北朝鮮は前哨戦② 中国の覇権主義に日本はどう対処すべきか【ザ・ファクト×元陸将・用田和仁氏】
【古歩道ベンジャミン×与国秀行】「トランプ革命が人類にどう希望をもたらして行くか」
救世の法 信仰と未来社会 法シリーズ | |
大川隆法 | |
幸福の科学出版 |
「いま、この日本から、新しい世界宗教が生まれようとしているのだ」という文章から始まり、最後のほうには、「エル・カンターレは、(中略)もっと簡単に言えば、仏教、キリスト教、イスラム教などの生みの親である」と書いてあります。
さらっと書いてありますが、同書は、大悟30周年を経た私の「静かな挑戦の書」でもあるということです。(大川隆法著 「信仰の法」第4章より抜粋)
2012年1月27日に、開国少将というベンネームの作者が、「外祖父が自分の日で見た南京大虐殺」という歴史評論をネット(http://www.kdnet.net)に書き込んだ。
すぐに記事は削除されたのか、現在は閲覧することができない。
その記事は、次のような内容だったという。
「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から何故逃げ出したのか分からなかった。逃げたことは秘密で、外祖父が死去する前年に、よく雑談の中で何時間も話すようになっていた。外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。
彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。
1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。
部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。
大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。
国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。
外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。
外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。
南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。
私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。
だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。
以上、当時の朝日新聞で報道された「南京大虐殺はなかった」より。
Falsehoods of the Allied Nations’ Victorious Views of History,
as Seen by a British Journalist
by
Henry Scott Stokes, former Tokyo Bureau Chief of The New York Times
(Summary by Tadashi Hama, Ph.D)
Mr. Henry Scott Stokes gives his candid observations on his vibrant life in Japan as the longest serving gaijin kisha, foreign correspondent, in Japan and attacks historical myths cited as facts and evidence of Japan’s past aggression. As one who has lived in Japan for over 50 years, Mr. Stokes has made acquaintances with the elite of Japanese society, including famed novelist and activist Yukio Mishima, the subject of Mr. Stokes’ biographic, The Life and Death of Yukio Mishima. Mr. Stokes was the only foreign correspondent who had ready access to Mishima, who spoke freely on matters important to Japan including her lost sense of “Japanese essence” and
“Japanese uniqueness”. Underlying this loss is the total enthrallment of the Japanese people by a post-war view of history and an utterly alien world view fabricated and forced upon them by the West.
Mr. Stokes carefully lays out the facts concerning historical controversies such as the Japanese war-time “comfort women” and the so-called Nanking Massacre. That these controversies persist are due to several factors. While one can easily access the endless flood of politically motivated hate-speech emanating from China and Korea, accurate information concerning these and other controversies is nonexistent outside of Japan. While foreigners are in part responsible for misinformation and outright lying, a large share of the responsibly rests with the Japanese people themselves. Professional, self-hating Japanese activists have been at the fore front of a campaign
to keep the Japanese and the rest of the world from seeing the facts as they are. In the case of the war-time “comfort women,” Mr. Stokes points out that US military forces knew of the Japanese “comfort women” and called them in their report “prostitutes” and “camp followers”. The situation was not at all uncommon in other militaries, including the US military, during war.
Unfortunately, excessive moralizing against others without self-assessment is usually the case concerning such topics as prostitution; people who live in glass houses should not throw stones.
In the case of the so-called Nanking Massacre, Mr. Stokes points out the desire of the pre-war propaganda arm of the Kuomintang government to discredit Japan’s efforts in liberating Asia from the West, without which, the Kuomintang, thoroughly corrupt and unpopular, could not survive. At the time of the so-called Nanking Massacre, neither Mao Tsu-tung nor Chiang Kai-Shek mentioned a “Nanking Massacre,” despite ample opportunity to announce such an evil “atrocity” to the rest of the world. Mr. Stokes gives his perspective on what a journalist would see when entering an urban area of combat when he reported from Kwangju during the uprising there in May 1980. A pervasive information vacuum—who was killing whom—is likely what journalists who reported from Nanking experienced.
To the uninitiated, history is indeed full of surprises. Mr. Stokes is not dogmatic such that he cannot change his mind based on the evidence. For example, while initially impressed with the respect and dignity of North Korean officials, his unscheduled viewing of a truckload of political prisoners quickly altered his generous estimation of North Korea. While Kim Dae-jung is revered everywhere as a spokesman for Korean “democracy,” Mr. Stokes points out his reptilian nature, pandering as circumstances dictated. Mr. Stokes has much to say from his perspective as a long serving gaijin kasha.
