3・11
2015-03-10 | 日記
3・11
4年前の3月11日、東日本大震災が発生した。
その日、私は自宅にいた。あの地震で津波が発生し、大勢の人が亡くなった。
世の中、何があっても不思議はないのだと実感した。あれから四年が過ぎた。
当時、人の死を目の前で体験した人たちのことを思うと、本当につらい気持ちになる。
だが、彼ら、彼女らは真の意味で無常観を体験したのだと思うと少し安心する。
現代人の多くは現実の「死」を知らない。
わたしが知っている「死」はいくつかある。
子どものころ、隣の家の赤ちゃんが病気で亡くなったこと。
中学生の時、同級生が交通事故で亡くなったこと。
大学生の時、祖母が老衰で亡くなり、親友が首をつって自殺したこと。
社会人になってから、父が病気で亡くなったり、親戚が病気で亡くなったりしたこと。
それ以外の「死」を見たことがない。
人の死に接していつも、その意味を考える。これは大事なことだと思う。
人の死は自らの生命の大切さを自覚させる。
私の親友が自殺の時、彼の兄弟が来て、わたしたちに言った言葉は忘れられない。
「私の弟の分も生きてほしい」。それが今も私を支えている。
東日本大震災の体験者は人の「死」を体験したのだ。彼らは本当の意味で「生」の反対に位置するものを知っている。彼らは普通以上に強くなっているはずだと思う。
若者たちに力強く生きてほしいと期待する。
そんな一日だ。
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