岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

権現岳から赤岳へ その2

翌朝、4時半頃、物音で目が覚めた。日の出を待つ人々の音だ。僕も重ね着をして、外に出る準備をした。しかし、こんな話よりも面白い話を書かねばならない。

赤岳頂上手前の最後の難関、ガレ場で僕は苦闘していた。斜度は急、足元は不安定、そして疲労度は「限界に近かった」というほどでもなかったが、腰と下半身の筋肉がかなり疲労していたことは間違いなかった。息を整えては4本の手足を使って登り、登っては一呼吸して息を整え、やや口を開けて喘ぎながらも、ようやく見えてきた頂上小屋の方へ慎重に歩を進めていた時だった。登山道脇の左手の岩石の上に敷物を敷いて腰掛けて、赤いジャケットを着た短髪の若い女性が僕の方を見ていた。涼やかな目元だった。前髪をピン止めで額の上部に上げていた。僕は近づくまで見ないようにした。近づいて再び目を上げると、彼女はまだ僕の方を見ていた。そして、「こんにちは」と水色の澄んだ声で挨拶してくれた。僕の視野の左隅には老人の姿が入ってきた。親子か。親が一緒じゃ仕方がない。僕は素っ気なく「こんにちは」と応えた。彼女の肌は白雪の上の絹のように光り、波を照らす月光のように瑞々しく、顔立ちは端整で、身嗜みも申し分がなかった。僕は僕の心が彼女に強く惹かれるのを感じた。ひれ伏して崇めたい衝動を微かに感じた。超絶の美しい娘ではない。可愛らしい少女でもない。どちらかと言えば、眉に少し険があった。彼女なりに人生と闘っている標なのだろう。甘さとクールな雰囲気とが程良く漂っている顔だった。譬えて言えば、彼女は咲き始めた水色の薔薇の花だった。蜜のように甘いだけの菓子ではなかった。僕は山小屋の中に入って、宿泊できるかどうかを尋ねることにした。彼女の周りにはザックがなかった。あんな岩の上で寛いでいるところをみると、多分あの親子も泊まるのだろう。僕は二階の「からまつ」と表示された個室に案内された。

夕食は5時半だった。朝食も5時半だった。妙高の山小屋管理人が、以前言っていたのを思い出すが、確かに「ゴハン、ゴハン」と覚えておけば、覚えやすい。僕の席は窓際で、窓と富士山とが僕の背中にあった。僕の右斜め前6メートルの所に、彼女が富士山の方を向く形で座っていた。父親とは向かい合っていた。彼女の表情はどの瞬間もクールで、笑顔になることはなかった。その夜の宿泊客は50名程度だった。ビールを注文する人が多かった。僕は注文しなかった。夜尿症の傾向があると自己診断していたので、差し控えていた。しかし、結果的には、僕は食事が済んでからだったが、赤ワインを一杯注文した。頑張ったのだ。こんな時に祝杯をあげなければ、いつあげるのだ。そう思い直したのだ。僕がカウンターから赤ワインのグラスを持って自席に戻ろうとしていた時だった。彼女の顔が少しだけ右の方に動き、僕の手の中のワイングラスを見たように感じた。僕は二人のために乾杯するのだ。目では見えない意思表示を僕は彼女の心に伝えた。伝わる訳がない。この異性の魅力的な刺激に対する僕の無駄な心的反応は、一種の痙攣的な反射運動だ。一方では、僕は途切れ途切れにではあったが、下山のルート選択についても心を悩ましていた。誰かが言っていたように、一つの気掛かりを打ち消すものは、確かにもう一つの気掛かりだ。すべきことが多い人間は、倦怠地獄に陥る心配が少ないという意味に限って言えば、幸福だ。

僕は眠れない夜という名の場所で眠っていた。標高2,899メートルでの輾転反側だった。彼女の匂いが水色の花の香りのように僕の浅い夢を包み込んだ。星座は窓の向こうで輝いていた。僕は夜中に2度トイレに行った。3時頃だった。1階の板の間に降り立つと、相部屋の宿泊客たちが寝ていた。鼾をかいている者も歯ぎしりをしている者も寝言を言っている者もいなかった。僕は皆に迷惑をかけずに済んだことを喜んだ。消灯時刻の8時前には、彼女は部屋の奥の方で俯きになって何かを読んでいた。夕食後、僕が山小屋前の板敷きの方へ行くと、彼女と父親が並んで座って話をしていた。僕は盗み聞きをした。父親の海外旅行の話だった。しばらく聞いていたら、意外な展開になった。僕は自分の耳の中で、この二人は親子じゃない、と確信した。大学教授とその教え子、そんな雰囲気があった。父親風の老人の毛髪は薄く、僕の眼には70歳台に見えた。娘風の女の子を「キョウコさん」と呼んでいた。小声なので話の内容はよく聞き取れなかったが、老人は自分のことを「独身貴族ですから・・・」と言っているように受け取れる場面があった。「もし日程が合えば、今度シベリア大陸横断鉄道を使って旅行しませんか?」と誘っていた。キョウコさんが承諾すると、「約束ですよ」と言いながら、老人は自分の右手の小指と彼女の左の小指とを絡み合わせて指切りをした。彼女は表情を少しも変えずに老人の目を見ていた。
老人は「結婚はいつするの?」と尋ねた。「未定です」
僕はどういう関係なのか見当がつかなかった。
「もし結婚が先になったら、どうします?結婚してからでもいいですか?」と老人が尋ねた。キョウコさんは頷いた。
老人は少し卑屈な笑いを浮かべながら、「世間の常識ではよくないけれど、・・・。」と言っていた。キョウコさんの顔には何の表情も浮かんでいなかった。僕の目には同意の沈黙と映った。
板敷きの上ではカメラを持った人々が立ったまま西の方角を見ていた。僕は日没の瞬間と危険な関係の二人の会話の両方に注意力を払いながら立っていた。老人は若い女性を口説いている間、2度僕の目を探るように見た。僕は盗み聞きを気取られないように振る舞った。

