ima さん、長いことお返事お待たせいたしました。こちらをもしご覧になっていただけていたら、ご存知かもしれませんが、5月父が亡くなり、その後、本当に体調がおもしろい事になり、もう最低限のことしかできない状態でした。それもやっと少しずつ回復し始めまして、ホッとしています。それに、2月にお約束した、T君との第二弾もまだ出すことができずにいますが、そちらもゆっくりですが、まとめ始め現在進行中です。できないことを無理にやるは、一番自分を大事にしない、愛さない行為ですので、みなさんをお待たせすることになっていることも理解していますが、きっとこういうおくれというのも意味あって起きているのだろうと、すべてを宇宙にゆだねています。さて、いただいたコメントもずっと気になっていました。ご忍耐感謝いたします。
私はK君大好きです。 (ima)
2008-04-30 12:30:49
はじめまして。私はK君が大好きでさち子さんのように最初彼の事を「助けたい!!」と強く思いました。でも私は助けられっぱなしなんですけどね。何の力があるわけでもないのに、何をもって助けたいと思ったのか自分でも不思議なんですがこれだけは全く根拠のない自信がありました。(今はナイです…)
楽しそうに歌っている時に「何がそんなにあなたを苦しめてるの?」と感じました。これってすっかり彼の虜になってしまった妄想なのかもしれませんが。
さち子さんがT君と出会えた事もいつかはわが身!と思いながらドキドキして読ませていただきました。また会えるといいですね!!
さち子: ファンと芸能人、そういうことに限らず、誰かに引かれる、好きになるは縁があるという証拠だと思います。どういう縁かと言うのは、それぞれだと思いますが、会いたいという気持ちがあるのでしたら、出会って当然のご縁なんだと思います。そして、引きつけられた理由は、魂の成長のため地球にやりに来た事に従ってくるんでしょう。その引きつけられた人の中に自分の夢も叶うんだと言う希望を見たり、たくさんの元気をもらったり、その人がやっていることで何かを気づいたりと、きっとそれぞれなんだと思います。そのために必要なことを満たすため人と人は引きつけ合うんだと思います。
imaさん:「助けたい!!」と強く思いました。でも私は助けられっぱなしなんですけどね。何の力があるわけでもないのに、何をもって助けたいと思ったのか自分でも不思議なんですがこれだけは全く根拠のない自信がありました。
さち子: 助けられっぱなしと言うのは違うと思いますよ。それは相手のそばに行って確かめる事はできないでしょうが、でも人と人が接点を持つ時、一方通行と言うのはない、それが一つの宇宙の動きだと私は思います。
『何の力があるわけでもないのに』これこそが自分を認めない、愛さない言葉ですね。日本文化は謙遜の文化。ですからほとんど社交辞令のように自分を認めない発言をしてしまうことがあります。『私は何かする力があります』と言う必要もないでしょうが、自分を過小評価する必要はないです。そういう言葉は社交辞令であってもできるだけ言わないようにするが自分を大事にする、愛することだと思います。自分の中のナイーブな部分子供性は、こういう言葉を聞いてそのたびに傷ついていきます。そして事実は、imaさんが、何の力もなかったら、今生きていません。もっと自分を受けとめてあげてください。
『全く根拠のない自信』というものこそが、魂のレベルでの認識だと思います。だから、それは正しいことですよ。そのK君の中にいろんなものを見ていらっしゃるんだと思います。そういうものを見せることがK君の仕事であり、そういうことを選んできたからこそ公の場に出て行くと言う役割を選んだんだと思います。そのK君がやろうとしていることを受けとっているimaさんは、受けとることでK君の使命の全っとうを助けています。ファンがいなければ彼の仕事は成り立たないわけです。その一人となっていることこそが彼に対する大貢献です。そのことを伝えたければ、お手紙を書いてあげてください。読んでもらえるかどうかなんて事は考えることありません。でも、面と向かって自分のやっていることの受け手を見れない人達にとり、誰かが受け取っているという証の手紙はとってもうれしいもののはずです。
