「総合的な学業成績で見た場合、問いかけなどの手段を用いて生徒に意思決定の機会を与えるような自律支援的な教育は、板書をひたすらに写すだけのような支配的な教育よりも優位である」
上記は約20年前から確認されている事実であり、現在もそれを証明・補足する文献が多数存在する。
現在、この知見への反応は支持的なものが大半である。
2015年の教員へのアンケートでは、グループワークを提供する教員は小学校で8割、高校で5割程度という結果が得られたという。小学校においては、観察や実験・プレゼンテーションなどを提供する教員が多数派にあるという。
また、教員の9割が「子供が困ったときに相談に乗る」と回答しており、子供の意志を尊重する姿勢が多数派であることが伺える。
また、暗記作業に機械などの代替物が使用できるようになり、単に知識を習得するだけでなく、在る知識をどう活用するかを見極める認知能力が求められるようにもなった。認知能力の鍛錬には自立支援的な教育が不可欠であり、現在、かなりの数の教育機関が自立支援的な教育を展開するか、または目論んでいる。
が、自律支援的な教育について周知された現代においても、支配的な教育は完全には潰えない。
支配的な教育はある種の「わかりやすさ」を備えた志向であり、またそれを選択せざるを得ないと認知させる状況が教員にあるからだ。
今回は「それでも支配的な教育を止めない理由」について解説する。
その前に、自立支援的な教育と支配的な教育について定義する。
自律支援的な教育とは、生徒の意思決定に対する欲求に一定の理解を持ち、それを尊重する教育の志向性を指す。
主な特徴として「生徒の視点を理解する」「生徒の思考や感情、そして行動に一定の理解と寛容さを持つ」「生徒の意思決定をサポートする」の3つが挙げられる。
対して支配的な教育とは、教員の意思決定をもって生徒の意思決定を塗りつぶそうとする指向性であり、「生徒が現在持っている行動や意思を完全かつ即座に変えようとする明示的な試み」と言うこともできる。
主な特徴として「教員側の視点のみで事を決める」「生徒の思考や感情、そして行動に介入する」「生徒が特定の行動をするよう強制させる」の3つが挙げられる。
2つの志向性の違いを、天動説を信じる生徒への対応を例に挙げる。
自律支援的な教育を支持する教員は、地平線の存在を説明するなどして、生徒自身が誤りに気付けるよう誘導する。同時に、問いかけの中で「ビデオの内容を鵜呑みにしているかも」といった仮説を立てたのならば、映像の加工と鵜呑みの危うさについて語るかもしれない。
支配的な教育を支持する教員は、「違います」と否定する。ついでに「余計な話を持ち込むな」と言うかもしれない。
もう1つ、数学の問題にて誤答した生徒への対応を例に挙げる。
自律支援的な教育を支持する教員は、まず「なぜ間違えたのだろう」と生徒に問いかける。もし生徒が誤りに気付けていないのであれば、誤りに下線を引いたり定理や方程式を思いだすよう促す。もし生徒が誤りに気付いたのであれば「なら、正解を書いてみようか」と生徒にペンを走らせるように言うだろう。
支配的な教育を支持する教員は、ペンを奪い上げ、正解を書き上げる。「なぜこんなこともできないのか」と呆れを表すこともあるだろう。
「生徒が現在持っている行動や意思を完全かつ即座に変えようとする明示的な試み」を選択する要因は3つに大別できる。
それぞれ、学校方針や文化や大衆などの「上からの圧力」、生徒などの「下からの圧力」、教員自身による「内側からの圧力」である。
「上からの圧力」
1:教員は本質的に強力な社会的権力を持っている。
大前提として、教員は生徒より権威や経験や実績において上の立場である。
こうした権力の上下関係は、自然と強制する/される関係を発生させる。
2:教員は責任を負う立場にある。
教員は常に、生徒を育てることと、育てた結果とその理由を保護者など第三者に説明する、という重荷を背負っている。教員は、生徒の出来が悪いと判断されたとき真っ先に咎められる対象なのだ。
この責任は、誰よりも教員自身が一番自覚している。
負った責任感は、「生徒の出来をよくしなければ」という動機の発生につながる。もし出来の基準が特定のテスト成績だった場合、教員はテスト成績を上げる動機を獲得し、生徒にテストのための学習を課すだろう。
3:教員が自律支援的な教育を無秩序なものだと誤解している。
生徒の意志や行動を尊重するという指向性は、教育機関が掲げる目標を無視し生徒に好き勝手にさせるものと認識されることがある。
また、支配的な教育は生徒を比較的簡単に統制できるため、教育機関が掲げる目標を達成するための適切な手段であると認識されることもある。
どちらも違う。
自律支援的な教育がなぜ自立支援的であるかは冒頭で述べた通り、そうしたほうが総合的な学習成績において比較的優位であり、これは学力向上という教育機関における一般的な目標の達成につながるものである。
目標に向かって生徒が動くことを支援するのが自律支援的な教育であり、目標もなく好き勝手にさせるのは無秩序な教室という。
「下からの圧力」
4:「難しい生徒」の存在
「難しい生徒」とは筆者の造語であり、教員による授業をあの手この手で妨害し、授業に混乱をもたらす生徒のことを指す。
例として、教員の誘導に反抗したり、私語をしたり、授業の文脈とは関係のない話を持ち掛けたり、発言の機会を得ても無反応だったり、あるいは物理的な迷惑行為を行うなどである。
「難しい生徒」に接触した時、教員は対象に学習の動機を持たせようと強制や圧力を用いる傾向にある。
「難しい生徒」自身、授業に動機を見いだせず非協力的な態度をとるという因果もあるのだが……。
生徒の低い動機付けは、教員に支配的な教育を選択させるきっかけになりうるのだ。
「内側からの圧力」
5:教員が、支配的な教育のほうが生徒の動機を高められると考えている。
強制や圧力は「生徒が現在持っている行動や意思を完全かつ即座に変えようとする明示的な試み」であり、その試みは実際に成ることがある。
この経験をもとに、教員が支配的な教育のほうが学習動機を獲得しやすいと誤解していることがある。
実際は学習動機を失わせ「教員の圧力を避けるため」に生徒自身が課しているにすぎないが、それでも、圧力をかければ生徒が勉強してくれるという上辺の事実に満足し、多用する可能性がある。
6:教員が支配的な性格を持っている。
人に強制したり、圧力をかけることをいとわない教員は、支配的な教育を選択する傾向にある。
以上が、それでも支配的な教育を止めない理由である。
負った責任が、「難しい生徒」が、あるいは教員自身の誤解が、教員に支配的な教育を選択させているのだ。
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参考文献
JOHNMARSHALL REEVE (2009) Why Teachers Adopt a Controlling Motivating Style Toward Students and How They Can Become More Autonomy Supportive.
OECD (2022) Big Picture Thinking:How to educate the whole person for an interconnected world.
Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1), 68–78.
愛知教育大学 2016年2月 教員の仕事と意識に関する調査
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