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"跡" を 辿って。

吉岡駅 跡 | 仙台鉄道

2015-06-05 15:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 吉岡駅 ( 宮城県黒川郡大和町吉岡車東16-8 )



吉岡駅 跡は 現在 宮城交通 吉岡営業所( 案内所 )として使われている。 駅跡に隣接して東側には、これまた例外なく タバコ屋 が現存、吉正商店 がある。







吉岡宿エンドーチェーン
ここから北へ伸びる坂を登ると、奥州街道・吉岡宿 の宿場町へ出る。坂の頂上 交差点のすぐ右手には 本陣跡( セブンイレブン大和吉岡店 跡、宮城県黒川郡大和町吉岡上町31-1 )があり、またさらに北上すると エンドーチェーン 創業の地 ( 児玉金兵衛商店、大和町上町41、南隣。【 参考 】 )がある。また、同じく 児玉金兵衛商店 北隣には近年の歴史小説で脚光を浴びた 穀田屋 ( 大和町吉岡上町42 )がある。







城下町宿場町 として 大いに賑わった地・吉岡 は、伊達家 直系の 初代 城主下草古城 末代城主 に同じ )を失うと次第に勢いを無くし経済活動も停滞して貧困に覆われそうになっていた。江戸時代のおそらく中期頃だ。 そんな折、智慧を絞って仲間を募り金を集めて、財政状況の苦しい藩に交渉してその金を貸付け、受け取った利子を 宿場 の 皆に分配するという篤志を行った者がいた。 吉岡城(大手口)東側の奥州街道筋に店を構える造り酒屋の店主、穀田屋十三郎 である。彼の偉業は、歴史家・磯田道史 による人物評伝 『 無私の日本人 』(文藝春秋社刊)に まとめられている。







( 現在の穀田屋さん。 全くの余談だが 現在の 穀田屋 は 酒造店というより、酒販店ように見受けられる、ま、どうでもいいことなのだが。)





新着情報 2015.07 】

なんと! この、穀田屋十三郎 の話が、映画化されるらしい。 『 殿、利息でござる 』?というタイトルらしい。
主演・穀田屋十三郎 : 阿部サダヲ、現大和町長の祖先役に : 妻夫木聡 、瑛太も出演するらしい。 また、伊達藩の殿様役には宮城が生んだ金メダリスト・羽生結弦 が抜擢された、乞うご期待!


【 追記 1 】
2016年5月13日、1ch - TBS系で、「 殿、利息でござる 」の PR 番組が放映された。その中で、現在の大和町の生産量 No.1 である 蕎麦粉 が紹介され、大和町内の蕎麦店の代表としてなのか、映画主演の 阿部サダヲ と 司会の 安住紳一郎 アナ が、( セキュリティー上の事情からかな )「 手打そば おさだ 」に立ち寄っていた。 次週の同店の繁盛ぶりは、別途参照頂きたい。


【 追記 2 】
それから 2016年6月9日、NHK BS の 人気番組『 日本縦断 こころ旅 』の 540日目、宮城県大郷町 を 訪ねる回の放送で、主演の 火野正平 さんらは、仙台市泉区泉中央にある 七北田公園 を出発、宮城交通 の 路線バスに乗り込み 黒川郡大和町吉岡上町とうちゃこ。 降車場前にある 吉岡宿 本陣跡 ( 下記写真参照 )から 自転車の旅をスタートさせている。 正平さんの愛車・チャリ男に乗り込む彼の傍らには現在絶賛ロードショー中の 映画『 殿、利息でござる。』の 幟が しっかりとはためいていた。














吉岡城下(大手付近)にあった旧家。素敵な佇まいである。吉岡は、側(ガワ)を商店へと改装しながら生きながらえて来たような家が多く、側を外すと旧家の趣が今尚多く残っていると感じる。 それだけ歴史を大切にして来た街、なのだなぁ。








吉岡宿 本陣跡 には昔、往時を彷彿とさせるたいそうな屋敷があったらしいのだが、平成になって セブンイレブンに転換し最近その跡地を 観光案内所 にしたらしい、素晴らしい取り組みだ。 また、黒川郡大和町の史跡を見ると、今迄放置されていた史跡の跡にキチンと看板が立てられるようになったのだとか。 たくさんの方に是非、いろいろ探索して貰いたいとの事だ。


……








線路はページトップ写真の 左手から右手へと下り、陸上自衛隊大和駐屯地の西側を舐めて 大童駅 へ向かう。 Google Earth で 見ると、保福寺 北西の に、線路 跡 が見える! また、妙勝寺 西側の畑の列や、吉岡南団地 以外の戸建の向きを見るていると、ぼんやり 線路 跡 が浮かび上がって来る気がする。



尚、前述の 保福寺(宮城県黒川郡大和町吉田字一ノ坂28)だが、吉岡城 の 末代城主・但木土佐成正 ( 1818〜1869 )が眠る。 彼は、伊達家家臣としての位は高くないが、涌谷伊達家 9代当主・伊達村常 の孫 であり、戊辰戦争 における 奥州列藩同盟 の立役者として有名だ。 NHKの大河ドラマ『 八重の桜 』にも登場し、歌舞伎役者の 7代目 嵐芳三郎 が演じた。 賊軍としての悲しい末路ではあったが。

 

 




  雲水の行衛はいつこ 武蔵野のたた吹く風に まかせたらなん   〈 七峯樵夫 〉



 
 

