スピリチュアル大学自愛学ニューエイジ教室

「自分への愛」とは魔法の鍵です。自分を幸せにするばかりでなく、自分以外のたくさんの方々を幸せにする、すばらしい愛です✨💖

遅ればせながら、新年のご挨拶です!

2007-02-01 19:13:57 | スピリチュアル
大変遅ればせながら

あけましておめでとうございます。

幸せと喜び、プラスのシナリオに満ちた新しい年になりますよう、心よりお祈りしています。2007年もよろしくお願いいたします。

さて、いかがお過ごしでいらっしゃいますか? どんな年明けだったか、よろしかったら、教えてくださいね。

私の方は、12月半ばよりすっかりはまってしまったものがあり、それで、毎日幸せに包まれてしまっています。日本のTVドラマ『のだめカンタービレ』です。10年ぶりくらいですね。こんなにはまりにはまったのは。前は『ロングバケーション』でしたが。ロンバケの時も私の音楽への気持ちをかなり刺激されましたが、こののだめも音大が舞台となり、クラシック音楽がふんだんに使用され、過去に自分がピアノで弾いたものだったり、指揮のクラスでやったものだったり、本当に知っているものばかりで、なつかしくてなつかしく! ピアノ科専攻でしたが、何気に取った指揮のクラスが、ものすごい刺激的だったのを想い出しました。始めはあまり気乗りしてなかったんですが、やってみたら、指揮ってすごいことなんだと気づかされたんです。まるで、オーケストラと言う名前の巨大な楽器を弾いているような気分になるんです。のだめでも千秋真一という彼が指揮の勉強で、総譜を一生懸命に勉強している姿がありましたが、本当にオーケストラの楽器一つずつの奏でる音を全部把握しないといけませんから、それはそれは確かに大変なことなんです。でも、それが頭に入ると、変な話ですが、自分の左手で楽器のボタンを押すような感覚になるんです。右手と言うのは拍子を取り続けるのですが、左手と言うのは、楽器に入ってくるタイミングを指示したり、音の高さ、叙情を伝えるんです。交響曲を二つほどやりましたが、楽しくて楽しくて、クラスで、みんなの前でやる時もあんまり楽しくて、身体が踊っちゃう?(笑)ような感じになって、あんまり身体動かさない方がいいとか言われちゃったりして。もう、なつかしいですね。

そして、本当は一番はまった理由は、この千秋真一君でした。始めは高圧的で横柄で、えらぶった嫌なやつと思ってたんです。でも昔から、そういう男性になぜか引かれる私でした。それに対し、スピリチュアルな世界の理解ができた時、一番付き合ってはいけない人なんだと自分で自分に言い聞かせるようになりました。だから、またか!って感じだったんで、「まだ、こういう男性に引かれているなんて、あ~ッ、情けない」って。彼は「おまえ」と女性のことを呼ぶタイプです。これもいやでいやで・・・ こんな男にひれ伏したら最後、自分が男性の下であると認めているようなもの!と。でも、それに反して気持ちはぐいぐいと引かれていってしまったんです。もちろん内容が本当に面白くて、笑いと涙とがうまい具合に交じり合い、本当によくできた話というか、いろんな意味で私のツボに入りっぱなしだったんです。自分の中で、一生懸命、「だめ、だめ、だめ。あんな男好きになっちゃ!」戦ってました。それもこの話マンガが原本なので、そのせいか、コミカルタッチが暴力沙汰で、のだめこと野田恵はいつも彼に殴られたりとバイオレンスがあるですが、まぁ、マンガチックに特写だったり、大げさになっているので、まぁ仕方ないかと。でも引っかかりましたが。

しかし私の抵抗もむなしく、千秋先輩にぞっこんになってしまいました。12月「のだめカンタービレ」に出会ったその日から、毎日のように今日まで、ビデオでドラマを見続けています。そして数日前、ふと思ったんです。千秋君みたいな男性は最悪な相手っていうのに、なんで心はこんなにルンルンしてるわけ?って。私の子供性が喜んでいるわけで、昔の私はよい男性像をもっていなかったから、父親に見せられた、千秋君のような姿を男性の原型と思ってインプットした結果と、ただ思ってきました。それにしても、明らかにうれしいと言う気持ちが湧いてきてることは否定できないわけで、ただの誤解で、ただ父親像/男性原型と符号があっているだけでここまで喜べるもんなんだろうかと。

「ちがう!」と思ったんです。喜びは喜びのはず。父親がいくら、若い時に亭主関白振りを見せてくれ、女性を下に見てきたとしても、私の父親は、私をそして他二人の姉妹も同様、とっても愛してきてくれました。私たち娘は、父の男性性の愛、男性性の暖かさ、やさしさをもらってきたんです。包まれるような、それはそれはうれしいものでした。その包まれているような感覚こそ、守られている感覚と私たちが思ったものだったんでしょう。

