去る3月31日に60歳定年となり、大学校時代を含めて42年間の海上保安庁での宮仕えを終了し退職いたしました。最後の17年間は巡視船や測量船の船長としてシーマン人生を全うしたことを幸せに思います。
転勤すること二十数回、単身赴任が連続15年、最後の2年間は習志野の自宅から通うことができました。
これが一番幸せでした。
最も北の赴任地は北海道網走市、最も南の赴任地は石垣島。
これまでの勤務先(北から南へ):
北海道 網走・室蘭(巡視船ゆうばり、巡視船えとも)
福島県 いわき(巡視船いわき)
茨城県 鹿島(署長&港長)
千葉県 銚子(巡視船かとり)
東京都 台場・霞が関(測量船昭洋、警備二課、救難課、監察官事務室)
神奈川県 横浜(巡視船みうら)
新潟県 新潟(巡視船やひこ)
石川県 金沢(巡視船はくさん)
静岡県 清水(警備救難課長)
兵庫県 神戸(巡視艇みおかぜ)
広島県 呉(海上保安大学校外国語講座講師、助教授)
山口県 小月(海上自衛隊委託学生パイロット養成)
鹿児島県 名瀬(巡視船あまみ)
沖縄県 那覇・石垣(救難課、巡視船よなくに)
途中で挫折はしましたが、若いころは飛行機(練習機KM2)の操縦もできました。
船の操船は、レトロなテレグラフのディーゼルエンジン船、CPP船、ウォータージェット船、最後は電気モーター船まで新旧各種各様の船種を経験し、海域は、オホーツク海の流氷航海、冬の日本海、太平洋、東シナ海など日本中たいていの海を航海しました。
技術的には、(自画自賛ですが)ベテランの域に達することができました。ギリギリの場面を強いられずいぶん失敗をし、かなり危険な経験もしましたが、部下を一人もケガさせなかったことだけは誇りです。
趣味でダイビングはしましたし、もちろん自動車の運転はしますから、陸・海・空・水中の4つの領域空間を制覇したことになります。ちょっと自慢です。
ダイビングでは、伝説のダイバーと言われた故鶴耀一郎さんから教えたいただいたことが思い出です。
NHKのダイバーを鍛え、日本のゴーギャンと言われた日本画家田中一村をNHKに紹介し世に出しました。
この方から海のことをずいぶん学ばせていただきました。
仕事面では、多くの方にお世話になりずいぶんと助けられてなんとか卒業することができました。お世話になった方々に感謝感謝でございます。
これからもわが社で働かれる皆様のご活躍と幸せな人生をお祈りします。
家族を犠牲にして働いてきましたので、退職後は家族のために尽くすことになります。せめてもの償いかもしません。
現役では、お国とわが社に尽くし、退職後は家族に尽くす、私の人生は誰かに尽くす人生なのでしょう。それでよいのです。
趣味の世界では、水泳のマスターズ、(ちょっとお恥ずかしいですが)エアロビクスやジャザサイズ、ダイビングを長らく続け、最近はデジカメ写真に夢中です。それぞれの土地で、それぞれの趣味の世界でたくさんの友人ができました。長らく単身赴任をしたご褒美なのかもしれません。
思い出を書けばキリがありませんのでこのくらいで。
さて、3月31日は夕方よく知る先輩の長官から感謝状をいただいて、家内と竹橋にあるKKRホテル東京で待ち合わせをして、12階の展望レストラン「芙蓉」にてフランス料理を味わいシャンペンを飲んで宮仕えの最後を締めくくりました。最後くらい贅沢をしても罰は当たりますまい。
皇居のほとりで、家内としんみり一泊して翌日はめでたく自由人となりました。
レストランからの夜景をお楽しみください。
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1
レンズ:パナソニック LUMIX G X VARIO 12-35mm/F2.8
皇居越しの夜景です 窓越し手持ちなので多少無理がありました
だんだん暗くなってゆきます、当たり前ですが…
ホテルの部屋からの夜景です こちらは三脚で固定していますので鮮やかです。
翌4月1日の皇居とお濠です。馬の厩舎があり、馬車とか馬が見えました。
思いがけず退職1週間前に語学の後輩から退職祝いの高価な置時計が届いたり、4月1日朝には遠く宮古島から親しくしていたかつての部下から電話で退職祝いの言葉をいただいたり、ホテルから自宅に帰ると学生時代に大変お世話になった大先輩からデンドロビウムの大きな鉢が届いたり、びっくりすることだらけでございました。本当にありがたく、あたたかいお気持ちが身に染みて、幸せな気分を味わうことができました。ありがとうございました。m(__)m
これからのブログは、自由人(ぷー太郎)として、皆様に楽しんでいただけるよう心掛けながら、のんびりきままに書いてゆきたいと思います。