サロン・ド・クロノ分社

Harmony中国茶&SpiritualCareサロン 埋蔵LOG

奇跡という名の幻想1999

1999年03月22日 | 1999エピソード

啓子先生にしても、チャネラーのリサロイヤル氏にしても、チャネリングできてしまう友人にしてもそうなのだけれど
周りで奇跡体験を持たされた人を羨ましいと思う気持ちをなくすことが出来ずにいた。

ワタシにも「声」が聞こえたら・・・
ワタシにも「ヴィジョン」が視えたら・・・
ワタシにも奇跡体験があれば・・・

でもだからと言って何が違うと言うのだろう?

 

でも

もう一人の自分がつぶやく。
もし頭の中で声が聞こえたら、
もし明確なヴィジョンが視えたら、
もし奇跡体験が起きたら、 

「 聞かせて。 視せて。 体験させて。」

そう想いつつも、
これまでにそれがもし自分に起こっていたとしたら
きっと疑り深く、プライドの高い自分は
きっと「何者かが囁いたこと」「何者かが見せたこと」を疑い、検証し、
自我を手放すことが出来ずに果てしない思考の回廊からいつまでも抜け出せずにいたことだろう・・・

自分の内にこそ真実は存在する。

そこまでをも検証しつつ、それでも肉の身を持ち、未完の人格である自分は今もまだ、時に奇跡体験を望んでいる自分を消すことが出来ない。。。

 

でも そこからもう一歩踏み込んでゆくと、
非・日常の奇跡体験ではなく、
自分の日々関わっている、「日常」に起きている事そのものが
まさに奇跡の連続なのだということに気付く。

恐れを手放せた時、

また新たな世界が・・・


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