバジルが真っ黒になって枯れたくらいで・・・
桜の葉も紅葉前に全部真っ黒。嵐の翌日に真水を大量に掛けておきましたが、来春大丈夫かなあ?



↑ 葉っぱが真っ黒になって枯れたバジル。



↑ 中秋の名月の当日の夕暮れ。夜になって名月が見えたかどうかは推して知るべし。



↑ 9月のブランド桃。信州産。いただきもの。



↑ 10月のシャインマスカット。これも信州産。いただきもの。
ありがたく、もぐもぐ。


2月終了。

2017年02月28日 | 海っぺりの話
いささか忙しい暮らしになっておりまして、
あっという間に2月が終わります。
忙しいだけで、たいした出来事もなく、たいした写真も撮れておりません。

ま、なにはともあれ 海。太平洋。



夕日で光る遠い雲と頭上の黒い低い雲。変な天気でした。



お菓子がなにもなかったので、輪切りサツマイモを茹でてマッシュして、
テキトーに砂糖とバタと牛乳と全卵入れて、
どろどろ状をグラタン皿に入れて電子レンジでチンしたら膨らんだので上に焦げ目つけたシロモノ。
それなりになるもんだな。



畑のホウレンソウは2月上旬に最終収穫。



とりあえず生きています。
わたしゃ来月には59歳。ようやっと閉経したらしいし還暦まであと1年か。。。



入梅。

2016年06月12日 | 海っぺりの話
昨秋に鱗茎をもらった黄色いユリが派手に咲いている。
白いユリやヤマユリより1か月も早い。
早咲きの品種なのねえ。ただ、香りはかなり弱いね。

先日、野暮用で安房鴨川へ。雨こそ降らなかったがどんより。
遠くにサーファーがいるが風も波も空も中途半端な日和。



海草海藻の知識はほとんどないが、これはホンダワラの仲間でしょ。



これは ワンコの足跡だな。……たぶん。





東の山に西山の影が落ちている。
なんという事は無かれども。



家の崖下の窪地から仰ぎ見る景色は、見慣れた眺めとどこか違う。




雨の後。

2014年07月04日 | 海っぺりの話
夜中の大雨もからりと晴れた午前9時。
水量たっぷりの滝。 滝壺そばは涼しいけれど蚊がぶんぶん。



↓ 遠景。  雨の後だけの風景。



↓ 2日前の浜。 海の家(浜茶屋)の設営をしていました。ああ、夏が来るねぇ。



この前、カナヘビが日光浴していたガイラルディア アリゾナが一輪だけほころび始めた。
↓ ベニシジミがさっそく到来。 目ざといこっちゃ。



当地では冬だってお日様さんさんなので、夏が来たからどうということもなく。
わたしゃ育ちのせいか冬は平気で、体型的にも暑いのは嫌いだ。
海っぺりは内陸地のような猛暑にはならないけれど、
海からの湿気が増えるから、洗濯物も乾かなくなる。
それでも暑さがなければ野菜の実りもなく、お米だって採れぬ、アジア・モンスーン地帯。
どうか、ほどほどの普通の夏でありますように・・・・・・・・?



厭きた。

2012年09月10日 | 海っぺりの話
一週間前に2日ほど曇って涼しい日があったが、
あれからまた毎日、夜明けから日暮れまでピーカン晴れが続いている。
何回か夜間にザァーーー!!と雨があったから、カラッカラだった一時期よりマシだが。



青い空に青い海なんて、もうあきた っつうに。



去年はどうだったか調べたが、やはり涼しくなったのは彼岸過ぎからだったようだ。
あと2週間かぁ・・・・・・・・・・・・・orz


写真は2枚とも路線バス市内線の車窓から。


アワビと石鯛。

2012年08月29日 | 海っぺりの話
当地は田舎であるから周辺は畑であり、
有るところから無いところへと 「これ、食べて~~」「持ってって~~」と
農作物が飛び交うのは当然のこと。
その上に海っぺりであるから、海産物も飛び交う。
到来品のお福分けも含めて、物々交換だけでも生きていけるか?(笑)。

今回の海産物は 「けぇ(貝)」こと、活アワビ  同時に2軒から来た♪


塩でゴシゴシされて気絶したんだか死んだふりしてんだかの アワビ。


さっと茹でられて貝殻を取られてしまったアワビ。

さすがに高値換金品のアワビともなると、シーズン中に数回しかもらえないので
私にしては珍しく料理写真など撮ってみた。食べる直前に思いついて(笑)。


アワビのバター焼。 粒々はコショウ。
レシピというほどの事はない。切れめを入れてバターで焼いてコショウと醤油をちょびっと。


スライスして刺身。
完全なナマよりも半茹でにしたほうが甘くて柔らかいと思う。
肝の部分は醤油+砂糖+酒+生姜で、甘辛に煮ました。

そしてさらに。



↑ アワビの翌日に来た 40cm級のイシダイ。しばし格闘の末に刺身になりました。
食べきれない半分は生姜醤油でヅケにして、翌日おいしくヅケ丼に。

あ~~ おいしかった♪♪