以前にも
余りにも急激に腰がだるくなったのを訝しんでしてくれたリーディングで
死神のでっかい鎌で腰の部分のエネルギーをゴッソリ持っていかれているよ、
と言われたことがあった。
正直、こわ~~~~い!やめてくれ~!と思ったし
その死神を寄越したという人自体が怖くなった。そしてそんな風にこれまでにない怖れを生じさせたリーディングをして貰ったこと自体をも後悔した。
それでも一度聞いた話しは聞かなかったことに出来ないし
自分の耳に入ってきた以上、それはわたしが腑に落とす課題として
他の類題も交えてずっとわたしの念頭にあり続けてきた。
類題といえば
例えば手法でいうところのサイキックコードが「刺さってる」という表現だったり「敵」という言葉、
エネルギーに敏感な先生がいうところの「エネルギーヴァンパイヤ」という表現とか
その西洋的発想自体がどうしても馴染めないし、相対的に相手に無条件に怖れを生じさせ、増幅させてしまう表現を口にすることすら憚られたし、
それを抵抗なく発することにギモンを持たないことへのギモンの方が強く、
どうしてもそのことの意味を解明することへの希求は強くわたしの中であり続けてきた。
そして今回“死神”再び登場
ところが、きっとわたし自体がすでにそれまでとは違う認識でそれを聞いたからであろう
自分の浮かべた「死神」のイメージが、これまでのおどろおどろしい死神とはうって変わって 自分で笑ってしまったのだけれど、はじめ人間ギャートルズに出て来るあの間の抜けた死神だったのだ。(なんかすでに彼となら会話が成立しそう)
彼が言うには
これ以上、余りにも沢山の光が射し込んでしまっては死神商売あがったり、
だからこれ以上わたしが光の言葉を喋れないよう喉のチャクラに居座ることにしたという。
うーむ。これってどうなの?彼の言い分は正当なの?
よくよく考えてみてよ、そもそも死神の仕事って一体なんだったの?
もともとはこの三次元の「生」に希望を持てなくなった魂を、速やかに肉体から離脱させ、光の本体に戻すことがお仕事だったんじゃなかったわけ?
あんまりにも長い間死神家業やってたもんだから、だんだんお仕事の主旨がずれてきちゃって、自分が光の仕事人だったってこと、忘れてたんじゃないの?もうその仕事のパターン、古い古い!だってすでに地獄界も冥界もその形を変容させて、これまでの在り様じゃなくなっちゃってるんだから。もうそのおどろおどろしいイメージはさっさと廃業して、本来の姿カタチに戻ったら?
ってそしたらみるみる真っ白になっちゃってスッキリ凛々しく大変身。
だよね、そういうことだよね。
みんな脅かし役長かったもんだから、素の自分、忘れちゃってただけだよね。
っていうか、やっと「怖れ」で両のまなこ曇らせることなく視てみたら、
それはそういう配役だったってこと、すぐわかっちゃった。
なーんだ「怖れ」って、お化け屋敷に欠かせない『薄暗さ』だったのか。
ヅラとかハッキリ見えたら怖くもなんともないもんね。
なんだかやっと腑に落ちた。
死神が現れたこと、
援けて欲しかったのは死神自身だったんだ、
もうその姿カタチ、役割を終えるタイミングが来たからやってきたんだね。
その水面下の魂のニーズを感知できるわたしになれててホントに良かった、
じゃなくて、今のわたしだからわざわざ死神がやって来たのか
すべてが最善のタイミングで齎されるってこういうことなんだな。
消せるはずもなく、常に念頭に在り続けるのも肯ける。
だって、果てしないほど長い間ずーっとその時がくるのを待ってた存在がいるんだもん。
これまでずっと人間が「見えない敵」として戦ってきた
白と黒
光と闇
天使と堕天使
悪魔、死神、
わけのわからないものへの恐れ
いろいろもろもろがやっとわかった。
わたしがわかりたかったようにわかった。
実はカミサマや天使や見えない存在を
わたし達が必要としてるんじゃなくて
わたし達こそが必要とされてるんだ、ってこと。
目に見えるわたし達の想念とリンクしないと
目に見えない存在達が
この地球に何重にもアンカリングしてきたエネルギーが
外せないんだってこと。
だからわたし達、
逆にもの凄く必要とされてるんだってこと。
本当に
「今」じゃなきゃ、っていうか
「今」がまさに「その時」なんだなって。
なんか
こういうことを考え続けることをヤメラレナイ
「わたし」っていうややこしい複合体も
ものすごく大切なんだなって
腹からわかった。
そしてそれをヴィジュアルでわかりやすく伝えてくれてる
媒体としてのチャネラーさんの言葉をどう解釈するのかはこちら次第
そしてそこに揺らがぬ信頼さえあれば、
怖れを喚起させる言葉からでさえ、それは必ず真実の姿を現してくれる
そもそもチャネリング自体、
どこに周波数を合わせてヴィジュアル化するかっていうと
多層体の「わたし」が意図するところが生じるのだもの
「恐れ」を恐れでなくします、と最初に意図設定したのはわたし自身。
わたしが見たいもの、でなく
みるべきものをみているのだから。
なんだかそれらももろもろやっと腑に落ちた。
やっぱり
ありがとう、なんだな。
みんなみんな、ありがとう。