僕は眠れない夜という名の場所で眠っていた。眠っても眠ってもキョウコさんの水色の匂いが僕を浅い夢から覚ました。

日没を待っている人々とは別の世界にいた老人と女性は、板敷きの片隅で対話を続けていた。老人が「いつ休みが取れるかは前もって分からないんですね。ぎりぎりにならないと分からないんですね。そこが問題だな、・・・。いや、問題というのは、僕の側からみての話ですけどね」と言った。それに対して、キョウコさんは何かを言ったが、僕には聞き取れなかった。彼女の声は老人以上に小さかった。

僕は眠れない夜という名の場所で眠っていた。少しは眠ったのか少しも眠れなかったのかさえ分からないまま、僕は頂上小屋の個室で寂しい想起を繰り返していた。彼女は岩の上に腰掛けて、登ってくる僕に「こんにちは」と挨拶をした。有るのか無いのか分からないような僕の存在も、あの瞬間には、確かに彼女の視野の中にいた。何という幸福だったのだ。二度と味わえないような、果敢無い、偶然の幸福だった。あの瞬間から、しかし、僕の中では、僕らの巡り合う運命が始まり、僕らのシベリア横断鉄道旅行は始まった。僕は明日になったら、急峻なガレ場で、あの老人の後ろからよろめくように倒れかかり、事故を装って老人を谷底に突き落とすのだろうか。キョウコさんを奪い取りたかった。気儘な、しかし、根強くいつまでも残りそうな欲望だった。眠っても眠ってもキョウコさんの水色の匂いが僕を浅い夢から覚ました。


山小屋の朝食は5時半だった。座席は夕食の時と同じだった。キョウコさんは自分たちのテーブルの人たち8人分のご飯を盛りつけていた。さすがに前日と同じ服装だった。彼女はいつも僕の目には素顔に見えた。化粧をしなくても、端整な顔立ちなので、美しかった。20歳前後に見えた。仕草や立ち居振る舞いに落ち着いたところがあり、茶道の心得があるような雰囲気があった。朝食後、僕はどの程度の寒さなのか調べるために外に出た。防寒用に薄いカッパの上着を着ることにした。中へ戻り、土間で靴を履いていると、偶然、相部屋の方からキョウコさんが食堂の方へ歩いて行くところに出くわした。僕は彼女の目をほんの一瞬だけ見た。彼女は僕が見た一瞬の半分の時間だけ僕を見返した。目では見えない寂しいという感情を僕は彼女に伝えた。伝わる訳がない。靴を履き、小屋を出ようと立ち上がった時、何気なく振り返ると、食堂から廊下に出て来る彼女の顔を見ることができた。その時、僕は初めて彼女の顔に、その唇の両端に微笑みが微かに浮かんでいるのを発見した。何があったのだろう。分からない。僕はしかし、僕らのシベリア横断鉄道旅行が永久に不可能になったと悟った。理由も根拠もない。一つの果敢無い幻滅が、僕の心の中で生じた。擦れ違っただけの女性がいつまでも心に残ると書いた詩人は多い。僕もいつか書いてみようか。僕は往路と違うルート、真教寺尾根を下山することに決めた。往路とは違う風景を楽しみながら帰りたかった。

途中で、しかし、真教寺尾根へ行く道が分からなくなった。やむなく僕は、キレット小屋経由で、往路と同じルートを下山することにした。天女山の駐車場に車が置いてあるから、それが一番経済的だった。復路はほとんど休まず降りた。それでも、時間的には、往路に比べて30分ほど早く着いただけだった。

 下山の途中、幾人かの女性と擦れ違った。僕がキョウコさんに示した不可視の意思と同じものを僕に対して示してきた女性が3人いた。ただし、彼女たちは言葉も使っていた。無論、表面上は当たり障りのない内容だったが、その奥には異性を奪い取ろうとする一般的な意思が垣間見えた。男であれ、女であれ、自分にとって幸福な偶然を掴み取ることは簡単には出来ない。出来ないからこそ、人は毎日、喘ぎながら登っているのだろう。山中であれ、市街地であれ、それが人の世の有り様だ。

 キレット小屋の手前だった。大男が大きい荷物を背負って登ってきた。目分量で40キロの重さはあった。見ると、西洋人の青年だった。向こうから「こんにちは」と挨拶してきた。「大きい荷物ですね」と話しかけると、青年は「大き過ぎるかもしれません」と答えた。すぐ後ろに連れの女性が、やはり同じ大きさの荷物を背負っていた。一歩一歩、ゆっくりと耐えながら登っている。男女が対等の関係とはこういうことではないか。男が女の荷物も背負ってやる。それも麗しい光景だ。しかし、僕としては、男と同じ量の荷物を背負う女性に強い魅力を感じる。僕は彼女に道を譲りながら、心の中で彼らの幸運な山行を祈った。彼らは多分いつまでも共に人生を闘っていくだろう。

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