弊ブログを立ち上げて、程なくして出会ったのが「プロケーブル」という、オーディオ関係のネットショップでした。
当時のプロケーブル殿は、現在のような豊富な品揃えではなく、ケーブルとCrown D45、トランスが2機種だったでしょうか?そのように記憶しています。
その時の僕の状況は、DENONの中堅プリメインアンプとCDプレイヤーでフルレンジスピーカーを鳴らす構成でした。フルレンジスピーカーを使っていたのは、フルレンジスピーカーが好きだからこそなんですが、それまで使っていたメインスピーカーを売却し、AVアンプで使っていたスピーカーを接続していたのです。
売却したメインスピーカーはPMCの中堅スピーカーでした。僕はこのスピーカーを鳴らすことが出来ずに、あるいは好みと合わなかったために手放し、オーディオから遠ざかっていました。
具体的なオーディオ機器の名称は書かないようにしたいと思います。
音質に対する好みは十人十色、千差万別と考えるようになりましたし、失礼になるかと思うので。
この部分は、長年ブログを続けていた中で犯していた過ちで、深く反省しているところです。
オーディオから遠ざかっていた僕は、インターネットの環境を手に入れて程なく悪い虫が疼きはじめ、オーディオについて調べるようになりました。
以前、オーディオ誌で取り上げられていて、実際に購入して良い印象を感じていたモガミのケーブルに類する語句で検索を掛けた時、プロケーブルに辿り着きました。
以前、使用していたモガミのケーブルは2497と2804で、2497は同軸デジタルとカーオーディオ用のラインケーブルとして、2804は家庭用のスピーカーに使っていました。
タイトでピックアップの良い音が印象的でした。
そして、プロケーブルでモガミ2534やベルデン8412を購入し、Crown D45を購入したのです。
2534で聴く歌謡曲と8412で聴くロック、そしてCrown Dシリーズのサウンドに、今までのオーディオに対する不足感、情熱と叙情を補う特別なものを感じたのです。
続く
当時のプロケーブル殿は、現在のような豊富な品揃えではなく、ケーブルとCrown D45、トランスが2機種だったでしょうか?そのように記憶しています。
その時の僕の状況は、DENONの中堅プリメインアンプとCDプレイヤーでフルレンジスピーカーを鳴らす構成でした。フルレンジスピーカーを使っていたのは、フルレンジスピーカーが好きだからこそなんですが、それまで使っていたメインスピーカーを売却し、AVアンプで使っていたスピーカーを接続していたのです。
売却したメインスピーカーはPMCの中堅スピーカーでした。僕はこのスピーカーを鳴らすことが出来ずに、あるいは好みと合わなかったために手放し、オーディオから遠ざかっていました。
具体的なオーディオ機器の名称は書かないようにしたいと思います。
音質に対する好みは十人十色、千差万別と考えるようになりましたし、失礼になるかと思うので。
この部分は、長年ブログを続けていた中で犯していた過ちで、深く反省しているところです。
オーディオから遠ざかっていた僕は、インターネットの環境を手に入れて程なく悪い虫が疼きはじめ、オーディオについて調べるようになりました。
以前、オーディオ誌で取り上げられていて、実際に購入して良い印象を感じていたモガミのケーブルに類する語句で検索を掛けた時、プロケーブルに辿り着きました。
以前、使用していたモガミのケーブルは2497と2804で、2497は同軸デジタルとカーオーディオ用のラインケーブルとして、2804は家庭用のスピーカーに使っていました。
タイトでピックアップの良い音が印象的でした。
そして、プロケーブルでモガミ2534やベルデン8412を購入し、Crown D45を購入したのです。
2534で聴く歌謡曲と8412で聴くロック、そしてCrown Dシリーズのサウンドに、今までのオーディオに対する不足感、情熱と叙情を補う特別なものを感じたのです。
続く
思うところあって、プロケーブルの「本質」について知りたいと思ってます。
私自身も思うところはいろいろあります
泡盛様がすべてを書ききられたときに、貴ブログを踏まえて、お話しさせていただければと思っております。
筆が遅い上、仕事が忙しいので次項は遅れそうです。
>米山さん
こちらこそ、良い機会を与えて下さって感謝しております。
ご感想・ご意見、是非よろしくお願いします。
「あの人」の良い悪いの基準は、ご自身の耳
つまり彼の主観のようです
サイトを読み返してみればわかるのですが
「何がどう悪いか」が全くなくて「駄目なものは駄目」と決めつけられています
逆に言えば、ご自身の嫌いなものを駄目と言っている可能性もあります
私なりの見解もありますが、それは話が進んでからにしたいと思います
そして“最強”という言葉は、“一般にはこれで十分”という意味ではないかとも思います。
この解釈は、某有名元信者の言葉ですがw僕もそのように考えています。