ばちかぶり季記 人生いきあたりばったり

なんとかなるもんよ。・・・・・・たぶんね。

子宮全摘手術のこと。その4。

2020年08月31日 | 子宮全摘出
「子宮全摘手術のこと。その1。」
「子宮全摘手術のこと。その2。」
「子宮全摘手術のこと。その3。」
の続きです。

梅雨明けして以来続く猛暑。ほんとうにお暑うございます。皆様ご無事でしょうか。
8月1日に職場が営業再開して以来、繁忙期なのに休業前より半減したスタッフ人数で日々疾走しておりまして
「ああ、これが冬だったらもっと痩せるのにーー」(私、夏は極端に代謝が落ちる省エネ体質)
お腹はすくし食欲がまったくないわけではないけれど、「食べる行為がダルい」んですよ。
お茶碗持って箸であれこれ取って口に運ぶのがダルい。途中で疲れて嫌になる。
ワンディッシュでスプーンで食べられるものを少量、がベスト。
そもそも火を使う料理自体がしんどいですな。労働疲れももちろんあるけど、大元は暑いせいだな。
水分補給のほうは、9時間ほどの勤務時間中だけでもスポドリ系飲料を3本消費してますから大丈夫。

さて、開腹による子宮全摘手術から4カ月以上がたちました。
3カ月めにあたる7月21日に診察がありました。
術後に腹腔内に少し溜まっていた血もすっかり消えました。(経腟エコー確認)

血液検査では腫瘍マーカー値がどれも激減していました。
腫瘍マーカーの値ってのは、基準より高くてもそれだけでは悪性腫瘍(がん)がある証拠(エビデンス)にはなりません。
たとえば私の場合なら胆石持ちなので、胆石のせいであがる腫瘍マーカー値もあるのです。
良性腫瘍のせいであることもあります。
だから画像診断や細胞診などを併用して不調の原因を調べていくわけです。
しかし摘出なりなんなりの治療でガンを除去したあとでマーカー値が下がったならば
「ああ、これはやっぱりガンによる数値だったんだね。」ということになります。
そして月日がたってまたその数値が上がる事があれば、がん再発の目安になるわけです。
私は子宮および付属機器はすべてまるっと取ってしまったので、同じ部位の再発はありえないですけど。

体調はというと、術後40日で出血が終わったあとはオリモノもなく。
不随意に出てくるものが何もない生活がこんなに快適だってこと、すっかり忘れておりました。
だって、月経も含めれば半世紀ぶりのことですよ???(笑)
50歳すぎのころに少しあった尿漏れは、膝を痛めたことによる筋肉変化という怪我の功名wで止まったきりだし。
長年の習慣でパンティライナーだけは付けてますけど、日々カラカラです。

ただ、腹の傷の表面は実はまだ時々痛いです。縦直線にケロイドになった上っ面です。
梅雨時は低気圧のせいかと思っていましたが、8月猛暑の中でいきなり日々激務のせいか
時々チリチリチリチリ痛い。ま、「いててててて」って思うだけでさして実害はありません。

次の診察は10月です。あ、年内の乳がん検診の予約もしなければーーー
子宮頸がん検診の予約はいらないよね、膣はあるけど頸部がもう無い(笑)。



↑ まだ梅雨明けしなかった7月末の安房鴨川の海。



↑ 近頃の空。
あちちちちちちちーーーーー


子宮全摘手術のこと。その3。

2020年06月13日 | 子宮全摘出
前々回 「子宮全摘手術のこと。その1。」
前 回 「子宮全摘手術のこと。その2。」 の続きです。
今回やっと手術の話です。

まずは手術前夜。おへその掃除をされます。オイル垂らして綿棒くりくり。
通常の飲食は21時まで。下剤の錠剤を服用。21時から翌朝6時までの間に経口補水液500mlを2本ちびちび飲みます。
寝るまでに1本以上は飲まないと間に合わない。
翌朝。日頃から快食快便なのでちゃんと出るもんが出ました。さらに浣腸。苦手(泣)。すぐ出しちゃう。
シャワーを浴びて術着に着替え、脚には弾性ストッキングを履きます。血栓予防ですね。
結婚指輪もメガネも入れ歯もはずします。私の耳ピアスは面倒なボディピアスなので家ではずして行きました。

