宇佐美りん『くるまの娘』
ひとことで感想を言うと、凄かった。
宇佐美りんさんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』は昨年最も売れた文芸書らしい。
前のブログでこの本を読んだことを書いた。
受賞後第一作『くるまの娘』は更にパワーアップしていた。
主人公はウツで不登校経験のある女子高生。
家族に暴言を吐き、時には暴力を振るう、感情のコントロールができない父親、脳梗塞を機にアルコール依存症となり、精神的に不安定で人目を憚らずに突然泣き叫ぶ母親。とにかくめちゃくちゃな両親
兄と弟はそんな両親を見限って家を出て行き、残されたかんこ(本名かなこ)は両親と3人で暮らしている。
かんこは両親のことを自分の「親であり子どもである」と思っている。だから兄や弟のように両親を捨てることができない。
文章がとにかく秀逸。以下引用
〈みんな傷ついているのだ、とかんこは言いたかった。みんな傷ついて、どうしようもないのだ。助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ。誰かを加害者に決めつけるなら、誰かがその役割を押し付けられるのなら、そんなものは助けでもなんでもない〉
〈もつれ合いながら脱しようともがくさまを「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが、数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった〉
〈曖昧になる。曖昧に、繰り返される。柔らかくぬるく、ありふれた地獄だった〉
〈地獄でいっとう耐えるのは、ほんとうは、血の池の熱さや痛さでも、三途の川のほとりで石を積み上げるきつさでもないのかもしれないとかんこは思った。地獄の本質は続くこと、そのものだ。終わらないもの。繰り返されるもの〉
安倍元首相銃撃事件を機に旧統一教会信者の親を持つ子どものことがやたら報道番組で取り上げられているが、この本の主人公がそれらと重なってしまった。
社会が救ってくれない『終わらない地獄』を、山上徹也容疑者は無理やり終わらせたかったのだろうな…と思った。
ニイト君、お盆には一緒にお墓参りに行ってくれた。
今年もコロナで親戚の集まりはなくなったのでよかった。
食事会があったらニイト君はお墓参りに行けなかっただろうから。
相変わらず昼夜逆転してゲーム三昧の20歳
一年前と変わったのは、誰かと会話しながらゲームをしていること。
ゲームを介して家族以外とコミュニケーションが取れていること。
楽しそうだから、いいのかな。