イギリス人記者の観た 戦勝国史観の虚偽
元ニューヨーク タイムズ東京支局長 ヘンリー スコット ストークス
<サマリー>
タダシ・ ハマ, Ph.D
活気ある日本の生活を率直に観察しざっくばらんに書いているヘンリー ストークス氏は、
最も長く外人記者・特派員として日本で活躍してきた。 氏は、日本の過去の侵略は歴史的
事実であるといわれている作り話を非難している。五十年以上も日本に暮らす間に、氏は
日本のエリート層に多くの知己を得た。その中の一人に高名な小説家であり活動家でもあ
った三島由紀夫がいる。ストークス氏は三島の 伝記 「三島由紀夫の生と死」を著した。
氏は 三島と気軽に付き合うことができた唯一の外国特派員である。三島は日本が喪失して
しまった「日本の真髄」とか「日本の独自性」など、日本にとって重大なことについて自
由に語った。この日本が喪失したものの下には、欧米によって捏造され押し付けられた、
戦後の歴史観と、日本にとってまったく異質の世界観に、すっかりがんじがらめになって
いる日本人がいる。
ストークス氏は戦時中の「慰安婦」問題や、いわゆる南京大虐殺など論争の的となってい
る歴史的問題を注意深く掘り下げ、事実を明らかにしていく。これらの論争が根強く続い
ている理由はいくつかある。中国と韓国が政治目的で発信する日本叩きの情報は大量に絶
え間無く流されているので、その類の情報は容易に得ることができる一方、そういった様々
な歴史的問題に関する正確な情報は、日本以外では無きに等しい。間違った情報や明らか
な嘘の責任の一端は外国人にもあるけれど、責任のほとんどは日本人自身にある。日本人
や世界の人々が事実( 史実)をありのまま見るのを阻止するキャンペーンが行われているが、
その前線に立って活動しているのは自虐的な職業的日本人活動家である。戦時中の「慰安
婦」の場合、米軍の報告書では彼女らを「売春婦 」「キャンプ・フォロワー」と報告して
おり、日本の慰安婦について米軍は把握していた、とストークス氏は指摘する。日本だけ
が特別ではなく、戦争中は米軍を含む他の軍隊も同じようなことをしていたのである。不
幸なことに、自分を省みることなく他人を反道徳的だと攻撃するのは、売春などの問題に
よくあることだ。脛に傷持つ者が他人に石を投げつけるのは間違っている。
いわゆる南京大虐殺の場合、戦前の( 蒋介石) 国民党政府が行っていたプロパガンダは、西
洋からアジアを解放しようとした日本の努力を無きものにする野望があった、と氏は指摘
する。腐敗しきって人心が離れていた国民党は、そのプロパガンダなくしては生き残れな
かったのである。南京大虐殺が行われた、と言われている時期に、毛沢東も蒋介石も「南
京虐殺」について何も言及していない。もし事実なら、「日本は悪魔のような悪逆非道な残
虐行為を行っている」と世界に向かって叫ぶ機会はふんだんにあったのだ。1980 年 5 月、
韓国 光州の暴動で市街地での戦闘を報道した氏は、もしジャーナリストが南京でそのよう
な場面に遭遇したら、何を見て何を報道するか、誰が誰を殺しているか、を報道したに違
いない、と体験から説き起こす。だがそのようなジャーナリストは一人もいなかった。
未熟なものにとって、歴史は本当に思いもかけない真実であふれている。ストークス氏は
証拠があっても意見を変えないような頑固な教条主義者ではない。その証拠に、北朝鮮の
官僚の威厳に最初は感銘を受け敬意を抱いていたが、政治犯が積荷のようにトラックに詰
め込まれるのをたまたま見てから、北朝鮮に対する好意的な見方を変えた。金大中が韓国
の「民主主義」の広報官として崇められていた頃、金が実は陰険で二心のある性質の風見
鶏であることをストークス氏は見抜いていた。ストークス氏は長年外人記者として活動し
てきた視点から、多くのことを教えてくれる。
Falsehoods of the Allied Nations’ Victorious Views of History,
as Seen by a British Journalist
Chapter Five: “Nanking Massacre”: Denied by Chiang Kai-shek and Mao Zedong
By Henry S. Stokes, former Tokyo Bureau Chief of The New York Times
We now present Chapter Five, the most controversial chapter.
Mr. Stokes writes in Chapter One, “In international society, one will be ignored if he or she said “Nanking massacre did not take place.” Nanking massacre is a historical fact and nobody wants to debate seriously with deniers of historical facts.”
