Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

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トイチの中のジジコ 第2話

2021年03月12日 | 日記
 「こちらです」

 神妙な面持ちの若い警官が少しだけ申し訳なさそうに、尖兵として到着した私の事を霊安室に案内した。何の変哲もない無機質な冷たい感じのドアを開いて「どうぞ」とばかりに招き入れる様な仕草をした警官に促されるまま中に入ると、縦に数列並んだステンレス製の引き出しの1つが何の前置きもなく金属を引き摺る様な音を立てながら引き出された。勿論遺体が腐敗しないように冷蔵する為なのだが、大きな引き出しの中で身体をくの字に曲げて、まるで眠っているような父親の姿を認めて、旭野は言葉を失った。数秒間父親の様子を確認してから、傍でじっと見入っている警官の方に頷いて「父に間違いありません」と静かに答えると、旭野はうろたえることもなく、その後の段取りを警官に尋ねた。警官はほっとしたように引き出しを押し込みながら、「詳しくはあちらで・・・」とだけ呟いて元来た通路を先導した。
 旭野は涙一つ流れない自分の落ち着いた状態に自分でも驚いたが、実は葬儀の段取りや仕事のやりくりや残された母の面倒のことで頭の中がいっぱいだった。事務所の机に座って詳しい説明を受けているときも、これから義姉と一緒にやってくる母に父の死をどう伝えようか悩んでいた。警察官はそんな心中を余所に淡々と事故の状況や各種書類の作成についての説明を続けていた。小一時間ほどして義姉に抱えられる様にして哀れな母が到着した。

 20年以上も住んだ埼玉の家を売り払って鹿嶋に転居してから、この継母は控えめに見ても決して幸福な日々を送っていたとは考えられなかった。母にしてみれば埼玉での生活こそが自分の黄金時代とも呼ぶべきものであったのだろう。ご近所の主婦達の団結力といったら、まるで何かのスポーツチームかの様に、常にお互いを親身に支え合っているのが端から見ていても手に取るように分かる程であった。60歳で定年を迎え、ジジコは余生を釣り三昧で送る為にわざわざこんな海辺に大きな家を新築した。家長の一存とはいえ縁もゆかりもない見知らぬ土地にやってきて、孤独の縁に追いやられた母は以来引きこもる様な有様だった。旭野も2年ほど実家で過ごしたことがあったが、埼玉でも我が儘放題に過ごしていたのに輪を掛ける様にして荒んでいく父と家庭の実態に、その家に1度も住もうとしない義弟を含め、姉弟たちは次々と実家を見捨てた様なものだ。独り身で何のしがらみもない義姉までも後に母親の束縛を理由に家出同然に両親を残して去ったのがほんの数年前の事だった。

 継母が義姉に支えられながら恐る恐る入室してくると、警官は旭野の時と同様に何の躊躇もなく引き出しを勢い良く開けて父の骸を露わにした。私達家族にとってはどんなにデリケートな状況にあっても、日に何件も人間の死を取り扱う警察にしてみれば、そんな遺族の心中など推し量っている余裕はないのだろう。それに、逆の立場で考えてみれば、それ程過酷な状況で働く仕事が他にあるだろうか。過酷な状況に長く置かれれば置かれるほど、人の心は温度を失っていく。旭野自身にも覚えがあったし、きっと警察という場所はその最前線なのだ。
 漫画でしか見たことのない「ひいい」という恐怖と悲しみが混じった叫び声を上げながら継母は義姉の胸に顔を押し付けるようにして倒れかかった。姉はそれを庇うように母の両肩を抱きかかえて一緒に涙している様だった。まだ意識と現実がリンクできない中で旭野はその模様を眺めながら、さっき電話で義姉と話したときの白けた気持ちを未だ払拭できず、引き出しの中に寝かされている亡き父の骸でさえも滑稽に見えてきて、込み上がる笑いを堪えるのに必死になっていた。

 こういう特別な事案の場合、警察と癒着のある業者が葬儀を請け負うらしく、別室で背広姿の営業マンが旭野達を待ち受けていて早速葬儀の日程と段取りの話に入った。職場ではまだ“見習い”の様な立場の旭野には経済的な余裕もなく、葬儀は極近しい親類だけで執り行うことに決まった。そもそも、父親は禁止されている場所で勝手に釣りをし、その挙げ句波に浚われ溺れ死んだのだ。その堤防は、毎週犠牲者が出る場所で、その危険性を知っている輩の多くは腰に“命綱”を架けてテトラポット等に括り付けるなどして安全を確保しているくらいだった。

「ご遺体が上がっただけでも良かったんですよ」

 業者とのやりとりを見守っていた先程の若い警官がふと漏らした。その場所で海に呑まれてしまうと体内のガスが充満して浮き上がるまで遺体が発見されないことが多く、そうなると目も当てらないだろうから「こんなきれいな状態で運ばれるのは奇跡」なのだそうだ。普通なら傷つくような物言いなのだろうけど、旭野は尤もだなと納得してその警官に礼まで述べた。
かくして葬儀の日取りも段取りもある程度落着し、病院から「死亡証明書」がまだ発行されていなかったので、警察署の計らいで特別許可証を発行してもらい、すぐに自宅まで遺体を移送する手筈が整えられた。業者は時間が経つと肺に溜まっている海水が鼻や口から溢れてきてしまうから出来るだけ早くに荼毘に付す方が望ましいと忠告してくれ、翌日の午後には葬儀から火葬まで一気に行えるように手配をしてくれた。

 ジジコの弟家族は久慈郡で先祖代々の神社を守っている。叔父も従兄も神主だったが、肉親の祭事には関わってはならないのだそうだ。しかし、翌日には叔父が斎場に足を運んでくれて、葬儀に関してあれこれと指図をしてくれた。葬儀業者してみれば意外な展開だった様で、地元の鹿島神宮からの手配で打ち合わせに来ていた若い宮司の表情が強ばるのが明らかだった。そんな様子を観察しながら、旭野にしてみれば心強い味方が出来た気がして、半ば押し付けられた“祭主”の重責も大分軽くなった様な心持で内心ほっとしていた。


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