セドナ、2012年に行くつもりだったけれど、時間は上野からフリーズしたまま。
わたしはイシスのメッセージを忘れたわけでも自分の言ったことを違えるつもりもなかったけれど、
心の整わないうちは動けなかった。
それを言語化することも伝えることもできなかった。
いわば戦地から帰還したら夫は死んだと思った妻は再婚していた、という夫の心境に近いのか。
すでに既成事実を積み上げられた状態でわたしのできることはあの時はなかった。
アタマでは、当時の言葉に出来なかった自分、動けなかった自分、潜在的にそこまでのことがないと距離を置けないことをよくわかっているだけに、もはやその出来事が当事者の意識を超えたところでのドラマだということの認識は出来ても、未消化の感情が腑に落ちるのに思ったより時間がかかった。
その後、別の方から「セドナのお土産」、と頂いた天使の羽はご本人の希望により返還されることとなり、
再びまた別の方から「セドナのお土産」、と頂いた同じ天使の羽には天使が随行。
さて、そろそろこのドラマによって昇華されたもの、消化されたものがあいまって
わたしはここから出ることに。
ようやくの卒業。
さあ、わたしはわたしをしっかりと。