43歳・既婚・子宮体がんブログ

子宮摘出手術決定。

春のパワーで

2021-04-05 07:28:55 | 日記

さて4月に入り、私は本気で食事管理を再開させようと考えている。
基本となる白米を復活させ、血糖コントロールがしやすいよう、バランスの良い食事を作る。
退院後、パンに依存していたわけだが、やはり難しい。
友人が手間ひまかけ作ってくれた米粉蒸しパン以外は、糖分過多で血糖値が上がりやすく下がりにくい。
食べごたえのあるベーグルも同様。となるとやはり白米がいい。
つい先日、農協からの定期便30kgが送られてきたわけだし、それにも手をつけていかないと。

検証の結果、一度の炊飯を1.5合とし、出来るだけ2回にわけて食べきることにした。(主人の弁当分も込み)

時間が経ったご飯の匂いが最高に苦手なので仕方ない。
にしても1.5合………2年前の私なら一人でペロリだったろうな。←どうかしてる
今は茶碗に150g〜160gが精一杯。
それすら多いと思うこともある。

後は野菜スープとサラダ。
メインはあまり気にせず、その時好きなものを作ろうと思う。
もちろん量をコントロールしながら。
病院食はとてもヘルシーだが、それに倣ってしまうと、どうしても吐き気をもよおす。相当なトラウマが植え付けられてしまった。

 

さてさて。
春の日差し、そして美しい桜。
今年は一週間たっぷりと堪能できた。

春は私と主人の誕生日があるため、自ずとテンションがあがり、元気になる。
コロナじゃなかったら、ふらり、旅に出て、存分に楽しんでいたはずだ。

どちらにせよ、私は自分の体を労りながらの生活だし、しばらくは風邪すら引きたくない。
定期的な診察もあるし、大人しくしているほかないだろう。

 

けれどこの陽気!
心が弾む。
身体が元気になろうとしているのが判る。
お風呂も解禁されたし、温泉とか行きたい。※念の為、4月中は我慢します

 

2月半ばの術前。
胸中はまさしく暗黒状態だったのに、たった2ヶ月でここまで復活出来たのは、本当にすごいことだと思う。

先生や看護師さんたちの手厚い看護。
友人たちの励まし。
そして主人がずっと心に寄り添って居てくれたからこそ、私は戻って来ることが出来たのだ。

 

ガンにはなりたくない。
ならないほうが良いに決まってる。

でもいつの日か。
あの時、癌になったから今の幸せがあるんだ!と思いたい。

今まで長々とお付き合いありがとうございました。
ひとまずこの記事をもって、Blogを終わらせていただきます。

皆様も健康に気をつけて!
定期的に検診へ行きましょう。

ストレスは溜めないように!

それでは。

 

❤Special thanks, my friends and darling.

 

 

 

 

 

 

 


退院後、初の外来診察

2021-03-31 20:36:37 | 日記


手術日が2/18
退院日が3/15
そして退院後初の外来診察が、3/30にありました。

 

朝イチで病院を訪れ、そそくさと採血。
その後、産婦人科へGO。
しかし血液検査の結果が出るまで呼ばれない。

手持ち無沙汰に待合で座っていると、放射線治療を行う入院友達のOさんが来てくれ、喋りまくりました!
少し痩せたけど相変わらず元気そう。
退院後、初の顔合わせです。

腸閉塞に怯える彼女と、それに影響を受けた私は、この入院をきっかけに大切な友人となりました。
若い先生(3月末で別の病院へ)が入院中の彼女に「二人はソウルメイトだね」と仰ったらしく、なるほど。まさしくその通りだと思います。

ガンへの不安
入院生活のあれこれ
苦悩
楽しさ
痛み
辛さ

ほぼ全てを共有し、一ヶ月間お互いを励まし合ってきました。
もはや家族といってもおかしくないほどに。
年こそ7つ離れていますが、だからこそ私は彼女に甘えることが出来たのでしょう。
色んな意味で恩人です。