余りにも急激に腰がだるくなったのを訝しんでしてくれたリーディングで
死神のでっかい鎌で腰の部分のエネルギーをゴッソリ持っていかれているよ、
と言われたことがあった。
正直、こわ~~~~い!やめてくれ~!と思ったし
その死神を寄越したという人自体が怖くなった。そしてそんな風にこれまでにない怖れを生じさせたリーディングをして貰ったこと自体をも後悔した。
それでも一度聞いた話しは聞かなかったことに出来ないし
自分の耳に入ってきた以上、それはわたしが腑に落とす課題として
他の類題も交えてずっとわたしの念頭にあり続けてきた。
類題といえば
例えば手法でいうところのサイキックコードが「刺さってる」という表現だったり「敵」という言葉、
エネルギーに敏感な先生がいうところの「エネルギーヴァンパイヤ」という表現とか
その西洋的発想自体がどうしても馴染めないし、相対的に相手に無条件に怖れを生じさせ、増幅させてしまう表現を口にすることすら憚られたし、
それを抵抗なく発することにギモンを持たないことへのギモンの方が強く、
どうしてもそのことの意味を解明することへの希求は強くわたしの中であり続けてきた。
そして今回“死神”再び登場

ところが、きっとわたし自体がすでにそれまでとは違う認識でそれを聞いたからであろう
自分の浮かべた「死神」のイメージが、これまでのおどろおどろしい死神とはうって変わって 自分で笑ってしまったのだけれど、はじめ人間ギャートルズに出て来るあの間の抜けた死神だったのだ。(なんかすでに彼となら会話が成立しそう)
彼が言うには
これ以上、余りにも沢山の光が射し込んでしまっては死神商売あがったり、
だからこれ以上わたしが光の言葉を喋れないよう喉のチャクラに居座ることにしたという。
うーむ。これってどうなの?彼の言い分は正当なの?
よくよく考えてみてよ、そもそも死神の仕事って一体なんだったの?
もともとはこの三次元の「生」に希望を持てなくなった魂を、速やかに肉体から離脱させ、光の本体に戻すことがお仕事だったんじゃなかったわけ?
あんまりにも長い間死神家業やってたもんだから、だんだんお仕事の主旨がずれてきちゃって、自分が光の仕事人だったってこと、忘れてたんじゃないの?もうその仕事のパターン、古い古い!だってすでに地獄界も冥界もその形を変容させて、これまでの在り様じゃなくなっちゃってるんだから。もうそのおどろおどろしいイメージはさっさと廃業して、本来の姿カタチに戻ったら?
ってそしたらみるみる真っ白になっちゃってスッキリ凛々しく大変身。
だよね、そういうことだよね。
みんな脅かし役長かったもんだから、素の自分、忘れちゃってただけだよね。
っていうか、やっと「怖れ」で両のまなこ曇らせることなく視てみたら、
それはそういう配役だったってこと、すぐわかっちゃった。
なーんだ「怖れ」って、お化け屋敷に欠かせない『薄暗さ』だったのか。
ヅラとかハッキリ見えたら怖くもなんともないもんね。
なんだかやっと腑に落ちた。
死神が現れたこと、
援けて欲しかったのは死神自身だったんだ、
もうその姿カタチ、役割を終えるタイミングが来たからやってきたんだね。
その水面下の魂のニーズを感知できるわたしになれててホントに良かった、
じゃなくて、今のわたしだからわざわざ死神がやって来たのか
すべてが最善のタイミングで齎されるってこういうことなんだな。
消せるはずもなく、常に念頭に在り続けるのも肯ける。
だって、果てしないほど長い間ずーっとその時がくるのを待ってた存在がいるんだもん。
これまでずっと人間が「見えない敵」として戦ってきた
白と黒
光と闇
天使と堕天使
悪魔、死神、
わけのわからないものへの恐れ
いろいろもろもろがやっとわかった。
わたしがわかりたかったようにわかった。
実はカミサマや天使や見えない存在を
わたし達が必要としてるんじゃなくて
わたし達こそが必要とされてるんだ、ってこと。
目に見えるわたし達の想念とリンクしないと
目に見えない存在達が
この地球に何重にもアンカリングしてきたエネルギーが
外せないんだってこと。
だからわたし達、
逆にもの凄く必要とされてるんだってこと。
本当に
「今」じゃなきゃ、っていうか
「今」がまさに「その時」なんだなって。
なんか
こういうことを考え続けることをヤメラレナイ
「わたし」っていうややこしい複合体も
ものすごく大切なんだなって
腹からわかった。
そしてそれをヴィジュアルでわかりやすく伝えてくれてる
媒体としてのチャネラーさんの言葉をどう解釈するのかはこちら次第
そしてそこに揺らがぬ信頼さえあれば、
怖れを喚起させる言葉からでさえ、それは必ず真実の姿を現してくれる
そもそもチャネリング自体、
どこに周波数を合わせてヴィジュアル化するかっていうと
多層体の「わたし」が意図するところが生じるのだもの
「恐れ」を恐れでなくします、と最初に意図設定したのはわたし自身。
わたしが見たいもの、でなく
みるべきものをみているのだから。
なんだかそれらももろもろやっと腑に落ちた。
やっぱり
ありがとう、なんだな。
みんなみんな、ありがとう。