時々眺める富士山

TVの場所を変えた

今日の訪問時、母はちょうどバッド交換を終えたところだった。

介護の方が、誰が来たのかな?と母に尋ねると「弟」と答えた。
介護の方が、名前は何というのかなとさらに尋ねたが、思いだせないのだろう。何も答えなかった。

そして、「今朝はお父さんが来ない。遅れている」
というから、また、お父さんは死んだことを告げた。
命日が8月8日であることをいい、忘れてはいけないよ、と念を押し、葬式の後の写真を見せた。

最初は、父が死んだはずはない、といった顔をしていたが、何度か復唱させると、「8月8日」はいえるようになった。

今日は何日か?と尋ねると、戸惑った顔をして、「教えてよ」といった意味のことをいった。

2014年12月6日であることを言って、復唱させようと何度も試みたが、もはやこれだけのことは復唱できない。

そして、お父さんが死んだ年が2011年で何年前か?という質問には「わからない」としか答えられない。

3年前ということを告げても、それが何を意味しているのかは理解できないようだった。

そして、
「そうか。それで看護婦さんが二人きて、ご飯を食べたんだ。大したものではなかったけど」といった。葬式の後のお清めの食事の記憶がよぎったのだろうか?

それから、
「あそこの部屋で大変なことがあった。2時間ぐらい騒いでいた」
「騒いでみたって始まらないけど」

といったことを、かなりの間はなしていた。

介護の方に、騒ぎのことを尋ねてみたが、説明は得られなかった。

今日は久しぶりに宮川さんがいて、お茶を持ってきてくれた。
しかし、母は、小百合ちゃんとは言わなかった。

ここのところ、気温が下がってきたので、布団が嵩のあるものに変わっている。
昼間は、それを足元で畳んであるので、足元にあるTVが見えないようだ。

母は、「TVがみたいが、見えない。布団を足元に置くのをやめさせてくれ」
といったことを要求した。

それはできないだろうから、TVの位置を変えた。
これは兄が怒ること間違いないが、母の要求だから仕方がない。

施設の方の了解は取れた。

母は、その作業の間、
「お母さんが、今日一緒に出掛けようといっていたのにまだ来ない」
といったことを話した。
お母さんの名前は原田エイだという。
もう40年も前に死んだことを言っても、これについては全然納得してもらえなかった。

エイさんが死んだ後に生まれた私の娘が37歳になっているのに、いつの話をしているのかというと、「祥子はそうだろうけど、母は生きている」といった意味のことを話した。

私の名前は出なくても、娘の名前はでた。

今日は、その他の固有名詞もほとんど言わなかった。
固有名詞がかなり失われた可能性がある。

TVの場所を変えたら、
「お駄賃を上げたいが、がま口が見つからない」といった。

「リンゴをもっていきなよ」ともいった。
リンゴは、ずっと机の上に置いたままだ。
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