母は激怒、妻は不機嫌 でも縫い続けた憧れの「タイガーマスク」
「かぶりたい」という気持ちが芽生えた小学生の時。プロレスショップで売られていた本物のマスクは3万5千円もして、手が出なかった。この無念から14歳でマスクを作り始めた。プロレス新聞の特集で掲載されたマスクの型紙がきっかけだった。
手芸店で端切れを買い、母親の足踏みミシンで毎晩縫った。裁縫経験は無かったがすぐ慣れた。あまりに何度も足を運ぶため、手芸店主からは不審の目を向けられた。事情を説明すると「不良になるよりはいい」と言われた。
受験迫っても、新婚旅行でも
高校受験が迫るのに、マスク作りに熱中する佐藤さんに母親が激怒したことも。プロレス新聞の切り抜きやマスクは捨てられ、ミシンの使用も禁じられた。そんななかでもミシンのある友人宅を訪ねて、マスク作りを続けていた。
高2の時、東京のプロレスショップが開いたマスクコンテストで準優勝。ここでプロレス関係者と知り合い、プロレスラーのウルティモ・ドラゴンのマスクを頼まれるまでになった。
自然とマスクの歴史にも詳しくなった。発祥は1930年代。プロレスの本場メキシコで、善玉と悪玉を見分けやすくするために作られたのだという。悪玉役の米国人プロレスラーがかぶっていたが、やがて善玉役にも広がった。
新婚旅行はメキシコ。つまらなさそうな妻を、現地の布店やマスク店、プロレスショップに連れ回した。妻は終始不機嫌だった。
マスクは破れたり脱げたりしてはならない。特に破れやすい目の周りには、裏に本革を縫い込んで補強。「ずれず、脱げず、破れず」の鉄則を守りながら、美と迫力を求める。
「マスクをかぶると、別の自分になれる。強くなれる。正義の勇気もわく」と佐藤さん。「誰もが秘めている変身願望をかなえてくれる力がマスクにはある」と力を込める。
コロナ禍で感染防止のためのマスクが不足した際には、培ったノウハウを生かし、100枚の「普通のマスク」を縫って配った。
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佐藤さんのタイガーマスク12点などが並ぶ個展が、岡山市北区天神町のカフェ「SYNERGY73」で23日まで開催中だ。午後2時~翌午前1時。ワンドリンクの注文が必要。(神崎卓征)
オミクロン株「ステルスクラスター」 無自覚でウイルス伝播か
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全国で猛威を振るう新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」では、感染しても無症状や軽症にとどまるケースが目立ち、症状を自覚せずに周囲に広げてしまう事例が確認されている。感染力が非常に強く、水面下で急拡大する「ステルスクラスター(感染者集団)」を専門家は危惧。高齢者や基礎疾患のある人が死亡する事例も出始めており、「まだ警戒を解く段階にはない」と訴える。 【イラストでみる】家庭内での主な感染対策 「症状を聞いても熱があまり出ておらず、のどが痛いくらいのものだった。陽性判定が出て『本当にコロナなの』と驚いた」。東京都内でオミクロン株のクラスターが発生した団体の幹部はこう振り返る。 この団体では昨年末、1人が発熱を訴えたのがきっかけとなり、18人の感染が確認された。大半は軽症か無症状で、中には倦怠(けんたい)感を覚えていた人もいたが、年末の繁忙期だったこともあり、「疲れがたまっているのだろう」と見過ごされていたという。 この幹部は「オミクロン株はかかっているかどうか分かりづらいのが恐ろしい。知らない間に周囲に広がっていた」と語った。 都によると、どこで感染したのか分からない接触歴不明の感染者は、12日時点の直近7日間平均で1日当たり735人だったが、19日時点では2988人まで増加した。接触歴不明者の増加比で見ると、9日時点で前週から約11倍と過去最高を記録し、19日時点でも約4倍と依然として高い水準で推移している。 