私もこの2月T君に短い手紙を渡しました。前回、私の感謝の気持を伝えた時に、あのつらそうでご機嫌悪く見えた彼の顔が、私の言葉で少しやわらいだのを感じました。人というのは自分を信じていないが原点というのがオールドエイジです。(どんなに成功していると見える人でも!)そのためコンスタントにほかの人から自分がやっていることが良いことであると認める言葉を聞かないと、すぐに落ちてしまう、それがほとんどの場合のようです。T君は目の具合も悪く、体も疲労していたんだろうと思いますが、触った手がカサカサで生気がありませんでした。あれは20代の若者の手でなかったです。きっと心身ともにまいっていたんだと思いますが、私の言葉を聞き、彼から感謝の言葉が返ってきました。おごっているつもりはないんですが、私のその言葉が彼にはとっても必要だったんではないかと感じました。こういう芸能界の人、公に活動する方々にとって、その方たちがやっていることをありがたいと思う、受けとっていますよ、と伝える言葉こそが一番のごほうびだと思います。imaさん、それをK君に伝えてあげてください。それが最大の彼への『ヘルプ』です。私もできる時にはやろうと思っています。
imaさん: それから「感情を本気で受け取るための知恵」は今まさにコレが必要でした。考えるより先に涙がボロボロです。自分を愛していないで甘やかしている、ケンカをしたくない、問題から目をそむける。いつも自責の念で止まってしまい底から進めないままでした。
さち子: 「甘やかしている」という言葉こそが自責の言葉に私には思えます。この言葉は「自分をそのままの自分にしておいてあげる」時に使われることが多いと感じます。スピリチュアルなことというのは学校の勉強のようにテキストに従って、次々と進むものではないと思うんです。その時に自分がこうしたい、ああしたい、これはしたくない、そういう「気持ち」というのはその時自分にとって一番して意味のあることというメッセージだと思うんです。それに、常に先へ先へは、自分の内面が納得しないのに押すだけになり、本当の学びがついてきません。人は納得言った時、初めて変わる、動くということをします。その納得こそが学んだという終了証なんだと思います。早ければいいはないです。焦る事は一つもないです。私たちは永遠に存在するんですから、今生は今生できる学びをちゃんとすればいいんだと思います。先へ早く行くことではなく。
「ケンカをしたくない」はみんなが思うことじゃないでしょうか。そして一つの誤解は、自分の意見、考えを人に言った時、それが相手の考えに同意しないという時でも、ケンカになる必要はないということです。「同意しない=ケンカ」はオールドエイジの考えです。常に相手との和を望むという意図を真ん中にもって行きながらコミュニケーションをした時、ケンカになる必要はなくなります。木村拓哉さんがやった「CHANGE」というドラマ中で、「みんなとたくさん考え、話し合いをすると、みんなが違うんだということが分かる」という台詞がありました。これなんです。今みんなが知らないといけないことは。同意できないからケンカと言って、中近東の紛争は何年もの間終わらず、たくさんの命が奪われています。みんなが違うんだ。「違う宗教を信じているだけで、それでいいんだ」と言えたなら、平和になれるんだと思うんです。自分(の宗教)が一番正しいんだ、と拳を上げ続けるかぎり終わりのない戦いだと思います。
日々の人間関係の中に、こういう「人はそれぞれ違うんだ」そして「それでいいんだ」をもって生きていったのなら、和ができていきます。それが平和の種です。そういう平和作りを一人ずつが始めたのなら、真の世界平和が可能になると、エクトンというリチャード・ラビンがチャネルする存在が言っていました。
http://www.sachikolove.com/EctonQ&A2003.htm
話は大げさになったかもしれませんが、ケンカになるだろうと信じながら自分の考えを言えば、90%以上ケンカになります。でも「これが私の思うことで、私はあなたのように思わないけれども、私はあなたのその考えを尊重します。(=違うということを受け取ります)」は、はじめは確かに勇気がいります。でもやり始めると本当に驚きますよ。けんかにならないという事実に。そして逆に相手と近くなることも大ありです。本当の気持ちを伝えるは、自分の心を開くということだからです。
余談ですが、今いろんな方から、「自分の考えを伝える。断る。NOを言う」という事を心を持って淡々と伝える方法を学びたいという声が聞かれています。実際、私にも大きなチャレンジで、正直2年前くらいから取り組みはじめたことです。次回日本へ行った際、セミナー『初めての自愛学』でそのことを扱いたいと思っています。もしご興味ありましたら、ご参加ください。