さて出陣です。看護師さんと歩いてエレベーターに乗り手術室階へ行きます。
術着は背中が開いてるのでバスタオルを肩に掛けられています。試合前の格闘家ですか?w
大病院なので手術室がたくさんあるらしい。メガネ無いのでよく見えませんでした。
朝一番の開始だったので同時にあちこちから患者が連れられてきて大賑わいです。徒歩あり、車椅子あり、ストレッチャーあり。
手術室前のホールで病棟担当から手術室担当に引き渡されます。う~~ん、なんか奴隷市場みたいな?w

私が入ったのは13番室だったような気がします。幅の狭い台に上って横になります。麻酔医が登場。
背骨の間に硬膜外麻酔用の針が入ります。「背中を海老のように丸めてください。」
ああ、すみませんすみません。皮下脂肪が邪魔で背骨がよくわからないようです。
「16番の〇〇先生呼んできて!!」という声が聞こえます。やがて無事に入ったようです。
私「今何時ですか?」 誰か「9時すぎですね。」という会話が術前最後の記憶です。

深い睡眠に入った後で人工呼吸器の挿管や尿道カテーテル挿入、剃毛が行われます。まな板の上の鯉ですな。
私は自分である程度脱毛していったので剃毛はなかったでしょう。(剃ると後でチクチクするから嫌)
手術が終わって目が覚める前に呼吸器は抜かれます。
やがて意識が戻って、私「今何時ですか?」 誰か「11時すぎです。」 約2時間でした。
後で聞いた話ですが出血量は少なく、輸血や特定生物(豚)由来製剤の使用はありませんでした。
ガラガラとストレッチャーで病室へ戻ります。「せーーの!!」4人がかりでベッドへ。

この間に夫は摘出された臓器を見ています。私の要望どおり写真を撮っておいてくれました。
開始時刻が早かったので夫は術前には間に合わず(田舎なので自宅からの公共交通機関は1時間に1本)、
術後もコロナ対策に慎重な人なので会わずに帰宅しました。
ま、無事に留守番して猫共の世話をしてくれれば、それでいいので(笑)。

手術当日のその後は痛み止めがよく効いていてあまり記憶がありません。
両すねには血栓予防のためのフットポンプが装着されていて時々自動で圧迫されました。
腕にも自動で動く血圧計がついていました。時々どこかでピピピピと音がします。
背中から入る硬膜外麻酔用エピのボタンを握らされます。
「痛みが我慢できなかったらこれを押してください。麻酔液がはいります。」
↓ これです。一度押すと次は30分過ぎないと押しても薬は出ないそうです。



スマホでこんな写真と自撮りをして、さらに加工してSNSで生還報告までしてるんですから
まあ、大丈夫だったんでしょう(笑)。
やたら喉と口内が渇いて、看護師さんが持ってきてくれた吸い飲みを手が届く所に置いて
水を時々ちびちび飲んでいたのは覚えています。

手術翌朝。体温・血圧・血中酸素濃度測定のあと、フットポンプがはずされてベッドから降りました。
簡単に言ったけど、まず起き上がるのも大変です。どっち向いてどこを支点にすれば激痛ではなく動けるのか?
まあなんとかゆっくりジタバタして起き上がり脚をなんとか床に降ろし・・・
部屋の入り口まで歩ければ尿道カテーテルが抜けます。
左腕に点滴、背中には麻酔がつながっていますがこれでトイレに行けます。
ただし排尿しようと腹圧をかけるとハラが痛い。そっとそっと・・・
術後数日は便がゆるかったのでマシでしたが、その後半月以上は排便には勇気が必要でした。
腹圧かけた時にグワァァッと痛く、モノが出た後もジイイイイーンと痛い。ああ、便秘体質じゃなくて良かった。
術後50日以上たった今でも排泄時の痛みは少しありますな。勇気は必要なくなったけどね。

点滴はこの日のうちにはずされました。どのタイミングだったかは忘却。朝食後でしょうか。
背中への麻酔が抜かれたのはそのまた翌日だったかな。もうカラになっていました。
麻酔薬を使いきっちゃうくらいだから、すっごい痛かった。個室なので遠慮なくうめいていました。
前回に書きましたが、この私が食欲ないくらい痛かった。2日前の夜以来、何も食べてないのに。
うんがぁーーーーー!!!!!! ぴぃーーーーー!! へとーーーーーーー って感じかな。

