3月19日が2回目の結婚の20回目の結婚記念日でした。
札友内のCOVOに当日の予約を入れてありましたが、ジルの事でキャンセルしてました。
でも、一応区切り出し、もしジルが帰ってなかったら2人だけだとお通夜みたいになっちゃうと嫌だし、前にM組が夜のバルに行ってみたいとブログにあったので、お付き合いをお願いしたら「良いですよ」と言う返事。
その後ジルも無事帰って来たので心置きなく楽しめる。
で、昨日行って来ました。
M組は何も言わなければ「送り迎えしますよ」って言ってくれたと思うけど、夜のイタリアンで飲めないんじゃ気の毒すぎるので代行を頼みました。
結婚記念日に乾杯、ジルの無事帰還を祝って乾杯。みんなの健康と幸せに乾杯。
何はなくともモザイクのM組
写真をチェック。うんモザイク掛けよう。
オリーブ3種盛り。あまりオリーブって好きじゃなかったけどこれは美味しくて2皿目。
タコのカルパッチョ
シャンパンから白ワインに変えて。だんだん料理の名前も??に。
砂肝のコンフィ
なんとかベーコンサラダ?
つぶ貝のなんとか。ますます怪しくなる記憶。
ポテトのローズマリー焼き。
赤ワインに変えて更に料理名の記憶は曖昧に。
なんとかピザです。生地は薄くカリッとしてトッピングはモチッとして美味し。
ミラノ風豚のカツレツ。夜ここに来る時は必ず食べるお気に入りのこれ。
あと、自家製バケットと、ペンネのゴルゴンゾーラクリーム和え。
シメはコーヒーで。
飲んで食べて喋って、楽しかったし美味しかったしというお決まりのコースで3時間。
多人数で来ると色々な種類の料理が楽しめるわね。
M組からのプレゼント。
バードカービング
結婚記念日だからって言われたんじゃ手ぶらで来られなかった?
暗に催促しちゃったかしら。 御免ね。でも有難う。凄く嬉しい!!
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私達が一緒になったのは平成7年。
当時UncleBeeは千葉県の九十九里一宮で喫茶店のマスターでした。
平成6年の10月頃そこに私がお客として行き知り合ったのがきっかけです。
無愛想であまり感じの良く無いマスターでしたよ。今も無愛想なのは変わってないけど、でも声が素敵だったのと(のろけちゃう)、コーヒーも美味しいと遠方からのお客様もいました。
料理の種類は多くはなかったけそれぞれ結構美味しかったです。
UncleBeeが考案した焼きうどんも評判良かった。
我が家の焼きうどんの定番になりました。
長女が中3、長男が小6。
私は千葉県の大多喜の病院に検査会社から派遣されていた検査技師でした。
上司が「いつまでそこにいるつもりなんだ?こっちに帰って来い」ということで、子供たちの進学に合わせて船橋に帰ることに決めました。
それを知ったマスター(UncleBee)が焦りましたの。
「これからはご飯もお弁当も全部僕が作るよ、君に楽をさせてあげる」が、プロポーズの決めぜりふ。
2度と結婚しないつもりだったけど、一緒にいても気疲れしない人だったし良いかなと。
知り合ってほんの数か月。
で、平成7年3月19日にUncleBeeの犬3匹を連れて引っ越し。この日が結婚記念日になりました。
なんと翌20日があの「地下鉄サリン事件」です。
でも、本当に色々ありました。
なさぬ仲というものは難しい。
その上口うるさく言うUncleBee。
「お弁当は作るけど弁当箱を洗わなかったら作らないよ。作ってもらう以上当たり前のことだからね」本当にその通りにする人でした。
他のことも事あるごとに言う。子供たちは反発します。
UncleBeeは「僕はお父さんと呼ばれなくても構わない。一生○○さんと呼ばれて良い。嫌われても良い。でも、将来社会に出たとき僕が口うるさく言っていることを少しでも分かってくれたらそれで良い」
「君は子供達に甘すぎる。それじゃ社会に出たとき通らないよ。」
楽しい家庭団欒も勿論あったし夫婦仲も良かったけど、
UncleBeeも私もそして子供たちも険悪になったことが何回もありました。
「もう少し何とかならないの?子供たちが嫌いなの?」という私に
「嫌いなはずないじゃないか。でも家庭というものはもともと理不尽なものなんだよ。そして社会はもっともっと理不尽なんだ。甘やかされて社会に出るからみんな挫折するんだよ。親子が友達のように仲良くなんておかしいんだよ。親はあくまでも親なんだ。子供のご機嫌や顔色を見る必要なんて無い」と頑固に主張するUncleBee。
子供たちにしてみれば、彼は私の夫で自分達の父親ではないと言う気持ちが強かったんでしょうね。
「本当の父親でもないのに言われたくない」と。