「のだめ」で、身長の高い千秋先輩とその彼より身長の高いバイオリン奏者の龍君が、背のとっても低いコントラバスの桜ちゃんの後ろに立ち、桜ちゃんのもっていた雑誌を受け取り、彼女を雑誌で背後から包むような感じで二人で雑誌を見ている姿を見て、とってもうらやましく感じました。桜ちゃんはたくましい男性二人のエネルギー場にすっぽり包まれてきっと、私が子供の頃感じた父親から感じたあの男性のあたたかいエネルギーを感じてるんだろうなって。(おそらく桜ちゃんの身長は私より高いかもしれないけど、同じくらいなんだろうなって言うのも手伝ったとは思いますが。)

こういうエネルギーに包まれてうれしくないと思う女性は少ないと思います。もちろん24時間そうされると言うことではないですよ。それはかなりうっとうしい。でも、そういうことができる許容量があるというところが大切なんだと思います。要は、いつも、常にそういうことをする必要はないし、される必要もない。でもそういうことのできるエネルギーがあるということが大切なんです。今の私はそれを枯渇してるんだろうなと思いました。

だから、この千秋君は明らかにそういうことができる許容量を持っているのを私の子供性は察知し、とっても喜んでいるんだなと分かったんです。

横柄な高圧的とも見える態度は千秋君が、自分が音楽奏者として、指揮者としてステージに立った時に必要となる、自分を信じていると言う姿勢でもあるんだということが分かりました。これも時と場合で、使い分ける必要があるものですが、こういう「強さ」と言うものを持っているのは男性性のよさなんだということ、しみじみ思いました。

ただ、そういう場違いな横柄さや、傲慢さと言うものが、男性性のやさしさ、あたたかさ、愛と常にセットとなっている必要もないということ、それが私の子供性が気づいていないところだったんだと思います。いや、大人の私もです。だから、横柄さは我慢すれば、うれしい男性性のやさしさとあたたかさをもらえると思ってきた。でも常にそれは同時に来るもんなんだと。

そこで、気づいたのは、この私たちがほとんど逃れられない現象、マザコン、ファザコンの理由です。親たち(保護者)の見せてくれた、うれしいところも、うれしくないところも子供の私たちは素直に受け取り、大人になった時、そのうれしいところを自分の相手をみつける基準にし、うれしくないところが、必ずしもセットで付いてくる必要がないということに気づくために、マザコン、ファザコンになっているんじゃないかと言うことです。私たちはなぜか、過去起きたことは、そのまま同じように起きると信じる傾向にあるように思います。それもオールドエイジの流れなのかもしれません。とりあえず、父母そっくりのいいとこ嫌なとこを持った人を引きつけ、そこで葛藤しながら学ぶ。そして、そこでよくしてしまうのが、このいいとこ嫌なとこはセットで来てしまう、と言うことだった。でも、そこで本当に学びたいことは、うれしいところは、本当にうれしいもんなんだ、でも、うれしくないところは、受けとる必要ないんだということ。だから、異性愛者の女性から見て、男性が自信に満ち、横柄にも見えてしまいそうな人を見て、必ずしも男尊女卑、または人を見下すようなことをする人と見なくてもいい。ましてや、横柄に見える人というのは、相手を見下すなどという意図をもって横柄になっているわけではないということも理解したいです。(ほとんどの場合、自分を守るためそういう態度に出てしまいます。)これは異性愛者の男性も同じことです。女性性の暖かさ、やさしさを持っている人が、母のように自分をコントロールしようとする必要はない、などが一つの例だと思います。

そして、たとえ、そのうれしくないところを持ち合わせていたとしても、それに対し、大人になった私たちは、その見下す態度などを自分たちが受けとる必要がないということを知ること、そしてその態度で自分の行動を卑屈なものにしないでいるというのが2番目の学びなんじゃないでしょか。見下す人は、見下されることを受けとめる相手がいないとその行為は成り立ちません。(親との間で、まるで呪縛のように、オートマチックに受けとめてしまうをやってきた人も多いと思いますが。)

だから、父または母そっくりな人に自分が引かれた場合に、うれしい部分だけをありがたく受けとり、そうでない部分に対し、自分がどれだけ境界線を引き、相手のペースに乗らず、付き合っていけるのかがレッスンと言えるんじゃないでしょうか。その上で、相手が去っていくかもしれないし、自分が去っていくかもしれません。私たちは昔のシナリオを再放送する必要がないということに気づき、実行する、それが幸せなパートナーシップへの道なんじゃないかと思います。