感染症対策に詳しい順天堂大の堀賢(さとし)教授はオミクロン株による感染急拡大の理由として、「本人でさえコロナにかかっている自覚がない段階で感染を広げてしまう『ステルスクラスター』ともいうべき現象が考えられる」と説明する。 オミクロン株の症状は発熱や鼻水、のどの痛みが目立ち、従来株でみられた特徴的な嗅覚や味覚の異常はほぼ見られていない。「『花粉症かな』と思っていたらコロナだったケースもある。健康な人は症状が軽いので、コロナと気付く前に出歩いてしまい、ウイルスを運んでしまっている可能性がある」(堀氏) 従来株に比べて重症化の報告例は現時点で少ないが、高齢者や基礎疾患のある人がかかった場合、命を落とすリスクは潜んでいる。大阪府ではコロナ感染者だった基礎疾患のある80代男性が死亡し、オミクロン株に感染していたことがその後確認された。 都内の感染者に占める65歳以上の割合は今月に入り、6%程度にとどまっているが、感染者数は5日に24人、12日に127人、19日に435人と2週間で約18倍に急増している。 堀氏は「過去の『波』では感染者数がある程度増えてから重症者が出ていた」と指摘した上で、「オミクロン株は健康な人では症状が軽かったとしても、高齢者や基礎疾患のある人には命取りになる可能性もある。少しでも体調に違和感を覚えたら必ず検査を受けてほしい」と呼びかけた。(竹之内秀介)
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最大の花「ラフレシア」の栽培に初めて成功した植物学者の物語
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巨大でくさい、そして根も葉もない
ラフレシア属の植物は、信じられないほど奇妙である。ムルシダワティ氏が最初に挙げるのは、その花の途方もない大きさだ。単独の花としては世界最大で、直径1メートルを超えるものがいくつか報告されている。 そして、くさい。いわく言いがたいラフレシアの臭いは、授粉を担うクロバエにとってはたまらない誘惑だが、ほとんどの人間にとっては耐えがたいほど不快である。といっても巨大な花が悪臭を放つ植物はラフレシアだけではなく、アジア、アフリカ、オーストラリアに分布するコンニャク属の植物も「死体花」の別名をもつ。 さらに奇妙なことに、植物学的な定義からは、ラフレシアはほとんど植物とは呼べない。ラフレシアには茎も根も葉もなく、何百万年も前に光合成のための遺伝子を捨ててしまっているため、完全に宿主に頼って生きている。 「パズルはますます複雑になっています」と、2014年にラフレシアから欠失している遺伝子を突き止めた米ロングアイランド大学ブルックリン校の植物生物学者ジャンメール・モリーナ氏は語る。「ラフレシアを保全するどころか、調べることさえ非常に困難なのです」 この寄生植物の複雑なライフサイクルと謎めいた生態は、絶滅の危機から救おうとする科学者たちを苦しめている。 ラフレシアの花は、雄花と雌花に分かれている。受粉のためには、雄花と雌花が同じタイミングで1.5km以内の距離(媒介者が花粉を受け渡せる程度の近さ)で咲かなければならない。開花期間が1週間にも満たないことが、問題をいっそう複雑にしている。ラフレシアの寿命が数カ月~数年であることを考えれば、受粉のチャンスはほんの一瞬と言っていい。 ムルシダワティ氏がラフレシアを咲かせるのに用いる方法は、手で受粉させる方法でも、種子から発芽させる方法でもない。彼女が編み出したのは、ラフレシアに寄生されたミツバカズラの組織を、別のミツバカズラに接ぎ木するという方法だった。
努力が実るまでの長い歳月
