何かをしなければ贖えない、と思い込んでいたのだ。
贖わなければならない、とも思ってきた。
そのことをすっかり忘れていた今
それを思い出した。
それは唐突にやってきて
ここにきてやっと
その全貌を明らかにした。
自分の中に残っていた
赦されざる自分を置いてゆくわけにはいかなかった。
見落として、忘れて、そのままにしてゆくことは
初めからありえなかったのだ。
わたしのなかに溜め込んでいた感情は
そのお陰で傷口を大きく開け、
そこから奔流の様に外に向かって大きく流れ出した。
仏教的にはそれは愚か者のすることなのかもしれない。
それでも
「今」に生きる自分にしてみれば
それそのものさえが
尊くも愛しく、慈しまれるものとして
深い部分からの感謝を導き出してくれたもの。
わたしが求めていたのは
賢い知恵でも、方便でも、叡智でもなく
ただただすべてが “ 一如 ” であるのだと
それを細胞の一つ一つの隅々までに染み透らせることだったのだから。
過去の自分を赦していなかったのは自分。
その自分自身をもう一度飲み込んで、
自らを産みなおすプロセスであった。。。
ようやっと、
在るものすべてを飲み込んだウワバミが
永い永い時間をかけて内容物を消化して
何度も何度も脱皮を繰返してきたものが
ある日自分をみたらば蛇と思っていたものは
大きな繭の中にいて
今まさに変容を遂げ、空飛べる蝶であったことを思い出した、
そんなところ。。。
これからは
ただ “ 在る ” だけ