だから、私が今千秋君に惹かれていると言う事実を、私が男性性の、よい強さやあたたかさ、やさしさに惹かれているんだと言うことを理解すれば、子供の時に女だからと言って上から押さえられるようなエネルギーは受けとる必要がなく、ましてやそういうエネルギーがいつもセットで付いてくることがないと知ることができます。その上で、相手をひきつけた時、うれしい部分をもって、うれしくない部分のない人が来る可能性は大となるんじゃないかと思います。それに似たようなものをもっていたとしても、私の態度しだいで、子供の時のようなシナリオになる必要がなくなります。要するに、押さえつけようと言うエネルギーに対し、受けとらなければよいということですね。そうした時に相手がどうなるか、それもお楽しみな気がします。別れることになるかもしれないし、ベストシナリオは、相手が気づき、相手を押さえつける必要はなく、自分さえ自分がちゃんと認めれば、自信を持ってパートナーシップを築けると言うことに気づくのではないでしょうか。

まとめますと、ファザコン、マザコンになった私たちのレッスンは、親/保護者から見せていただいた原型男性/女性像のうれしい部分をありがたくいただき、うれしくないところを受けとめる必要がないと知り、受けとらずに、幸せなパートナーシップを作る、そういうことでしょうか。

それが分かった時、私の子供性はもう天にも昇る気持ちになってしまいました。あの千秋先輩に対するドキドキを持っていていいって、ああいう男の人と一緒にいていいって分かって! 「だめ、だめ」って言われ続け、思えば10年以上その気持ちと戦ってきたんですよね。父親とは全く違った人をひきつけないといけないって、必死になってました。いらないものはいらない、決してすべてのものはセットになってやってくる必要がないと、そんな簡単なことが、子供性には気づけません。

「そんなうまい話はない」と言う言葉一つで、いいことは必ず悪いことが「もれなくついてくる」と信じ込まされた、オールドエイジ。そんなことはある必要、やっぱりないんです。自分がそうなんだと信じ込むことだけが、そういう現実を作っている。だから、この頃思うのは「都合のよいことだけ信じる!」です。信じた方が勝ち、ってことなんだってしみじみ思います。どの道、オールドエイジで育った私たちは、100%プラス思考することは難しいです。プラスの方に振り子が反対に触れるくらい強力にひっぱるということをした時に、やっと50%以上プラス思考する自分を作ることができるんじゃないでしょうか? 昔の人がよく「人生10%の幸せで御の字」と言ったことが示しているのは、10%のプラス思考をして生きたのがオールドエイジだったんだと思います。それをひっくり返すには、自分を押してプラス思考をしますと意識的に毎日やっていかないと、やはり難しいです。今の私がやっていることは、それをどうにか70%以上に引っ張れればと言うことで、日々アファメーションしているわけです。「都合のよいことだけ信じる。」という振り子の反対へ引っ張る力を持って。今の私がベストをつくし、都合のよいことだけ現実にするはうまくして70~90%だと思います。潜在意識下の信じ込みは大変強力ですから。それでも、自分が日々自分をプラスの方へ引っ張ると言う努力はして、どこまでできるか、そういう自分を受けとり、オールドとニューの狭間に生きるということを受けとろうとしています。今、それがどこまでいけるのかという結果を見るのが楽しみになってきました。

そんなことを思う今日この頃です。そしてもう一つ分かったことがあります。やはり、私は、面食いなんだということがしみじみ分かりました。いろんな御託をつけては、自分の容姿やらなんやら、それこそ年も含め、無理だってってあきらめさせようとしている私のオールドエイジ性がいました。でも、こんなにいわゆる「いい男」見ると胸がときめく自分、50才を超えても変わりなく健在で、これは、私が日ごろ言っている「胸がドキドキ、ワクワクすることは『当たり!』と言う意味で、道しるべなんだから、そちらへ進めば必ず幸せになれる」から言えば、もう「いい男」の方へ向かうしかないでしょ!ってことですよね。それも、いい男って言う定義は、ほ~んとに人それぞれですし、私にとってのいい男ってことですが、もちろん。このことで、私の子供性がまた天にも昇る気持ちになってしまいました。ポッ! 

このマザコン、ファザコンのからくりが分かってから、本当に幸せな気持ちと安堵感で一杯です。そして、都合のよいことだけを信じる、で、私は老化することはやめました。いくつになっても、30代くらいの体力とエネルギーを持って生きられるとしたら、みなさんの人生どうなると思いますか? いくつになっても、恋をしやりたいことをやり、今生経験したことでぐっと賢くなった自分と、いろんなことをしていくことができるとしたら。私はそれをやって行きます。

最後に、平和の吟遊詩人、ジェームス・トワイマンから来たメイルでみつけたすてきな言葉を送ります。マハトマ・ガンジーが暴力に反対し、平和を訴えた時に言った言葉だそうです。

"Be the change you wish to see in the world."

「この世界にこうなって欲しいという姿(変化)に自分がなろう。」

自分が平和を信じ、平和を生きることこそ、周りへの貢献となるということだと思います。2007年、平和になるよう祈りを込めて、新年の御あいさつにしたいと思います。

LOVE & ALOHA

細川 さち子

掲載写真はフジTV「のだめカンタービレ」公式サイトより転載
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自愛学ニューエイジ教室
UNISON HAWAII: 自分への愛をすすめる会
http://www.sachikolove.com
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