さらにお仕着せの術着?が上腿にすれて痒い。痒い。
常用の処方薬とともにリンデロンVG軟膏も持ち込んでいたので、看護師さんの許可を得て塗り塗り。
天然繊維じゃなきゃダメとかではないですが、皮膚炎をおこしやすい体質です。自分で自分にかぶれる。
硬膜外麻酔がはずされてやっと全身自由になったタイミングで私服(化繊です)に着替えました。
・・・・・・あれ?術後のT字帯から自前のショーツに履き替えたのっていつだったんでしょ??(^^A;

そういえば、術後から腹帯というものをお腹に巻いていました。サラシでできた腰ベルトみたいなやつです。
縫合場所が広がらないように抑え込むためだそうです。
これがね、筋肉質のお腹ならビシッと固定されるんでしょうけど、ぽよんぽよんのお腹だと、ずれる・・・
縦に切られた切開部分だって平らなお腹だったらもっと小さく済んだろうな、とお腹の肉を持ち上げてみる・・・
溶ける縫合糸を使っているので抜糸はありませんでした。縫合部を覆った半透明の保護テープには、かぶれました(お約束)
自然にはがれるまで放置という指示に従っていて、退院後はがれてみたら四角く真っ赤(笑)。
それはリンデロン軟膏ですぐ治ったものの、いまだに縫合部周囲のお腹全体がときどき猛烈に痒い。
チクチク痛いのはまだ溶けきってない縫合糸のせいではないかと思っているのですが、術後1カ月の診察の時に尋ね忘れました。
先生は病理で発見されたガンの告知をするので少し緊張してるようでしたが、それは想定内のことでしたので当方は平気で(笑)。
次の受診は術後3カ月の7月です。

ああ、話の時系列が飛んでしまいました。
そんなこんなで痛みにうめく数日が過ぎたあとは、なんとか我慢できる程度の痛みにおさまり、
食事も完食しながらだらだらと過ごしました。詳しくは前回の「その2」に書きました。
経過良好ということで「火曜日退院予定でしたけど月曜日でも大丈夫ですよ?どうしますか?」と聞かれました。
1日早ければ14,300円+食事代が浮きます。私の入院保険の一日分では赤字ですもん。即決です。
さっそく、車で迎えに来てくれる約束をしていた知人に連絡。夫にも連絡。
入院9日間、術後1週間で娑婆に戻りました。
退院当日、手続き・会計やら保険用の書類申請やら院内ベーカリーに行ったりで広い病院内を動き回ったのと
しばらくは自転車にも乗っちゃダメなので帰宅途中でスーパーで買い物したりしたので、ヘロッヘロになりましたけどね。
退院時に処方された内服薬は痛み止めカロナールと胃粘膜保護のレバミピド。
痛み止めは入院中から私の胃と相性が悪いロキソニンを拒否。小児でも飲めるカロナールだってそこそこは効くんです。
しばらくは500mgを1回2錠1日3回も飲んでましたが、退院後じきに服用をやめました。
ある程度なら痛みは慣れるんです。慣れているうちに軽くなれば忘れてしまいます。

九州博多の婦人科女医さんのブログによれば(以下、引用)
『患者さんたちが一番気になるのは術後いつになったら元気になるのでしょうか、という点だと思うのですが、
3ヶ月もすれば周囲の人間はあなたが手術をしたことを忘れます。その事実は忘れなくても、たぶん日付は忘れます。
主治医の名前なんてあっという間に忘れますし、平成何年だったかもあやふやで、
子宮を取ったか卵巣を取ったかの記憶も定かでなくなります。オットなんて特にそういう生き物。
でも、おそらくご本人は2年くらい主治医と日付を忘れてないという印象を受けるので、
真の意味で「元気になる」には2年くらいかかるんじゃないかと思います。』(引用ここまで)
婦人科部長闘病記

ま、私は既に元気です。腹圧かけると腹はまだ少し痛いけれど。腹を下にうつ伏せになれるようになったのは最近だけど。
主治医の名前もちゃんと憶えてますが一番最初に漢字を読み間違えたので「あれ?読みはどっちだっけ。」(^^A;。
卵巣がなくなると更年期障害が出るはずですが、私は既に閉経していたようです。
不正出血でなにがなんだかでしたが、もう還暦すぎてますからねえ。いくらなんでもねえ。
術前までの間、ごくたまにホットフラッシュを経験した以外に更年期障害らしき症状はありませんでした。
術後はホットフラッシュも出てません。老化現象のほうがイタイです。
お? 子宮筋腫がなくなったという事は、いざとなったら女性ホルモン補充療法も使えるようになった!!という事!!
ラッキー♪♪(笑)
脳みそが女なら、子宮や卵巣がなくなっても女です。
私の脳みそが女脳なのかどうか若干の疑問はありますが、それがどうした、私は私だ。文句あるか。


