今日も真夏の暑さ35℃と予報されています
涼しくして過ごしましょう
昨日近くのコンビニでアイスキャンデー買って来ました
ブログで教えて頂いていたものです
午後の暑い時間帯に楽しみたいものです
でも何と平和な日々ですこと
私はふとどうしようもない70年以上も以前のことを鮮明に思い出すのです
昭和20年8月4日のこと
この日は未だ幼なかった私にとっても忘れ難い日になっています
戦死した父の遺骨が帰って来て
戦時下で空襲を繰り返す悪状況の最中に
それでも集える親類縁者で法要をしたのです
その夜母がこれまで私が見たこともない綺麗な髪飾りなどを拡げて
私に言ったのです
こんなにきれいなものはもうどんなお店に行っても買えないものばかり
どれでも好きなものを選びなさい
そしてそれを持って
ここにいたら毎日空襲があって危ないから
明日の朝早く小父叔母と兄と一緒に疎開先に帰りなさいと
私は涙がいっぱい溢れてことばにもならないのです
あのときに私が言いたかった本当のことは
「どんなにきれいなものでも私は要らないから
今はただお母さんと一緒に此処にいたいだけ」
それなのにあくる朝早くに小父叔母と兄に連れられて
私は母の家を出発したのです
その二日後 8月6日に原爆で全焼してしまった家です
涼しくして過ごしましょう
昨日近くのコンビニでアイスキャンデー買って来ました
ブログで教えて頂いていたものです
午後の暑い時間帯に楽しみたいものです
でも何と平和な日々ですこと
私はふとどうしようもない70年以上も以前のことを鮮明に思い出すのです
昭和20年8月4日のこと
この日は未だ幼なかった私にとっても忘れ難い日になっています
戦死した父の遺骨が帰って来て
戦時下で空襲を繰り返す悪状況の最中に
それでも集える親類縁者で法要をしたのです
その夜母がこれまで私が見たこともない綺麗な髪飾りなどを拡げて
私に言ったのです
こんなにきれいなものはもうどんなお店に行っても買えないものばかり
どれでも好きなものを選びなさい
そしてそれを持って
ここにいたら毎日空襲があって危ないから
明日の朝早く小父叔母と兄と一緒に疎開先に帰りなさいと
私は涙がいっぱい溢れてことばにもならないのです
あのときに私が言いたかった本当のことは
「どんなにきれいなものでも私は要らないから
今はただお母さんと一緒に此処にいたいだけ」
それなのにあくる朝早くに小父叔母と兄に連れられて
私は母の家を出発したのです
その二日後 8月6日に原爆で全焼してしまった家です
戦禍に生きた者は皆何らかの悲しい思いはしていますが
まだ私共はよい方だと思っています
母も原爆には遭いましたがその後をしっかり生き抜いてくれたと思っています
お陰様で生涯の課題としている私の趣味は母の導きあればこそと感謝です
これからも平安な日々が送れますよに
ありがとうございます
戦争の傷跡大変でしたな
被災者も引き上げてこられたかたも
戦後の混乱期に住むところ食べること着ること
何もない時代ですもの
今は平和です
感謝で暮らせます
ただ混乱期に苦労ばかりされて亡くなられた方はお気の毒ですね
こんな平安を感じられないで
もうすぐお盆です
お墓参りをして沢山お話をしてきます
8月6日も8月9日も祈りを奉げましょう
ありがとうございます
ごめんなさい
先ずお詫びいたします 私の筆不足です
私達は疎開先に帰りました
母は8月6日に原爆に遭ったのですがその地獄のような戦禍に仏にあったように佳い方に遭遇して無事に私達が疎開していた母の実家に辿り着いてくれました
それからは未亡人としてわたしたち兄妹を育てるのに苦労したと思います
み仏様にお仕えのyo-サンさまにはお心を痛めて頂き申し訳ございませんでした
でもその母ももう今ではあちらの世です
こんな頼りない娘を残して
もう直ぐお盆です
JRに乗っていつも小旅行気分でお墓参りに出かけます
今年はyo-サンさまにご心配おかけしたことも話して参ります
ありがとうございました
暑さの中お大事に
感激しています。
暑いものが込み上げてくるのを感じています。
今日も暑い日に
ガリガリ君は明日のお楽しみになりました
戦時下にはみんな悲しい思いや我慢の日々をすごしましたね
私達は疎開先にそして母は原爆には遭いましたが生きて帰ってくれました
私達の疎開先は母の実家でしたのでしばらくはそこに落ち着きました
今の平和は只々有難いです
その時何処にいたかで
そうですね
私達は8月5日に広島を出て行きましたが
8月5日にまたは6日に広島に入って行かれた方
それで運命は
静かな平和はありがたいことです
8月4日はお父様のご遺骨がお帰りになられて、ご法要をなさった日でしたね。
長崎は8月9日でした。
私、はやとちりの粗忽者で申し訳ございません。
いい年して、お恥ずかしいです。
長崎、広島、決して忘れてはならない日です。
fuyouさんと広島。
胸をえぐるような辛くて悲しい思いをなさっていらっしゃったのですね。
fuyouさんの優しさの原点が分かったような気がいたします。
私も戦争体験者、昭和17年、中国の新京で生まれて、あちらで終戦を迎えました。引揚者です。
よくぞ、生きて日本に帰国できたものだと思います。戦争は二度と嫌ですね。
ガリガリ君、大きいので、連れ合いと半分こしていただいています。
髪飾りはお形見ですね。きっと大事にお持ちのことでしょう。
昭和20年8月6日に広島、9日には長崎でしたね。
仰る通り、本当にこの平和な今日ですね。その陰には如何に
たくさんの人々の犠牲があったことでしょうか。
いつもこの頃になりますと胸が締め付けられる思いです。
仏説阿弥陀経に「倶会一処」とあります。有難きことです。到来はお母様や懐かしい方々と倶会一処なんですんよ。
ふと、森山良子さんの「涙そうそう」を思い出しました。
一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
森山さんは、亡くなったお兄さんに、「また会いたい」という思いを込めて作詞されたそうです。
もうすぐお盆ですね。そのような思いで、墓参し、お念仏申し
たいと思う私です。
暑さ殊の外厳しきこの頃、お身体一入お健やかにと念じつつ。失礼致しました。
固くて結構大きいですから、fuyouさんが買って来られたのに、ちょっとびっくり♪
ソーダ味でさっぱりした味をお楽しみ下さいね。
原爆とfuyouさんはそんな関係がおありだったのですね。
小さなfuyouさんの命を助けようと、お母さまも必死だったのでしょうね。
胸を突かれるお話です。
平和がなによりですね。
広島 長崎と8月は悲しい思い出がよみがえりますね
ほんとにその時どこに居たかで運命が変わってしまう
姉たちの女学校のクラスメイト達は大勢が爆死したと聞いています
姉たち二人は難を逃れました
二度とこんなことが起きないよう願うばかりです