結婚する時は賛成してくれたけど、いざ一緒に住んでみたらこんな筈じゃなかったということが沢山あったのでしょう。
悩んでいた私がいつも思い出すこと。
私の支えになったことは。
結婚の報告を私の両親にしに行った時、当時小6の息子も一緒に行きました。
父は渋い顔をしていました。
旧電々公社で定年まで勤め上げた父にしてみれば、喫茶店なんて水商売の男は信用できなかったのでしょう。
反対しようと待ち構えていたみたいです。
でも父が口を開く前に息子が言いました。
「お母さん、僕たちは大きくなったら家を出るんだよ。そしたらお母さん一人になっちゃう。お母さんの幸せを考えなよ」
小6の孫に言われたら父ももう何も言えませんでした。
そんな息子も反抗期に突入。私ともUncleBeeとも年中衝突。
喧嘩も日常茶飯事的にありました。
ほとほと嫌になった私に息子が言いました。
「お母さん達は別れちゃ駄目だよ」って。
娘とUncleBeeが私がいないとき大喧嘩をしました。
「もう別れる!!」
娘は「ママ駄目。別れたらママは不幸になるから絶対別れちゃ駄目」と。
UncleBeeがぽつんと言いました。
「君と一緒になって僕はすごく幸せだよ。でもまだ80パーセントなんだ。子供たちが結婚して幸せになってくれなきゃ僕達の幸せは完結しないんだ。100%にならないんだよ」
一番子供達の幸せを願っていたのはUncleBeeだったのかもしれません。
ある時娘が言いました。
「自分が結婚して社会に出てみて、○○さんが言っていたことは全部本当だった。仕事しながら私達を育ててくれたママの苦労も凄く良く分かった。だから今あるのはママと○○さんのお蔭と思っている」と。
「あの大喧嘩はもう水に流せたの?」
「全部私が悪かったんだから、全然恨んでない。本当よ」
娘は式こそ挙げていないけれど、真面目で優しい、(おまけに)姑を怖がるお婿さんと今幸せに暮らしています。
UncleBeeは娘が結婚をしたとき、私以上にそれはそれは喜んでいました。
涙ぐんでいました。いえ、泣いてました。
息子はしっかりものの彼女と一緒に暮らしています。
私達の幸せは100パーセントになりました。
そう記憶していたんだけど、この素敵な物語を読んで、過去の記憶を上書きします。
親に本当も嘘もないと思います。
子供たちをちゃんと自立させたお二人は立派な親だし、それに応えた子供さんたちも含めて、とても良いファミリーですね。
これからも気持ち悪いほどのラブラブがずっと続きますように。
我が子だって色々大変だったのになさぬ仲というのは他人には本当に分からない苦労があったのでしょうね。
でもそれを乗り越えて来られたから今の幸せが得られたんだと思います。
2人のお子さんもUncleBeeさんも立派ですね。
今あるのは2人のお子さんの力も大きかったんだと思います。
今までは読み逃げでしたが感激してコメント書きました。
これからもお幸せに。
感動しました。思わず涙でした。
B・Bさんも大変だったでしょうけど、Unclebeeさんも辛い事沢山あったと思います。
子供の機嫌さえとっておけば良いお父さんで好かれるのに嫌われるのを覚悟で押し通すって言うのは大変なことですよね。
尊敬します。100%になって良かったですね。
おめでとうございました。
狙いましたわね(^^)
100%といわず、1000%を望んでくださいませ♪
20年の記念日おめでとうございます。
そして素敵なお話、涙でしたよ。
辛かった事があったからこそ幸せな今があるのですね。
UncleBeeさんも大変だったでしょうがB・Bさんの存在が支えになっていたのでしょう。
これからもラブラブでいてくださいね。
すっかりごぶさたしています。
うちも3月8日?で二度目で五年です。
BBさんたちがご結婚したときは私はちょうど、前の結婚を始めたばかりです…。
今でもこんなはずでは無かった。とかたびたび思います。
地元も身内も近くでは無いので
今、仕事で家の留守にしてますので、一人暮らしをしています。
今日の本文を読んだら泣けてきました。
なかなかお会い出来る距離ではありませんが、ブログはいつも読んでいます。
でもブログはちゃんと読んでますよ(笑)
今日はとっても素敵なお話だったのでコメントさせてください。
我が息子は今反抗期の真っ最中。毎日喧嘩です。疲れるくらい。
B・Bさんのお家はもっともっと大変だったんでしょうね。でも今100%と言えるんですから良かったですね。
これからもお幸せに。
UncleBeeさんの子育て方針参考にします!
有難う。色々あったけど子供達も一人前になったし、今後もラブラブで行きますよ。
覚悟しておいてね。
そういうお方は彼の地のBさんですか?
ビデオ永久保存版?嬉しいです。
我が家も喧嘩すると仲直りの合図のように見ます。