wakuwaku 脳活の先生より、
下記の 自衛隊のお話、感動しました。
シェアします。 と案内が来ました。
以下、私は、 こんなにも 繊細な思いで
職務を果たしている方が、自衛隊にいるんだと知り、
誇りに思いました^^
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長いので、箇条書きにしてみましたが、
時間のある方は全部お読みください^^
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Subject: [シェア]深イイ話
◆自衛隊員だった父に読ませたい感動の物語!
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
> ==ここからシェア==
1) ~寝ているのかと思ったら 口から大量の泥が~
自分たちで、寝泊まりするためのテントをはり、重機で瓦礫を取り除く。
寸断された道路は 舗装工事を施し、
流れた橋の代わりに 組立式の鉄橋を持ってきて設置する。
自衛隊にできないことなんかないのでは?
被災地を取材した記者たちは口々にそう話す。
そんな自衛隊だがいちばんの仕事はもちろん人命救助だ。
現地入りから1週間。彼らは2万人を越す被災者たちを救った。
地震の翌日には現地入りし、人命救助を開始した自衛隊。
奇跡の生還をいくつも実現させたが、
その裏には 何百何千という 遺体との接触 もあった。
「ある家に入ると、ふすまが倒れていました。
それをひっくり返すと、おばあさんが寝ているんですね。
これといって傷もないようだし、寝ているのかなと思って
゛大丈夫ですか゛ と声をかけたけど応答がない。
抱え起こして顔をこちらに向けると、
口の中から大量の泥が出てきました」
つらいが、このケースはまだいいほうだ。
窒息死。圧死。溺死。焼死……。
ありとあらゆる死因で亡くなった人たち。
遺体をそれ以上傷付けることなく運び出す隊員たち。
> その様子を見ていた被災民は語る。
「うちのばあちゃん、死んでるってわかってるのにね。
上に乗っかった瓦礫をひとつひとつ
丁寧に手でどかしてくれるんです。
隙間から足が見えてるから
引っ張り出してくださいって言うんだけど、
それじゃ傷がつきますからって……」
遺族が見ていようがいまいが、この方針は徹底されていた。
「被災から4~5日で 比較的きれいなご遺体は 収容しました。
でも、そこからがきつい」
遺体収容を専門にやっていた隊員の言葉だ。
津波が引いた後、被災地のそこかしこに 遺体が転がっていた。
多くは 溺死 である。ところがこれは全体の一部。
多くは瓦礫の隙間など、外側からは見えにくい場所にある。
「それらのご遺体は損傷が激しい場合が多い。
だから隊員たちのストレスも大きいのです」
>
>
> 2)~ひとつでも多くの命 多くのご遺体を収容する~
例えばジュースの缶 が子供の拳くらいの大きさに
潰れているのがいくつも転がっている場所があった。
瓦礫と瓦礫がぶつかって、びっちりと圧縮されたのだろう。
「そんな場所で、圧迫された状態で亡くなった方の遺体は
本当に悲惨です」(若手自衛隊員)
しかしひとつでも多くの命、多くのご遺体を収容する。
隊員たちの士気は高い
「数人でチームを組み、海岸や住宅地を回ります。
ただ見て歩くのではなく、
『どなたかいらっしゃいますか』 などと、ひとつひとつ声をかけます。
そうしないと、うっかり見過ごしてしまうことがあるんです」
あらゆるものが泥とヘドロにまみれている。 人間も例外ではない。
泥に汚れた人間は 背景に溶けこんでしまい、見落としかねないのだ。
人命救助の作業中に 遺体 を発見した場合、まずは赤い布のついた棒を側に刺しておく、
とにかく最優先させるべきは 生き延びた命を救う こと。
「もうしわけないけど、ご遺体の回収はその次なのです」
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> 3)~サリン事件でも活躍した中央特殊武器防護隊~
>
> 首都圏から福島県第一原発付近に入った 中央特殊武器防護隊。
95年の 地下鉄サリン事件 や 東海村JCO臨海事故 で
活躍したことでも知られる部隊だ。
「震災から2日後の13日に 福島県入りしました。
東電側の『安全だ』という言葉を信じて作業を始めたのですが、
その直後に3号機が爆発。 部員が負傷しました」
大体3月いっぱいまでは、防護服の用意も万全ではなく、
何日もわたって着回すことが状態化していたという。
原子力研究者に言わせれば 『言語道断』 の行為 だ。
>
> 4)~自衛隊のヘリに手を合わせる おばちゃん~
>
> 被災から3日目。ヘリ部隊が現地入りした2日目の起床時間は5時。
その日の任務は街の中に取り残された被災者を
1人ひとりホイスト(吊り上げ救助)で助けるというものだった。
津波の被害もさることながら、福島第一原発付近の問題は放射能汚染 だった。
「空からの場合は、街の上を 15メートルほどの低空飛行 で飛びます。
そうしないと 目視で被災者を発見する ことができないのです」
自宅のベランダで大きな毛布を振って助けを求めるおばあさんに
「今行きますね」 と声をかけると、
おばあさんはヘリコプターに向かって手を合わせたという。
やっと来てくれた救助の手。
おばあさんには神や仏に見えたのかもしれない。
>
>
> ~5) ボロボロになったアルバムでも決してぞんざいに扱わない~
>
> 瓦礫撤去の作業に付随するのが 個人の持ち物や遺品の収集と管理 である。
どんなに汚れていようが、壊れていようが、もしかしたら誰かの大切なものかもしれない。
財布や金庫、クレジットカードなど、財産に直結する物はもちろん、
アルバム、ランドセル、携帯電話、本、パソコン………等々。
物には必ず誰かの思い出が詰まっている。
泥水をかぶってボロボロになったアルバムでも決してぞんざいに扱ったりしない。
それ以上傷つかないように丁寧に扱い、持ち帰って整理するのだ。
その際、拾った場所や日時も正確に記録する。
その記録を元に 3月11日当日の津波の流れから逆算して、
どこから流れ着いたかもわからない品々の
おおよその「生誕地」を推測するのだ。
> 戦地への派遣やその地での火器の使用など、
きな臭い話題でしか議論させることはなかった自衛隊。
一般のニュースに載るのは札幌冬祭りの雪像作りくらいのもの。
ところが今回の震災で、彼らは真の実力を我々に見せてくれた。
投入された人員より救った人の数の方が多い、世界で唯一の軍隊。
我々は自衛隊の働きを永遠に忘れることはないだろう。
◆ こんな Nippon の自衛隊の活躍、
本当に誇りに思います^^
是非、 お彼岸の集い で
お仲間に シェアしてみませんかーー^^

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