Nevertheless, he dares to thoroughly “deny” the “Nanking Massacre” in this chapter. Against this shocking statementKoyodotsushin, Japan’s leading news agency spread a press release saying that Japanese translator mistranslated Mr. Stokes’s original comment. However, Mr. Stokes immediately rebuffed this by a statement released from the Japanese publisher on May 9, 2014 that the Japanese translation correctly expressed his comment.
Now the full English version of Chapter Five is available. Mr. Stokes updates the beginning of this chapter emphasizing that The so-called “Nanking Massacre” was a Propaganda Strategy launched in China in the context of an Intelligence War dating to 1937-8. You can examine for yourself the facts and logic-based analysis on which he based his assertion.
Author profile: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/114_S3.pdf
Questions are welcome.
Sincerely,
MOTEKI Hiromichi, Secretary General
for KASE Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact
Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with Japanese custom.
テレビや新聞では連日のように、デモや紛争、経済などの国際ニュースが飛び交っている。何が問題になっているのか、理解したいと思いながらも、調べるのが大変だったり、よく分からないままのものも多いのでは。こうした国際問題でよく話題になるものを選び、ポイントを理解できるよう、基礎知識や前提知識を整理してみた。
(編集部 近藤雅之、小川佳世子、山下格史、山本慧)
戦中、ナチスから激しい迫害を受けたユダヤ人は、過去2千年もの間、国を持てず、世界を放浪していました。戦後、アメリカとイギリスを中心に同情の声が上がり、国連はユダヤ人のために、地中海に面したパレスチナ地域の3分の2の土地を分けて、イスラエルを建国させました。
しかし、その地域はユダヤ教、キリスト教、イスラム教共通の聖地であるエルサレムを含んでいました。そのため、イスラム教徒が多いアラブ民族の国々は、大事な聖地を奪われたと反発。1973年までにイスラエルと4度の中東戦争を戦いました。
親米国を増やすアメリカ
戦後、アメリカの中東での狙いは、ソ連のような共産主義を広めないことと、石油を確保することでした。
56年、スエズ運河の所有を巡って、エジプトはイギリスとフランスとの間で戦争状態になりました。この解決に一役買ったのがアメリカで、さらに、エジプトとイスラエルの領土問題も調停したことで、エジプトを親米国に引き込みました。
さらにアメリカは、武器の提供や石油を買うことで、サウジアラビアやオマーンなども親米国にしていきました。特に、イスラエルとは当初より密接な関係にあり、核兵器の技術を提供しているとも言われています。
反感を買うアメリカ
一方、イスラム教は、宗旨の違いから、おもにスンニ派とシーア派に分かれていて、両派の争いは7世紀から続いています。
その中でアメリカは、60年代、シーア派が多いイランの近代化政策を支援します。しかし、この欧米型の改革は民衆の不満を招き、結局、革命が起きて政権は倒れました。
敵対するスンニ派が多い隣国のイラクは、この混乱に乗じてイランに戦争をしかけます。イランが反米的になったことを快く思わないアメリカは、今度はイラク支援に回り、中東諸国のアメリカ不信を深めることになりました。
しかしその後、イラクが石油の利権を狙ってクウェートに侵攻したため、これに反発したアメリカと多国籍軍がイラクを攻撃して、湾岸戦争になりました。
さらに、欧米諸国から入るオイルマネーによって、「アラブ地域に貧富の格差が生まれ、イスラム教の平等の教えに反している」と考える過激な武装組織が現れます。その「イスラム原理主義」の一つであるアルカイダやタリバンは、欧米に反発し、アメリカの9・11同時テロなど、各地でテロ行為を繰り返しています。
これに対し、ブッシュ前米大統領は、イスラム過激派の温床であったアフガニスタンと、大量破壊兵器を保有している疑いがあったイラクに軍隊を送り、「世界の警察官」としてテロ撲滅の姿勢を鮮明にしました。
無責任なオバマ外交
ところが、オバマ大統領以降、アメリカの中東政策が一転します。2010年にチュニジアに始まった民主化運動がエジプトに波及した際、オバマ大統領は民衆デモを支持。長らく親米だったムバラク政権はあっけなく崩壊しました。
また、米軍は今年中にアフガニスタンから撤退する方針ですが、すでに撤退したイラクでは1月、都市ファルージャがアルカイダに占領されるなど治安は悪化しています。
さらに、核開発を進めるイランに対して続けてきた経済制裁を、オバマ大統領は一部解除することを決定。こうした弱腰な外交は、イランに核開発の猶予を与えかねないと、イスラエルやサウジアラビアからアメリカを批判する声が挙がっています。
(中略)
昨年、「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言したオバマ大統領の下では、中東の混乱が収まることは期待できません。