≪番外≫ 
麻酔の事で思い出した事件があります。
2月の内膜全面掻把術の麻酔は、眠っているだけの軽い麻酔です。
(開腹摘出手術の場合は呼吸も出来なくなるくらい深い睡眠)
意識をなくす直前に手術室の天井を見て「攻殻機動隊にこんな図柄があったな・・・」と思ったのが運のつき。
術後に麻酔がさめかけた私が口走っていたのは・・・
「タチコマどこ?」「記憶が上書きされない!保存されない!」
わかる人にはバレてしまう、還暦過ぎの婆としては赤面もののうわ言です。
とりあえず、ただの『老オタク』であって『貴腐人』じゃなかったのは幸いかな・・・・・・・


おしまい。

★8月31日追記
続き書きました。「子宮全摘手術のこと。その4。」








子宮全摘手術のこと。その2。

2020年06月13日 | 子宮全摘出
前回 「子宮全摘手術のこと。その1。」の続きです。
今回はいよいよ入院中の話にしましょう。

さて、手術前日。ひとりでバスと電車を乗り継ぎ、いつもはここからまたバスなのですが、
さすがに荷物もあるので病院までタクシー奮発。ワンメーターの距離ですけどね。
着いてから入院受付時刻まで間があるのでコンシェルジュ(!)に荷物を預けて院内のコンビニへ。
お昼を食べておきましょう。
院内にはレストランやカフェが何カ所もあるけれど、私、ローソンのおにぎりが好きなんです。
院内ベーカリーの焼きたてパンも美味しいけれど、この日の気分は昆布のおにぎり。
コロナ対策で密を避けるためにも、オープンテラスでおにぎり♪ これから大金使うから倹約倹約♪
敷地外の海岸も気持ち良いけれど、そこでゴハンはダメです。トンビが襲って来ますのでw。

さて頃合いです。受付で手続き済ませて指定病棟の指定階へ。看護師さんの案内で病室入り。
患者情報と各階入り口の扉を開くチップ内蔵のリストバンドを装着しました。



個室です。21平方メートル。窓手前のソファは付き添い用のソファベッドにもなります。
手前左にシャワーブースとトイレ。右側に大きな鏡とスツール椅子と洗面台(女性専用階だからかピンク色w)。
ベッド脇キャビネット内に冷蔵庫。入り口脇にクローゼット。
この病院は個室が多くて、相部屋も4人部屋からなのでどれも差額室料がかかります。
しかも相部屋はなかなか空きがありません。
貧乏人には優しくない病院ですが、開腹手術なので私のちゃちな生命保険でもそれなりの医療保険金は出るし。
術後にしんどいのも分かりきっていたので、個室を選択しました。室料1日 14,300円(税込)。

個室の場合はホテル並みにタオル類・アメニティ・ドライヤー・茶器セット等々すべて用意されているので、
自分が着る物と嗜好品とモバイルの充電ケーブルだけ持っていけば事足ります。
テレビも食事の注文などに使うタッチパネル兼用なので視聴は無料です。
あ、ベッド脇でスマホに充電できるように延長ケーブルも持って行きましたね。
後はティシューペーパーだけは自分で用意。

かつて亡母や夫の入院時に、指定された枚数のタオルや大型バスタオル、洗面器・マグカップ・シャンプー類などなど
大荷物を抱えて付き添った事を思えば、なんて楽ちんなんでしょう。
長年使ってる小型のキャリーバッグとそれにセットできるボストン1個で入院しました。
あれ、ホームページによると今現在は感染症対策で相部屋もタオルと院内着は日額制の強制レンタルになってますね。
私の時はまだ院内着強制じゃなくて良かったーー 暑がりなので薄物の半袖カットソーと伸びるパンツを着てました。



ちょとしか開かない窓から手を出して撮った風景。毎日毎日無駄に良い天気でした。
4日目くらいから起きている間ずっとソファに座って脚もあげて過ごしました。
私はリクライニングのベッドにいると腰が痛くなるんですよ。背あては垂直なのが心地いい。
コロナのせいで面会は全面禁止になっていたので、毎日ひとりでのんびりしてました。(それでも平気)
小説は1冊2~3時間で読んでしまう人間なので、本はどれほど持って行っても足りないので持ちこまず。
日数を考えるとスマホだけで十分だろうとパソコンもなし。(無料wifi環境)
コンビニで買った読み応えがありそうな趣味マガジン2冊とスマホアプリだけで済みました。
動き回れるようになってからは、1日1回運動兼ねてコンビニへ。
冷たい飲料とスイーツ1個買って戻る(笑)。
図書室にも行ってみましたが閉まってました。ボランティア運営だそうだから仕方ないですな。



