昔、金持ちで意地の悪い主人がいて、その屋敷にお菊という女中が働いていた。お菊はかなりの美女だったので、主人の男はすぐにのぼせてしまった。
主人はお菊に惚れたことを打ち明け、生涯そばで働いてほしいと言い寄ったが、お菊の返事は「私には構わないでほしい」という冷たいものだった。
主人はひどく怒り、女が、それもこんなにいい女が自分を袖にするということが、どうしても納得できない。意趣返しをしないではいられなかった。
そこで、主人は、十枚一組で、値段もつけられないような家宝の皿を取り出し、手入れするようお菊に命じた。そして、もしも一枚でも割ったら、手討ち(主人自ら斬り殺すこと)にすると言いつけておいた。
お菊は十分に気を付けて、皿の手入れにかかったが、お菊がちょっと目を離した隙に、主人は皿を一枚抜き取り、隠してしまった。それから主人はお菊に向かって、皿を全部見せろと言った。お菊は皿を一枚ずつ並べ、「一枚、二枚、三枚、四枚……」と数えていった。
だが、九枚目まで数えたところで、十枚目が見つからない。主人は、お菊が皿を盗んだと言って責め、刀を持ちだした。お菊は泣きながら、盗んでないことを主張したが、主人は聞き入れようとはせず、お菊を斬り殺し、死骸を井戸に投げ捨ててしまったのだった。
次の日の晩、主人が床に就こうとした時、どこからともなく物悲しく、背筋がぞっとするような声が聞こえてきた。「一枚、二枚…」
「何者だ」
震え上がった主人は、起き上り叫んだ。
「三枚、四枚…」
声は続いた。主人は障子をあけて外を見たが、誰もいない。
「五枚、六枚…」
主人は庭に走り出た。
「七枚、八枚…」
主人はいつの間にか井戸のそばにきていた。そして井戸から黒いものが現れてくるのが目に入った。よく見ると人の髪だ。ぎょっとして飛び退ると、井戸の中から一人の女が現れた。
「九枚…」
「お菊!」主人は悲鳴を上げた。
翌朝、下男が井戸のそばに、冷たくなった主人を見つけたのだった。
それ以来、お菊の幽霊は毎晩、井戸から現れて皿を「一枚、二枚」と数えるのだった。そして九枚まで数えるのを聞いた者は、その場で死んでしまうという噂が広まった。
ひと月もたたないうちに、お菊は国中で大評判になった。お菊が井戸からゆっくりと出てきて皿を数えるのを見に、大勢の見物人が遠くからやってきた。「一枚、二枚、三枚」と恨めしそうな声を聞いて、人々は押し合いへし合いしながらじっとお菊を見つめる。そして、「七枚」まで来ると、誰かが「逃げろ!」と叫ぶ。見物人は庭からどっと逃げ出すのだ。「九枚」まで聞いたら、死ぬといわれているからだ。
お菊人気はどんどん盛り上がり、そのうち、あまりに大勢になったので、屋敷の外に入場券売り場までできたとか。庭に入るためには数か月前から予約を取らなければならない。露店もできて、「お菊人形」をはじめ、「お菊饅頭」、お菊湯呑と急須のセット、さらに「お菊を見たが生きてるぞ」と書かれた扇子まで売り出される始末だった。
お菊を歌った民謡、お菊を詠んだ和歌、お菊の芝居もできた。よその町では、お菊の二番煎じで新しい地元の幽霊を作り上げたりした。お菊ブームはどこまでも続きそうだった。お菊記念館までできて、皿が展示された。若い娘の中にはお菊に憧れて、お菊ファッションに身を固めた。中には、お菊のようになりたくて、井戸に身を投げる娘まで表れた。
だが、お菊はそう言う流行には全く関係なく毎晩決まって井戸から現れ、その様子は最初のころと寸分違わぬ風情であった。しかし、中にはマンネリ化していて、かつてのような、ぞくぞくとするものが感じられないという者が出てきた。
そうして、ある晩のこと。妙なことが起きた。いつものようにお菊が現れ、みんなが拍手喝さいをした。皿の勘定が始まり、「一枚、二枚…ハックション!」
「大丈夫かい?お菊さん」 見物人が尋ねた。
「ちょいと風を引いてしまいまして。」 お菊は鼻をぬぐい、「たいしたことはございません。三枚、四枚…ハックション!」
そして、「七枚」まで来ると、人々はわっと叫び、庭から逃げ出そうとする。だが、いつもより込んでいて、みんな門の所でつかえてしまい、門から出られない。
「八枚」
人々は出ようとして必死でもがいた。「みんな死んじゃう!」とある女が悲鳴を上げた。
「九枚」
群衆は凍り付いた。
「十枚、十一枚、十二枚」
「いったいどうなっちゃったんだい?」
「ひどい風邪をひいてしまいましたので、明日はお休みさせていただきます。それで、前もって十八枚数えておこうと思いまして…」
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