そしてもう一つ、コミュニケーションは、相手に好かれようとしてやってはいけないということです。嫌われようとしてやるということではないですよ。でも相手に嫌われてはいけないんだという気持ちでやった時、コミュニケーションははっきりと伝わらず、誤解も招く可能性もあり、嫌われてはいけないのだというのが意図となり、相手が気分よくなくなるかもしれません。(何かを伝えたいという事以外がコミュニケーションの中心となってしまうからです。)
コミュニケーションとは、相手も自分も尊重し、心を持って正直に自分の思っていることを伝えた時、一番分かりやすいコミュニケーションになるんだと思います。そこで相手が受けとめてくれなかったのなら、それは相手が問題を持っているということです。(おそらく、人は違うんだという事を受けとめられないという問題などが考えられます。)「和を作る事を望みます」という気持ちを中心にコミュニケーションするが、話し手の責任です。それは何が何でも相手の気持ちを傷つけてはいけないんだと思うこととは全く違います。(それはある意味相手の感情をコントロールしようとすることです。)相手を傷つけるという事はどのみち不可能なことですし。(スピ大ニューエイジ教室:感情の理解参照。http://blog.goo.ne.jp/unisonhi/e/e8046ff04cb6b5a8be57764a25df1447)「自分の意図は和を作ることです。」と思うことが大切なんです。それはこれから自分が相手に言う内容に影響を与えることなく、思い続けることです。その結果は自分が選ぶものではないです。人が違うを受けとめられないという人と、今後も仲良くするは難しいことだと思います。もちろん、その方に「人は違うんだ」という考えを受けとめる時間とチャンスを与えることも必要だと思います。自分にとって今後も仲良くしたい人なのかどうかによって、自分が相手にあげる時間の長さやチャンスの回数は決まってくるんじゃないでしょうか。
(相手に嫌われたら、自分が一人になってしまうかもしれないという不安を持った方は多いのではないでしょうか。事実は逆で、自分が自分の考えを自由に言えた時、似たように考える人、または柔軟性を持って違いを受けとめられる人が集まってきます。)
自分がちゃんと自分の考えを言った時に、相手が自分にとって一緒にいてうれしい存在なのかどうかもよく分かります。ある意味よいテストでもあります。違いをお互いが受けとめあえるのであれば、何も問題ないわけです。その中でどちらかが過剰反応してしまった時、その関係を見直す時かもしれません。
imaさん: 「…と思う貴重な体験をしています」というアファメーション!実行します。一日中言ってるかも知れません。さち子さんの感情や気持ちの変化たくさんシェアして下さってありがとうございます。おかげで気持ちが軽くなりました。とっても救われた気分です。
さち子: ありがとうございます。私にとっても大変使えるテクでした。(笑)私の『自愛学トーク』というのは使えるテクをみなさんにシェアする、それが趣旨です。そして、役に立ったというこの言葉をいただく事は一番うれしいことです。ありがとうございました。本当に長いことお待ち願い、感謝しています。とてもよい話題を提供してくださり、大感謝です。いろんな内容をカバーすることができたので、事後承諾となりますが、これを『スピリチュアル大学』の番外編としてアップさせていただきますが、どうかご了承ください。
www.sachikolove.com
私はK君大好きです。 (ima)
2008-04-30 12:30:49
はじめまして。私はK君が大好きでさち子さんのように最初彼の事を「助けたい!!」と強く思いました。でも私は助けられっぱなしなんですけどね。何の力があるわけでもないのに、何をもって助けたいと思ったのか自分でも不思議なんですがこれだけは全く根拠のない自信がありました。(今はナイです…)
楽しそうに歌っている時に「何がそんなにあなたを苦しめてるの?」と感じました。これってすっかり彼の虜になってしまった妄想なのかもしれませんが。
さち子さんがT君と出会えた事もいつかはわが身!と思いながらドキドキして読ませていただきました。また会えるといいですね!!
