Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

21.カリン

2020年02月03日 | 日記
その日を境にカリンと僕は一緒にいることが多くなった。それは,お互いの存在がとても心地よく安心できるものだったというか,とにかく自然に僕たちは付き合う様になった。サンドリンが資格試験の勉強が大詰めになってブランズウィックに顔を出さなくなったから,2人きりでのんびりと飲む日が増えたのも成り行きだったのかもしれない。

円山さんは学校に顔を出さない日が続いて,自宅を訪問しても生活している空気すら漂ってはいなかった。流石に心配になった僕は,以前円山さんからもらった名刺を頼りに仕事先まで確認に行って,既に退職をしたと聞かさて愕然とした。しかも,パリから帰国した週の金曜には手続きを済ませていたのだという。ほどなくして,円山さんの自宅には“FOR RENT”という看板が掲げられ連絡を取るのは絶望的になってしまった。ガレージには主を失った飼い犬がじっとその帰りを待ち続けている様に,まだ組み立てかけのミニが悲し気に佇んでいた。こんなことなら日本での連絡先を聞いておくべきだったと後悔したが,決して黙って姿を消した円山さんを責める気にはなれなかった。それに,時間が経てばきっと何もなかった様に再び僕の前に現れるだろうと疑いもしなかった。

約束通り僕はアジャへの手紙を毎日書いていた。カンティーヌやビーチで僕がアジャへの手紙をしたためていると,特に会話もなくカリンがただ傍にいて別のことをやっているなんて感じだった。彼女は僕と同い年のスイスジャーマンで,フランス語やイタリア語も堪能な才女だが,英語は初級コーズで学び始めたばかりだった。9月から地元のカレッジに通う為にファーストという英語技能試験を控えていたから,既にその資格を取得している僕から文法や表現上のアドバイスを求めることがあって,僕もそんな風に頼られることに対して悪い気はしなかった。

アジャへの手紙・・・と言っても,A5サイズのノートに思い付くままに書いたもの,例えばその日の出来事や学校やブランズウィックの様子なんかを,カリンと同じ初級コースで学んでいたアジャにも分かるように単純で短い英文で思いつくままに日記の様に綴るだけだった。1ページ程書き上がったらページを切り取って封筒に入れて送った。船便だから時間は相当かかるだろうけれど,もう3週間1つも返事がなかったから少し不安にはなったが,もはやそれが習慣になっていた。時々カリンも一緒になって内容を考えてくれたりして,そんなふうに,カリンの存在がアジャがいない寂しさを緩和してくれていたんだ。

カリンのクラスは1階にあって授業が終わるとほぼ毎日の様に僕のことをエントランスで待っていてくれた。そのまま海辺の道を散歩したりフィッシュアンドチップスを買い食いしたりしながらのんびりと過ごすことで僕は癒されていた。カリンは日曜日の教会でオルガニストのアルバイトをしていたから,時々彼女のオルガンの練習にも僕は付き合った。平日の午後,教会にはほとんど人影はなく,真剣な面持ちでオルガンの練習をしているカリンとアジャへの手紙を書く僕の2人きりになれる隠れ家の様な場所になって,いつしか僕はサンデーサービスにも参加する様になっていた。

そんなある日教会のボランティアへの参加をニコラス牧師から突然提案された。それは混迷の色彩が濃くなってきていたアジャの国への人道支援の一貫だったのだが,危険を伴う仕事ということもあって参加者が皆無なのだという。そこでカリンが僕のことを牧師に紹介してくれたらしい。それは飽くまで提案というでニコラス牧師はにっこりと「1か月もありますから,じっくりとお考え下さい」と丁寧におっしゃってくれた。

「もしかしたら,アジャにも会えるかもしれないじゃない。旅費も滞在費も教会持ちだから悪い話じゃないと思ったの」

おとなしくて誠実なカリンの積極的な申し出に僕は驚きつつも心から感謝した。カリンの両手を取って礼を言う僕に,カリンは頬を少し赤らめて優しく微笑んだ。

「ごめんなさい,でしゃばって。でも手紙の返事が来ないから心配だと思って」
「こんなチャンスないよ。本当にありがとう」

6月1日の夕方,僕は教会へ詳しい話を聞きに行った。出発は1ヶ月以上先の7月中旬で3週間の滞在となると知らされた。細かな内容は出発してからドーバーからのフェリー内で伝えるというシンプルなもので集合場所や時間を確認して15分ほどで終わった。牧師たちは翌日のサンデーサービスの準備で慌ただしく退席した。

僕はボランティアに参加するのが初めてだったからそんなものだろうと何も不思議には思わず,そのままカリンと一緒にブランズウィックへ向かった。

「明日の準備はいいのかい」
「大丈夫,たっぷり練習もできたし,今日は旅の前祝をしましょう」
「ありがとう,カリン」
「アジャ,絶対に元気よ。“No news is good news”って言うでしょ」

その時,突然夕立が降り始めた。こんな時,風も結構強めに吹くから傘なんて全く役に立たない。僕は日本から持ってきた傘はもう2本とも壊されてしまった。イギリスでは1日に4つのシーズンが味わえるんだと地元の人間は楽しそうに言うけど,やっぱり僕はこの国の雨が大嫌いだ。「ヒャー!」と叫んでウィンドブレーカーのフードを被った僕をカリンが笑った。ザーザーと降る雨の向こう側で草色のフードに包まれたカリンの笑顔が天使の様に見えた。


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