そんな彼女が腸閉塞になり、苦しんでいる姿を目の当たりにしたとき、自分もまた同じ苦しみを与えられたような気がしました。
私の退院日と同時に病院へ出戻ってきた為、私は彼女の側に居ることが出来ず、時間ギリギリまで励ました後、涙ながらに別れました。
あの時の苦しそうな姿を思い出すだけで胸が痛みます。
おかげで腸閉塞は本当に大変な問題なのだと、心に刻み込まれました。


結果的に私より2週間も多く入院したOさん。
想定外の苦労を乗り越え、先日二度目の退院を何とか迎えることが出来ました。
だからこそ、退院後の再会はとても喜ばしいもので、テンションは爆上げ状態。
お互い診察と治療がある為、時間こそ少なかったのですが、本当に楽しかったです。○また来週も会う予定


さて、当初の診察予定時間を軽くオーバーしていましたが、検査結果待ちということで大人しく椅子に座っていると、突然尿意が。
掲示板には番号も出ていないし、今ならいける!と大急ぎでトイレへと駆け込みました。
退院後ももちろん排尿障害は多少残っていて、その上この日は朝から下痢。
お腹の中でやたらグルグル音が鳴っています。
焦りながらも何とか全てを出し切った後、診察室前に戻ってきたら、タイミングよく私の番号が点灯しました。

よしよし、3番目か、とのんびり構えていたのに、何故か他の方をぶっ飛ばして私が呼ばれる。
You Tubeを観る手を止め、慌てて診察室をノックしました。

二週間ぶりの診察なので、ちょっと緊張しますね。
病棟で見る先生と外来での先生は、少し違う感じ。なんとなーく視線の交わる回数が少ない。(パソコンに色々打ち込んでるから当然)

「どうです?変わりないですか?」

ありきたりな質問に用意してきた答えを告げ、その後、診察台へと促される。
看護師さんに「股関節大丈夫?」と心配をされたり。
確かにあの開きっぷり、股関節がおかしくなります。←ただ単に身体がかたい 
※しかし幾度検診台に乗っても、一種の緊張感と恥ずかしさが襲いますね。慣れる日は来ない!

 

あれやこれや調べてもらった結果、何事もなく………傷口を確かめる?先生の手は、冷汗をかいた前回よりずっとソフトで、ありがたかったです。

※どんな検査をしているのかイマイチわからないが、問題なしと言われたらそれでいい。

そして一ヶ月後の診察予約をし、次は内科受診へ。

体重測定を先生の真横でする恥ずかしさよ!(笑)

「あれ?だいぶ減ってますね。」

そりゃだって長いこと入院してたから。
間食もせず、病院食だけ食べてたら、痩せもします。
その上、退院してから食欲不振だし。
血糖値は随分改善されていたものの、まだ下がる余地が残されているため、引き続き頑張るとして………

吐き気、そして白米が食べられないことを伝えると、処方されていた薬はさらりと減らされました。←どうやら因果関係があるらしい
甲状腺の値は無事基準値に収まってくれていて万歳。ヽ(^o^)丿
次の診察で変わりなければ、薬はとうとう0になります。

そんなこんなで、退院後初めての外来診察は終了。
帰りに美味しいパフェでも食べていこうと思っていたけど、下った腹がひどくて断念。
その後も一日中、ギュルギュルと音を立てていました。😵

 

久々の病院で疲れたのか、夜9時に就寝し、夢の中へ。🌛
最近子供のようによく眠れて、ある意味幸せ?なのかな。

 


低下する食欲2

2021-03-28 10:35:21 | 日記


それにしても、よく眠れる。
夜中一度、膀胱が重くなる為トイレに向かうが、それ以外は基本爆睡している。

病院じゃこうはいかない。
よく眠れた……と思っても約1時間。
ベッドの硬さで背中に嫌な痛みが走る。
寝返りを打ち、軽くストレッチ。
それを繰り返しながら夜を過ごす。

慢性的な睡眠不足はかなりきつかった。
おかげで難聴やら目眩やらに患わされたわけだから、睡眠が人間にとってどれだけ大事かわかる。

さて、術後、もう一つの弊害。
それが「食欲不振」だ。
私から食欲を奪ったら何が残るんじゃ!と思うのだけど、今の所本当に激減していて、一体何を食べたら良いのかわからない。