さち子: ファンと芸能人、そういうことに限らず、誰かに引かれる、好きになるは縁があるという証拠だと思います。どういう縁かと言うのは、それぞれだと思いますが、会いたいという気持ちがあるのでしたら、出会って当然のご縁なんだと思います。そして、引きつけられた理由は、魂の成長のため地球にやりに来た事に従ってくるんでしょう。その引きつけられた人の中に自分の夢も叶うんだと言う希望を見たり、たくさんの元気をもらったり、その人がやっていることで何かを気づいたりと、きっとそれぞれなんだと思います。そのために必要なことを満たすため人と人は引きつけ合うんだと思います。
imaさん:「助けたい!!」と強く思いました。でも私は助けられっぱなしなんですけどね。何の力があるわけでもないのに、何をもって助けたいと思ったのか自分でも不思議なんですがこれだけは全く根拠のない自信がありました。
さち子: 助けられっぱなしと言うのは違うと思いますよ。それは相手のそばに行って確かめる事はできないでしょうが、でも人と人が接点を持つ時、一方通行と言うのはない、それが一つの宇宙の動きだと私は思います。
『何の力があるわけでもないのに』これこそが自分を認めない、愛さない言葉ですね。日本文化は謙遜の文化。ですからほとんど社交辞令のように自分を認めない発言をしてしまうことがあります。『私は何かする力があります』と言う必要もないでしょうが、自分を過小評価する必要はないです。そういう言葉は社交辞令であってもできるだけ言わないようにするが自分を大事にする、愛することだと思います。自分の中のナイーブな部分子供性は、こういう言葉を聞いてそのたびに傷ついていきます。そして事実は、imaさんが、何の力もなかったら、今生きていません。もっと自分を受けとめてあげてください。
『全く根拠のない自信』というものこそが、魂のレベルでの認識だと思います。だから、それは正しいことですよ。そのK君の中にいろんなものを見ていらっしゃるんだと思います。そういうものを見せることがK君の仕事であり、そういうことを選んできたからこそ公の場に出て行くと言う役割を選んだんだと思います。そのK君がやろうとしていることを受けとっているimaさんは、受けとることでK君の使命の全っとうを助けています。ファンがいなければ彼の仕事は成り立たないわけです。その一人となっていることこそが彼に対する大貢献です。そのことを伝えたければ、お手紙を書いてあげてください。読んでもらえるかどうかなんて事は考えることありません。でも、面と向かって自分のやっていることの受け手を見れない人達にとり、誰かが受け取っているという証の手紙はとってもうれしいもののはずです。
私もこの2月T君に短い手紙を渡しました。前回、私の感謝の気持を伝えた時に、あのつらそうでご機嫌悪く見えた彼の顔が、私の言葉で少しやわらいだのを感じました。人というのは自分を信じていないが原点というのがオールドエイジです。(どんなに成功していると見える人でも!)そのためコンスタントにほかの人から自分がやっていることが良いことであると認める言葉を聞かないと、すぐに落ちてしまう、それがほとんどの場合のようです。T君は目の具合も悪く、体も疲労していたんだろうと思いますが、触った手がカサカサで生気がありませんでした。あれは20代の若者の手でなかったです。きっと心身ともにまいっていたんだと思いますが、私の言葉を聞き、彼から感謝の言葉が返ってきました。おごっているつもりはないんですが、私のその言葉が彼にはとっても必要だったんではないかと感じました。こういう芸能界の人、公に活動する方々にとって、その方たちがやっていることをありがたいと思う、受けとっていますよ、と伝える言葉こそが一番のごほうびだと思います。imaさん、それをK君に伝えてあげてください。それが最大の彼への『ヘルプ』です。私もできる時にはやろうと思っています。
imaさん: それから「感情を本気で受け取るための知恵」は今まさにコレが必要でした。考えるより先に涙がボロボロです。自分を愛していないで甘やかしている、ケンカをしたくない、問題から目をそむける。いつも自責の念で止まってしまい底から進めないままでした。