↑ これはSNS用にまとめた画像です。クリックすると超拡大で見れます。
日々の食事の写真です。食事は3食とも2種類から選びます。朝は毎日パン食にしていました。
手術翌朝から常食でしたが、さすがの私もこの日は痛みで食欲なく写真も撮らず記憶もさだかでない。
朝はパン1個だけ食べてフルーツゼリーはおやつに残したような気がする。お昼もお魚だけは食べた。美味しかったのは覚えてます。
完食できたのは4日目(術後3日目)の夕食からです。この時の主菜は牛肉と豆腐の炒め煮「八宝豆腐」。
お魚料理が多いのはうれしかったです。毎回違う魚で毎回違う料理方法。脂身の少ない肉料理よりも魚のほうがいい。
ただし全体に薄味だったので、コンビニで鰹節のふりかけを買っておいたのは正解でした。
ローソンセレクト、製造は永谷園の「かつおふりかけ」。美味しい。白飯を残すと明け方にお腹がすきますもの。
日頃は朝6時に朝食とっていたから、早めの夕食から遅めの朝食までの間が長すぎました(泣)。
お金を出せば豪華な別メニュー(サーロインステーキとか刺身御膳とか)も注文できますが、はい、自粛しました。
そんなこんなで入院してる間に体重減りました。毎日スイーツ1個食べてても、摘出した臓器のぶんよりもかなり減りました。
でも退院後にすぐに取り戻してしまいましたわよーー(泣)。

さて、入院中のどうでもいい話で長くなってしまったので肝心の手術の話は、次回を待て!!!

んじゃね。

続きはこちら → 子宮全摘手術のこと。その3。

子宮全摘手術のこと。その1。

2020年06月12日 | 子宮全摘出
長らくご無沙汰申し訳ない。あんまりなのでブログタイトルを日記から季記に変えました。
3月も4月も職場ホテルはヒマでした。
5月初めからはずっと休館となっております。
そんなコロナ禍の中、私は4月下旬に9日間手術入院しておりました。
術前の病名は子宮内膜異型増殖症(子宮体ガンの疑いあり)。

縦切開で開腹して子宮・卵巣・卵管すべて、まるっと取りました。
摘出後の病理検査で子宮の一番奥に小さなガン(ⅠA)が見つかりましたが、
「丸ごと全部取ったので大丈夫でしょう。」とのこと。
術前から「ガンがあっても、たぶんかなり小さい。」と言われてました。
リンパもいじってないので、術後は何もせず経過観察です。
当初10日間入院の予定が、経過良好ということで1日早く出て来れましたが、
術後50日以上たった現在も、ハラの傷の内部が時々ちくちく痛い。体質でしょう。
膣からの出血は5月末までには止まりました。術後約40日か。

さて、こうなった経過ですが。 長くなるなーーー(それで今まで書けなかった)

半世紀以上前、10歳10か月で初潮がきて以来、経血量は少々多めのほうだったと思います。
月経前症状は乳房の張り。月経痛は下腹から太腿前面にかけての痛みと腰痛。
月経前も最中も精神的変化はあまりなし。機嫌が悪かったならそれは「痛かった」から。
月経痛ってなんか腹立たしいんですよね。「ええいっ いてえじゃないかっ!!」って感じ。
だから鎮痛剤が効けば大丈夫、元々が機嫌に波がない性格です。「穏やかな人物」ではないですが(笑)

