25日、火曜日。「未圧雪」を滑降するのは難しかった。今日は最後のスキーだ。挑戦は止めて、楽しむだけにしよう。そう自分に言い聞かせた。緩斜面をルンルン気分で滑走しているのは誰か。他の誰でもないこの僕だった。仕事も陸に出来なければ、遊びも陸に出来ない陸でなしだ。穀潰しだ。風を切りながら、僕は叫んだ。そんなの関係ない。そんなの関係ない。滑っている限り人はすべてのレッテルを剥がされて丸裸状態になる。そうだ、丸裸でやるしかないのだ。1億日本人全員そろってやろう。さあ、そんなの関係ない。陸でなしだろうと、穀潰しだろうと、僕は羊蹄山に向かって鳥のように飛翔するのだ。早朝の広々としたコースにはほとんど誰もいない。羽が生えた僕は羊蹄山に向かって飛んでいた。この軽さ、この自由さ。立ち木と立ち木の狭い間を風のようにすり抜ける。この解放感。この快感。僕は心地よい速度に酔い痴れていた。斜面が突然、視野から消える。急傾斜だ。第1日目に感じた恐怖感も3日目ともなると、言わば「甘い恐怖」となっていた。エッジを軋らせる。粉雪が背より高く舞う。何という幸福感だ。何度でも味わいたくなる。1,308mの頂上から一気にホテルまで滑降する。この間の時間は、僕にとって至高の時間だった。ダイヤモンドのように決して輝いていたわけではない。心の中に何も夾雑物がない状態だった。ただ白い歓喜だけが心の中で炎のように燃え立っていた、羊蹄山よりも高く。
26日水曜日。快晴。多治見に帰らねばならない日。僕は4人乗りのリフトに乗って上まで行き、素晴らしい景色を出発時刻まで楽しむつもりだった。僕が「往復の切符1枚下さい」と言うと、受付嬢は意外にも「スキー板を付けていない人は、ゴンドラしか利用できません。申し訳ございません」と答えた。ゴンドラは片道1,200円。貧乏人の僕は諦めた。僕は雪の上に突っ立って何時間アンヌプリの輝きを眺めていただろう。体は段々冷えていったが、心はそのまま永遠に眺めていたい気分だった。山から離れて行かねばならないことが、どうしてあんなに切なかったのだろう。
僕は午前10時45分発の新千歳空港行の道南バスに乗った。乗客はたった5人だった。見えなくなるまで何度もアンヌプリや羊蹄山を振り返った。何事にも終わりがある。この旅は、しかし、僕の心の中ではまだ当分は終わりそうにない。
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