さち子: 「甘やかしている」という言葉こそが自責の言葉に私には思えます。この言葉は「自分をそのままの自分にしておいてあげる」時に使われることが多いと感じます。スピリチュアルなことというのは学校の勉強のようにテキストに従って、次々と進むものではないと思うんです。その時に自分がこうしたい、ああしたい、これはしたくない、そういう「気持ち」というのはその時自分にとって一番して意味のあることというメッセージだと思うんです。それに、常に先へ先へは、自分の内面が納得しないのに押すだけになり、本当の学びがついてきません。人は納得言った時、初めて変わる、動くということをします。その納得こそが学んだという終了証なんだと思います。早ければいいはないです。焦る事は一つもないです。私たちは永遠に存在するんですから、今生は今生できる学びをちゃんとすればいいんだと思います。先へ早く行くことではなく。
「ケンカをしたくない」はみんなが思うことじゃないでしょうか。そして一つの誤解は、自分の意見、考えを人に言った時、それが相手の考えに同意しないという時でも、ケンカになる必要はないということです。「同意しない=ケンカ」はオールドエイジの考えです。常に相手との和を望むという意図を真ん中にもって行きながらコミュニケーションをした時、ケンカになる必要はなくなります。木村拓哉さんがやった「CHANGE」というドラマ中で、「みんなとたくさん考え、話し合いをすると、みんなが違うんだということが分かる」という台詞がありました。これなんです。今みんなが知らないといけないことは。同意できないからケンカと言って、中近東の紛争は何年もの間終わらず、たくさんの命が奪われています。みんなが違うんだ。「違う宗教を信じているだけで、それでいいんだ」と言えたなら、平和になれるんだと思うんです。自分(の宗教)が一番正しいんだ、と拳を上げ続けるかぎり終わりのない戦いだと思います。
日々の人間関係の中に、こういう「人はそれぞれ違うんだ」そして「それでいいんだ」をもって生きていったのなら、和ができていきます。それが平和の種です。そういう平和作りを一人ずつが始めたのなら、真の世界平和が可能になると、エクトンというリチャード・ラビンがチャネルする存在が言っていました。
http://www.sachikolove.com/EctonQ&A2003.htm
話は大げさになったかもしれませんが、ケンカになるだろうと信じながら自分の考えを言えば、90%以上ケンカになります。でも「これが私の思うことで、私はあなたのように思わないけれども、私はあなたのその考えを尊重します。(=違うということを受け取ります)」は、はじめは確かに勇気がいります。でもやり始めると本当に驚きますよ。けんかにならないという事実に。そして逆に相手と近くなることも大ありです。本当の気持ちを伝えるは、自分の心を開くということだからです。
余談ですが、今いろんな方から、「自分の考えを伝える。断る。NOを言う」という事を心を持って淡々と伝える方法を学びたいという声が聞かれています。実際、私にも大きなチャレンジで、正直2年前くらいから取り組みはじめたことです。次回日本へ行った際、セミナー『初めての自愛学』でそのことを扱いたいと思っています。もしご興味ありましたら、ご参加ください。
そしてもう一つ、コミュニケーションは、相手に好かれようとしてやってはいけないということです。嫌われようとしてやるということではないですよ。でも相手に嫌われてはいけないんだという気持ちでやった時、コミュニケーションははっきりと伝わらず、誤解も招く可能性もあり、嫌われてはいけないのだというのが意図となり、相手が気分よくなくなるかもしれません。(何かを伝えたいという事以外がコミュニケーションの中心となってしまうからです。)
コミュニケーションとは、相手も自分も尊重し、心を持って正直に自分の思っていることを伝えた時、一番分かりやすいコミュニケーションになるんだと思います。そこで相手が受けとめてくれなかったのなら、それは相手が問題を持っているということです。(おそらく、人は違うんだという事を受けとめられないという問題などが考えられます。)「和を作る事を望みます」という気持ちを中心にコミュニケーションするが、話し手の責任です。それは何が何でも相手の気持ちを傷つけてはいけないんだと思うこととは全く違います。(それはある意味相手の感情をコントロールしようとすることです。)相手を傷つけるという事はどのみち不可能なことですし。(スピ大ニューエイジ教室:感情の理解参照。http://blog.goo.ne.jp/unisonhi/e/e8046ff04cb6b5a8be57764a25df1447)「自分の意図は和を作ることです。」と思うことが大切なんです。それはこれから自分が相手に言う内容に影響を与えることなく、思い続けることです。その結果は自分が選ぶものではないです。人が違うを受けとめられないという人と、今後も仲良くするは難しいことだと思います。もちろん、その方に「人は違うんだ」という考えを受けとめる時間とチャンスを与えることも必要だと思います。自分にとって今後も仲良くしたい人なのかどうかによって、自分が相手にあげる時間の長さやチャンスの回数は決まってくるんじゃないでしょうか。