ムルシダワティ氏がラフレシアの研究を始めたのは、海外の大学院を修了してボゴール植物園に戻ってきた2004年のことだった。いろいろなプロジェクトを考えていた彼女は、ジャワ島原産のラフレシア・パトマ(Rafflesia patma)を養樹場で栽培することを指導教官から提案された。ほかの植物学者たちが70年間も挑戦と失敗を繰り返してきたテーマだ。 「ラフレシアの栽培は非常に難しいので、やりたがる人は私以外にはいなかったと思います」と彼女は言う。「実際、そんなことは不可能だとみんなに言われました」 ムルシダワティ氏は試行錯誤の末、以前英国でトネリコの繁殖に用いられた接ぎ木の手法を改良して用いることにした。 まず、ジャワ島のパンガンダラン自然保護区で野生のラフレシアのサンプルを採取した。自然保護区はボゴールから車で8時間の距離にあり、ラフレシアの自生地まではさらに3時間歩かなければならない。そうしてラフレシアの種子や、ラフレシアの花芽が出ているミツバカズラの根を採取した。初期の頃は、ラフレシアが寄生したミツバカズラの全体を根こそぎ引き抜いて持ち帰ったこともあった。 次に、種子を植える試験と、ラフレシアが寄生したミツバカズラを復活させる試験、そして、ラフレシアの寄生したミツバカズラの根を、養樹場で育てたミツバカズラの根に接ぎ木する試験を並行して進めた。 ムルシダワティ氏がラフレシアの自生地から持ち帰った数本のミツバカズラに元々ついていた花芽は、1つも生き残れなかった。2006年には1本のミツバカズラに新たな花芽ができたが、2カ月後に襲来したハリケーンの影響で枯れてしまった。 ボゴール植物園で初めてラフレシアの花が咲くまでには、さらに4年の月日が必要だった。2010年、根接ぎをしたミツバカズラに雄花が咲き、1年後には、移植した宿主に2つの雌花がついた。ムルシダワティ氏は、英国王室にちなんで、2つの雌花にマーガレットとエリザベスという名前をつけた。 ムルシダワティ氏はこの10年間、何百回となく試行錯誤を重ね、16個のラフレシアの花を咲かせてきた。彼女は、自分の仕事はラフレシアの研究にとっては大きな一歩だったが、種の保存にとっては小さな一歩だったと言う。花芽の死亡率は90%と高いし、ラフレシア・パトマ以外のラフレシア(ジャワ島の隣の島に自生していて、採取が容易なラフレシア・アルノルディイなど)の栽培はまだ成功していないからだ。 ムルシダワティ氏の庭で開花したラフレシアは、どれもタイミングが悪かった。雄花と雌花が同時に開花しないので、受粉が起こらず、種子が育たなかったのだ。このままでは、熱帯雨林から植物園へやってきたラフレシアは、後が続かず途絶えてしまう。
正しい保護戦略
マレーシア・クランタン大学の生態学者ズルハズマン・ハムザ氏は、ムルシダワティ氏の取り組みは種の保存をバックアップする重要なものだが、栽培を強調しすぎると、自然の生息地でラフレシアを保護するという真の仕事から遠ざかってしまうと指摘する。ハムザ氏の研究チームは西マレーシアでラフレシアを発見しているが、その後の環境キャンペーンによって政府を動かし、発見場所の熱帯雨林は政府によって保護されることになった。 ほかの研究者は、栽培することでラフレシアの生存率が上がり、世界中の人々がこの自然の驚異を目にしやすくなると擁護する。「その生物の保護が促進されるのであれば、どこで栽培してもいいのです」と、モリーナ氏は言う。彼女が「植物界のパンダ」と呼ぶラフレシアの面白さを知れば、ラフレシアの保護に貢献したいと思う人はもっと増えるはずだ。 ラフレシアは、多くの点でパンダと同じように人々を動かすだろう。実際、この巨大な花は観光客を呼び、地元住民の収入源となっている。ラフレシアはインドネシアの国花の1つでもある。この花を失うことは、インドネシアのアイデンティティーの一部を失うことだとムルシダワティ氏は言う。
楽観主義を貫く
ラフレシアのような気難しい植物を育てるには、とびきり強靭な精神が必要だ。ムルシダワティ氏によると、養樹場の地面を横切り、フェンスを這い上がっている数百本のミツバカズラのつるのうち、ラフレシアの花を咲かせたものは3本だけだという。彼女は、このつるも自分と同じように、そろそろ引退の時期なのだろうと冗談めかして言う。 ムルシダワティ氏は、ラフレシア栽培と自分の仕事の引き継ぎを終えた今、少しは安心して眠れるようになったと打ち明ける。今でも数日に一度はラフレシアの花芽の手入れをしている。ふだんは一人で仕事をしているが、決して寂しくはないという。「植物たちは人間より話しやすいからです」
文=Shi En Kim/訳=三枝小夜子