サロン・ド・クロノ分社

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五色不動巡り

2012年03月03日 | 日本

 入谷鬼子母神 福禄寿

 吉原弁財天奥宮

 吉原神社

 浄閑寺 新吉原総霊塔
1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。「病気などで死んだ遊女は、吉原遊廓の場合、投げ込み寺と呼ばれた浄閑寺に、「~~売女」という戒名で、文字通り投込まれた」という説もあるが、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「~~売女」の戒名は、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者に限られていることが、最近の研究で明らかになっている。この場合、素裸にされ、荒菰(あらごも)に包まれ、浄閑寺に投げ込まれた。人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とすという迷信によったとものとされている。なお、浄閑寺のホームページによると、浄閑寺が投げ込み寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによる。

 目黄不動尊

 鷲神社

 目白不動尊 真言宗 神霊山 金乗院 慈眼寺
断臂不動明王は縁起によれば、弘法大師が唐より御帰朝の後、羽州湯殿山に参籠(さんろう)された時、大日如来が忽然と不動明王のお姿となり、滝の下に現われいで、大師に告げて、「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為(うい)の穢火(えか)をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏(むろ)の浄火をあたうべし」といわれ、持てるところの利剣(りけん)をもって、みずから左の御臂(おんて)を切られると、霊火が盛んに燃えいでて、仏身にみちあふれた。

 日比谷神社

 目黒不動尊 



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