私は今日所用すませて帰り道 電車に乗ってぼんやりとホームを眺めていましたら
目が不自由かしらと思える40歳過ぎのご婦人を介護しながら
若い駅員さんが私が乗っている電車に乗ってこられたので
私はすぐに席を立ってそのご婦人の手を取って座らせてあげました
私は若い駅員さんにご婦人の降車駅を訊きました
駅員さんは言葉少なに頭を下げて去っていかれました
私はそのご婦人が目的地に着かれるとそのご婦人の身近な人が
お迎えに来ておられるのかもと勝手な想像をしていました
私はその方の傍で訊ねました
「何時から目が不自由になられましたか」
「目は見えます」とはっきりお答えになりました
私は不思議に思い
「歩くことが困難ですか」と訊ねますと
ご婦人は仰るのです
「こころが落ち込んでいますので」
私はとてもショックでした
一見して両眼はしっかり見開いておられるのに
全く何も見えないように虚ろで焦点が定まっていないような目にみえます
こころが落ち込んであんなに目が虚ろになるとは
見てはいけないものを見て仕舞われたのかしら
こころが落ち込んでしまうほどの重大なことは何だろう
私にとってこれまでの人生の最大の悲しみは親 兄弟との死別だったと思うけど
ある人から聞いたことがあるのです
伴侶との死別は親と別れるよりも悲しみが深いものと
だからもし私が主人にとりのこされたなら心が落ち込んであんな目になり
人様の介護が無くてはもろもろのことが出来なくなるのかしら
そんなことを想っていると
電車がご婦人の降車駅に到着しました
私はそのご婦人の手を取って電車から降ろしてあげました
ご婦人はゆるやかなまるで全盲の人のような足取りでプラットホームの階段を
のぼっていかれました
田舎町のことですこの時間は駅員さん不在の駅です
手をとって下さる駅員さんはいなくて
私が勝手に想像した身近な人のお迎えもなくて
私はおもいました
これからどんなに深い悲しみに遭ってもこころが落ち込まない
心の鍛錬の方法はないものかしら
私にとって心塞がれる一日でした
水仙の花が咲いています