要因の一つに「腸閉塞への恐れ」、もう一つに「病院食の記憶」があり、まともに白米を食べられない毎日だ。

’病院食’
最初の頃は、上げ膳据え膳を有難がっていたし、薄い味付けも口に合うと喜んでいたはず……。
いつの間にか食べることが恐怖になり、今じゃ自分が撮り溜めた写真を見ることも辛くなっている。

特に白身魚の写真は吐き気をもよおすため、見ない。
週に何度も何度も登場した【鱈】に至っては、恐らく一生食べることはないと思う。
それに似通った白身魚も……敬遠すること間違いなしだ。

もちろん、管理栄養士さんたちの苦労はよーくわかる。
タラは高タンパク低カロリーの有能なお魚。
それを多用することで、他の献立が立てやすくなるのだろう。

ただ私のように一ヶ月オーバーの入院をする患者にとって、同じ魚が毎回出てくるのは苦痛でしかない。
まったくもって勿体ない話だが、最後の方では全く食べなくなっていた。
食傷気味というか、嫌悪感というか。

未だ腸閉塞で入院中の病院友達は、先日、それを若くて優しいお医者様(←ここ大事)に訴えた。

「もう、タラ(魚)は食べれません!!涙」

そしてその切なる願いはようやく聞き届けられ、それ以来、食事に魚が出てくることはない。
そんな彼女も明日月曜日に退院が決まり、大喜びだ。

どんな物でも、続けば飽きる。
飽きるだけじゃなく嫌いになる可能性もある。
私は白米大好き人間であったが、病院食を思い出す為、食べられなくなった。
※酢飯ならなんとかいける

さてはて、どうやって克服していこうか。
栄養バランスが崩れつつある今、パン、もしくは少量のうどんを食べ、誤魔化してはいるものの、ごはん抜きでのコントロールは難しい。
特に温かい白米は匂いで撃沈するため、炊飯器からも遠ざかっている。
こちらにコメント下さった‘甘酒’という手も恐らくは有効である為、試してみようと思う。

いつになれば、まともな食欲が復活するのか。

光の見えないトンネルが、またしても目の前に現れたわけだが、ここは寛げる自宅なわけだし、焦らずゆっくり前に進もうと思う。

30日火曜日は、退院後初の診察。
何故か、ちょっと緊張しています。

 

 

 


低下する食欲

2021-03-22 16:24:48 | 日記

 

退院して三日が過ぎた頃・・・・

食欲が戻らない。
よく考えると、膀胱炎になって、抗生物質を投与されてから、どんどん食欲が無くなってきたように思う。

入院中、先生に「もう、ご飯食べれません!」と泣きついたら、「うん。水分だけとっていたらいいから」とさっぱりとした返答が。

なるほど………
恐らく、あの時から食欲が減退していたんだな。

ちなみに術後、下痢やら何やらで、まともな排便が少なかった。
そして退院が決まったその日、お向かいのお姉さんがなんと【腸閉塞】で某病院の救急に運ばれたと聞いたのだ。
そしてそのまま、元の(私の)病院へ転院。
呆気なく再入院が決まってしまった。

部屋へ面会にいくと、朦朧とした感じで明らかに疲弊していた。
胃の内容物を全部出すための管。
しばらく絶飲絶食を言い渡される。 
とっても苦しそうだった。

私は退院してゆくというのに。

あまりのやるせなさに涙が出た。
精一杯励ましたと同時、自然と自分に置き換えてしまった。
もしかしたら私も彼女のようになるかもしれない!
腸閉塞は、術後の人間にとってそれほど身近な恐怖なのだ。


後ろ髪引かれながらの退院。
主人の車に乗ると、久しぶりだからか車酔いをしたのかもしれない。
気分が悪くなるが、吐き気はさほど強いものではなかった。
ただ念願のシャバだというのに、食欲はわかず、ご飯の事を考えると憂鬱になった。
頭のどこかで病院食を思い出してしまうからかもしれない。