(相手に嫌われたら、自分が一人になってしまうかもしれないという不安を持った方は多いのではないでしょうか。事実は逆で、自分が自分の考えを自由に言えた時、似たように考える人、または柔軟性を持って違いを受けとめられる人が集まってきます。)
自分がちゃんと自分の考えを言った時に、相手が自分にとって一緒にいてうれしい存在なのかどうかもよく分かります。ある意味よいテストでもあります。違いをお互いが受けとめあえるのであれば、何も問題ないわけです。その中でどちらかが過剰反応してしまった時、その関係を見直す時かもしれません。
imaさん: 「…と思う貴重な体験をしています」というアファメーション!実行します。一日中言ってるかも知れません。さち子さんの感情や気持ちの変化たくさんシェアして下さってありがとうございます。おかげで気持ちが軽くなりました。とっても救われた気分です。
さち子: ありがとうございます。私にとっても大変使えるテクでした。(笑)私の『自愛学トーク』というのは使えるテクをみなさんにシェアする、それが趣旨です。そして、役に立ったというこの言葉をいただく事は一番うれしいことです。ありがとうございました。本当に長いことお待ち願い、感謝しています。とてもよい話題を提供してくださり、大感謝です。いろんな内容をカバーすることができたので、事後承諾となりますが、これを『スピリチュアル大学』の番外編としてアップさせていただきますが、どうかご了承ください。
www.sachikolove.com
私のコメント、スピリチュアル大学番外編として扱って頂いて光栄です。一つ一つ詳しくご返答頂いて感激しました。そして他の方への気付きに役に立つのかと思うとちょっと嬉しいです。
あれからもずいぶん揺れ動きましたが「感情を本気で受け取るための知恵」が効を奏したようで気持ちに変化がありました。へこむ位の夢も見て「もうその人が私にどういう態度をとろうが気にしないようにする」と決められました。実際あんまり傷つかなくなったんです。ちょうどその翌日さち子さんがこの記事をアップされていたのでちょっとびっくりです。
相手が私を見ると、ひどい態度をとる”その人の良心”が痛むから余計に私を嫌いになるのかな~と思っています。相手にこんな態度をとらせてしまって悪い事しちゃったな~って感じています。そして私は別の人にも嫌悪感を持っていて、同時に両方の立場を味わっています。(いい加減気付いて!って事なんでしょうね)
どちらも根底にあるのは「子供の幸せを願っている」事で一致しているので、それが成り立てばそれ以外にに関わる必要もないんだなと思えてきました。一人でいる恐怖もあまり強く感じなくなりました。
以前の私は自己評価が低く、自分の事を愛していませんでした。そんなに大切に扱われる人間じゃないと思っていました。考え方も行動も全てそこから発せられるので、イヤな事があると自分が至らなかったせいか誰かのせい。被害者意識。コミュニケ-ションも相手に好かれようと、一人になりたくなかったんです。さち子さんの言う通り、もっと自分を受け入れてみます。考え方を気をつけようと思います。そしてあせらずに一歩一歩これ以上同じ事を繰り返さないように進んでいきたいと思います。
K君の事はファンでいる事自体縁があって彼を助けているんですね。良かった。少し前に彼への思いは通じるているのかも?といった事を体感しました。彼の幸せや成功を祈っていたら向こうからも気持ちが返ってきたような瞬間があったんです。ハートがあったかくなるような泣きたくなる位のありがとうの気持ち。色で言ったらやさしいピンク色の雰囲気。もうこれこそ妄想の世界ですね。嬉しい事だったのでそう思い込んでいます。やるじゃん自分!と思って自分を好きになる材料にしています。落ち込んだりハイテンションになったりちょっと両極端で振れ幅が大きすぎなんですが、これも自分の長所と思ってK君に恥ずかしくない自分でいようと思います。また手紙書いてみます。
自分なりに結論を出せた時にさち子さんから書いていただいてよかったです。それ以前でしたらまた感情を押し殺していたかもしれません。本当にありがとうございました。さち子さんもT君と新たな展開になりますことお祈りいたします。
お体ご自愛くださいね。