40代半ばで子宮頚ガン検診時の問診から直径3cmの子宮筋腫があることが判明(エコーで確認)。
でも「場所がいいから閉経すれば子宮ごと小さくなるでしょう」と経過観察で。
しかしその閉経がなかなか来なかった。
50代に入ったころ過多月経となりました。毎月毎月そりゃすごい出血量でしたね。
夜用スーパーだろうがなんだろうが役立たず。開き直ってパンツ型の紙オムツ併用したくらい。
かなり薄型の紙オムツが出始めてきて幸いでした。今はもっと薄いのが出てますね。
あのころ受診していたら、子宮筋腫を理由に子宮摘出できたと思うのですが、
あいにくと実母の介護が始まってそれどころではなく。
介護が終わるころには量もそれほどではなく月経周期が不定期になってきました。
月経前症状の乳房の張りはありましたが、2か月おきとか3カ月おきとか間遠になっていって。
一昨年の11月。そろそろ1年近くなかったな、閉経したかな、と思ったら数日の出血がありました。
たまたまその翌月12月に子宮頸がん検診を受診。
事前問診で「それは不正出血なので検診は受けられない。婦人科を受診して下さい。」と言われました。
そして翌1月。誕生月前なので当時60歳。初潮から半世紀。
また出血が始まりました。そしてそれが少量鮮血のままいつまでたっても終わらない。
いくらなんでも、と婦人科に行ったのが昨年2月でした。
年齢・体質から見て当然疑われるのが「子宮体がん」です。
それ以前に内科や婦人科でのエコー検査で筋腫の数が増えていること、一番大きいのは直径10cmくらいな事はわかっていました。
その筋腫のせいで私の子宮内部はぼこぼこで、押されて子宮口も傾いている。
ただでさえ子宮口を開いたことがない未経産婦です。子宮頚がんの検査と異なり子宮内部から組織を取るのは痛いです。
これ以前に体癌の検査は2~3回経験がありますがいつもすっごく痛かった。終わればじきに治まるんですけれど。
「う~~ん、これは大変だ。痛いよね、ごめんなさいね、ごめんなさいね。」と先生は言い、
私はソファの背をつかみ大声で叫びたいのをこらえてうめき声にとどめるのに必死。
そんな拷問?や血液検査やエコー診断を受けての数日後の結果は・・・異常な細胞なし。
翌週は造影剤を使ったMR。さらに10日後にやはり造影剤を入れてのCT検査。
大きい病院ですから要検査患者も多い。とにかく検査予約がとれる日に入れてもらったので飛び飛びです。
そしてその結果・・・さしたる収穫なし(泣)。2か月後まで経過観察。
このころには1月からの出血は止まっていたように記憶してます。
ただ、慣れてしまってあまり気にならない程度の腹痛は続いていました。

5月、再びの拷問と検査。結果・・・異常な細胞なし。12月まで経過観察。
7月に数日間、鮮血出血を見ました。
さて12月。都合のいい予約が取れず年末ぎりぎりになりました。通常検査フルセットとMRです。
年明け今年1月に結果説明を受けました。
異常な細胞は出なかったもののMR画像に前回とほんの少し変化ありと放射線科から指摘があったそうな。
そこで先生は子宮内膜の全面掻把に踏み切ります。人工妊娠中絶と同じ手術です。
麻酔かけて内膜をぜんぶ採取して細胞診するんです。通常の体がん検査では内膜の一部しか取れませんから。
「もう子宮取っちゃいましょーー!!」と私はかねがね言っていたのですが
先生は「ガンがあるかどうかの確証がないと手術できないんですよ。」 ふえ~~~~ん。

そして2月。初診から1年たちました。2泊3日入院で子宮内膜全面掻把術。
3月3日に結果説明を受けました。がん化する可能性が高い「異型細胞」が出ました。
これにより病名が「子宮内膜増殖症」から「子宮内膜異型増殖症(体癌の疑いあり)」になって摘出手術が決定しました。
この時から最速で手術できる日が4月20日。20日なら月末までに退院できます。
医療費の自己負担分が抑えられる高額医療費支給制度の適用は「月毎」ですからそれでOK。 GO!!です。
それにしてもコロナ禍の最中に接客仕事しながらの1カ月半待機は長かったです。
年末からまたず~~っとお腹痛いし、掻把後から少量出血も続いているし。
もしコロナ感染したら手術延期になりますよね? 私はねぇーー、とっとと取りたいのよーー!! ってな。

長くなりましたから2回にわけましょうか。
次回は入院手術の時の話にしましょう。
現在は時々ハラがちくちく痛いだけで何事もなく仕事もなく引きこもり、
体力低下と体重増加に怯えつつ過ごしておりますのでご心配は無用ですよん。

あ、摘出したブツの写真見ますぅ??? 通常の子宮は大きめの鶏卵サイズだそうですから、うん、デカイなーー。
モノクロに加工したから生々しくないとおもいますよ(笑)。

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んじゃね。

続きはこちら → 子宮全摘手術のこと。その2。