ちなみに病院食はわりとおいしかった。
問題は魚=鱈が多いということ。
そして茹で野菜の多さ。
すっかり飽きてしまいトラウマに。

だが食欲もしばらくすると戻るだろう。

そう楽観視していたのだけど、三日目の今も戻っていない。
二日目に地元のかかりつけ医(胃腸科)へ行き、あれやこれや相談すると「うーん、ストレスじゃないか」と諭される。
もちろんそれもある。
長い入院を経て、私の神経は摩耗しまくっているのだから。

ただその時の私は明らかに違う要因を考えていた。
薬の副作用。
恐らくは抗生物質。

主治医の指示通り、退院後も服用していたけれど、どう考えてもこれが水下痢を引き起こし、食欲を減退させている気がする。【トータル14日分の処方】

膀胱炎を危惧しての継続的服用であるが、今日、自己判断で中断してみた。
※本来してはいけない

午前中、吐き気。
食欲もない。
朝はバナナ、ヨーグルトのみ。
10時頃に無理やりサンドイッチを少しだけ食べる。

お昼は主人と一緒に。
コーンスープとチキンバーガー。
少しずつしか食べられない。
通常の私ではあり得ない話だ。

そして帰宅してからウォーキングすると、ほんのりお腹が空いてきた。
でもご飯を思い出すと、胃がむかっとする。

あれ?……もしかして心的要因??
病院の食事に嫌悪感を抱いてたから?
でも吐き気は比較的少ない気がする。
今なら食べられるかも!?

そう考え、普通に食事してみた。
ご飯は少なめに。
しかし食後の満腹感が半端ない。
膨満感?とも言える。

こうしてまた’食欲減退’という、人生に数回しか味わったことのない症状に悩まされることとなったのだ。

 

※今は退院一週間経ち、比較的マシになってます

 


祝・退院

2021-03-18 11:57:02 | 日記


3/15午後、無事退院に漕ぎ着きました。

週末は膀胱炎に悩まされ、夜中3時間トイレに閉じこもって苦悩。
どうにか残尿感を解消出来ないものか、と四苦八苦していたら、奥の方から生温かい尿を絞り出すことに成功。
それが功を奏し、長かった排尿障害とオサラバすることが出来たわけです。

辛かった
本当に辛かった

抗生物質
尿を出やすくするお薬
看護師さんの導尿

とにかくあらゆる手をもってして、ハードルをクリアしました。

私は元々堪え性の無い人間です。
でも体がんを患ってからは、必死で頑張ってきたつもりでした。
それでも、この排尿障害だけは我慢出来なかった。

朝から夜中まで、頭の中はおしっこの事だらけ。
定期的な採尿に痛みと不快感を感じ、人間の尊厳を無視するかのような格好をさせられ、もう苦しくて仕方なかったです。

若くて優しい先生が「大丈夫!絶対に良くなるから」と太鼓判を押してくれても、不安と恐怖がつきまといました。

どうにかしてクリアしてやる!

夜中のトイレで奥歯を噛み締め、何度も泣きながら決意したものです。

それでも蝕まれていく精神に、打つ手は無いような気がしていました。
週末の面会では必ず主人に泣きつきましたし、看護師さんたちには早く帰りたいを連呼。
一人になってからの夜は孤独で吐きそうになり、主人と何時間も電話して過ごしました。

頭はとっくにおかしくなってる。
でも、これを乗り越えないと家には帰れない。

ギリギリのところで、何とか、何とか、光に手が届いたのです。

残尿が理想的な数値50mlを切ったとき、看護師さんの喜びようは半端なかった。
私よりずっと喜んでくれました。
本当にいい人達です。

それが2回続いた翌朝、主治医先生は「退院していいよ。今日でもいいし。」と仰ってくれたのです。

幸せと戸惑いに包まれましたが、即、Twitterにその喜びを書き込みました。
もう、全世界に告げたいくらいの歓喜。


ありがとう!!!


その後、退院前診察があり、膣の中のエコーやら何やらをしました。
傷口を押さえる先生の容赦ない力に呻きましたが、退院するためには我慢。
終了時、迷った挙げ句、握手を求め、何とか応えてもらいました(笑)


そして多忙な主人を午後から呼び出し、無事帰れた時。
久々の家の香りに肩の力が抜けました。

居心地の良い部屋
そして馴染んだベッド

その日の夜はとにかく良く眠れました。