「そもそもこの世を生きるとは」佐藤愛子著の中で
上手に年をとるとは“いかに自分を客観視し、いかに自分を知って
いるかということにもつながる“と書かれています
私 日頃想うことだけど自分が表現したことばとか折に触れて考えたことは
屡々思い出して反省したり納得したりすることは出来ます
しかし自分の顔はどんな顔をしてるかは鏡を見ない限り分からないし
ましてやあの時どんな顔をしていたかなど宙に描くことは私にはできないのです
その点他人の顔はいつでも宙に想い起こすことはできます
結局自分の事は一番分かっていないのではないかという気分に
なるのです
上手に年をとるとは“いかに自分を客観視し、いかに自分を知って
いるかということにもつながる“と書かれています
私 日頃想うことだけど自分が表現したことばとか折に触れて考えたことは
屡々思い出して反省したり納得したりすることは出来ます
しかし自分の顔はどんな顔をしてるかは鏡を見ない限り分からないし
ましてやあの時どんな顔をしていたかなど宙に描くことは私にはできないのです
その点他人の顔はいつでも宙に想い起こすことはできます
結局自分の事は一番分かっていないのではないかという気分に
なるのです
“白こでまり”が新芽を出したらもうこんな可愛いつぼみをみせています
「私はこんな花です」と咲く前から主張しているようです
「私はこんな花です」と咲く前から主張しているようです
花筏の新芽もなかはもう黒い粒をたくさんつけています
赤花瓢箪木は冬の間ずっと枯れ木を装い心配させますが本当は大丈夫なんです
新芽をだして気の早い花がもう咲き始めました
やがて木いっぱいに赤い花が咲きますから
新芽をだして気の早い花がもう咲き始めました
やがて木いっぱいに赤い花が咲きますから
あぁ、そうだった、と改めて思いました。先日も母とこのことを話していたのです。鏡を見ないと自分の顔は分からないねって。母とお互いに顔を見ていても今の自分がどんな感じなのか、相手に言われないとわからない。
でも、分からないから勝手に想像できるということも。
内面の喜びとか楽しさとかそのときの自分の気持ち次第で顔も輝いて見えるから気分が落ち込んでいるときはきっと顔も暗くなっているでしょうね。
自分が明るい気分でいたら顔もきっと素敵に見えているんだろうと思っていると、落ち込んでいられないなと思ってしまいます。
皺がいっぱいあっても笑顔がいいなと思えるような、そんな顔でいたいです。それにはまだまだ・・・みたいです、わたし。
こんばんは
本当に分かっていないのは自分の事だと
思えます
自分の顔がみえていたら相手に不愉快な顔をしなくてすみますものね
けいさまが仰る通り明るい気分で笑顔でいれたらいいですね
誰でもいつの場合も笑顔がその人にとって一番美しい顔かも
“和顔施”も大切かも
けいさまはお母さまとお話しが出来てお幸せですね
ありがとうございます
なかなかむつかしい?
お花は平等に自分の姿を私たちに見せてくれて
ありがたいですね!(^_-)-☆
こんにちは
私もおもいます
いつも笑顔でいたいものと
それなのに
いつも我儘になってしまいます
反省です
だからこの世には花が存在するのですかね
明日の日曜日 いいことがありますように