辞世の句にある 雅号は、大和町のシンボル・七つ森 の、木こり と読み取れる。 尚、七つ森 についての解説は、この記事のコラム が 詳しいので参照されたし。








【 追記 2018.06.18 】

但木土佐 150回忌追悼式開催

2018年 6月 17日( 日曜日 )宮城県大和町吉岡の 保福寺 で、但木土佐 の 150回忌追悼式が営まれた。但木家の家臣の子孫らで構する「 土佐会 」会員や地元関係者
らが出席した。( 後略 )





あの、元検事総長の 但木敬一さん( 74 )が但木家を代表して挨拶したと言うから、子孫なんですね、すごい。
保福寺の境内には、業績を記した顕彰板が設置されたそうなので、ぜひ一見を。




▪️ 参考文献
〈 『 無私の日本人 』書評 〉



#但木土佐成政 #吉岡城 #城主 #保福寺 

#エンドーチェーン

#殿利息でござる #穀田屋十三郎 #阿部サダヲ #安住紳一郎 

#日本縦断こころ旅 #とうちゃこ #火野正平




富谷駅・志戸田駅 跡 | 仙台鉄道

2015-06-01 15:00:00 | 鉄道跡・廃線

仙台鉄道 富谷駅 ( 宮城県黒川郡大和町小野金山 )


あの 農協の倉庫 付近が 富谷駅 跡だ。ここにも例外なく隣に タバコ屋 ( 商店 ) がある。( 廃業してるようだけど。)



大和町 宮床 地区と富谷町の中心部( 富谷町富谷 )の 中間に立地。奥州街道の 富谷宿 までは、欝蒼とした寂しい山道を暫く進むことになる。当時は 乗合馬車 が運行していた。街道との合流地点、 富谷町仏所 交差点辺りは昭和後期まで、富谷 と 宮床 を結ぶこの道があったことすら疑わしい様子だった。現在の ひより台 団地 はもちろん無いし 西友富谷店( 旧 エンドーチェーン 富谷店 )も無い。加藤石材 を角に国道 4号線は 富谷つばさ保育園・熊野神社 方向へカーブしていた。富谷医院 前の 一帯は田畑や荒地で、山の麓には大きな旧家があり、夜ともなれば真っ暗な闇の中にその家の小さな灯りがぽつんと灯るくらいだったそうだ。ちなみに 宿場町 を通る 旧街道 は 仏所 よりさらに手前の「 富谷町一枚沖 」交差点で右に折れる。



富谷駅を出ると線路は、この集落( 小野向原 )東端の民家裏手の農道に沿って進む。途中、小野樋田 集落を掠めて田圃内を通り、宮床川 を越えて 富谷町ニノ関 地区を貫通し 志戸田 へ入った。








仙台鉄道 志戸田駅 ( 宮城県黒川郡も富谷町志戸田野田1 )



国道 4号線、宮城交通 志戸田 バス停脇の 佐藤千枝子商店 が 駅前のタバコ屋(商店)。現在は面影すらないが、この斜め奥の畑辺りに 志戸田駅 はあった。陸前大沢駅 以来の 街道縁 である。



志戸田駅からは側道沿いを進んで 鳴瀬川水系 吉田川 を渡る。国道 4号線に架かる 高田橋 より西側に、橋脚跡 が残っていた。写真は北岸のもの。この後、大和警察署、大和消防署、公立黒川病院辺りを通過して 吉岡駅 に到着する。途中の 洞堀川 はきれいに護岸工事されており、橋脚跡は皆無。














(追記 2022.05)近年水害が多すぎて、高田橋周辺の吉田川改修工事が行われているらしく、偶然、両岸の橋脚の台座が露わになっていたのを発見。見やすい貴重な場面を激写した。 北側から南側を撮影。。。








陸前大沢駅・黒川小野駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-25 17:00:21 | 鉄道跡・廃線



仙台鉄道 陸前大沢駅 ( 宮城県仙台市泉区大沢2丁目1-1 )



山の寺駅 から国道 4号線沿いを北上、 GS ENEOS Dr.Drive セルフ 泉インター店辺りが 陸前大沢駅 だ。駅前のタバコ屋 は 那須野商店、現在の ローソン仙台泉インター店 である。 途中、現 ガーデンオート泉インター店 裏手の 要害川 岸に 橋脚の遺構 があるらしいので、機会に恵まれる交通状況の折には確かめてみたい。



陸前大沢駅から線路は左にカーブして、泉ヶ丘小学校 前を経由し、工業団地造成で往時の見る影も無くなりつつありながら、まだ若干残る 旧道 に沿い、黒川小野駅 へと至る。( 写真は、泉ヶ丘・富ヶ丘団地 裏、造成された工業団地を抜けて 大和町 小野 地区 に入ったばかりの所にある竹林川に架かる 仙台鉄道の 橋の跡。港北出版印刷の北西 )












仙台鉄道 黒川小野駅 ( 宮城県黒川郡大和町小野新道 )



なぜ、路線は 奥州街道 沿いを通らず、山奥へ分入ったのだろう。



黒川小野駅 跡 の周辺を見回すと、山合いの盆地に長閑な田園が広がり、立派な蔵のある 大きな農家 が 多く残っていることに気づく。



今でこそ黒川郡大和町小野と言う地名だが、1955年(昭和 30年)に 大和町 として 合併 するまでは、伊達家の分家 が 治めた 由緒正しい 宮床村 の、集落のひとつだった。 年貢のたっぷり納まる豊かな地域だからこそ と知ると納得がいく。 一方、奥州街道における 仙台市泉区 と 黒川郡富谷町 の境(大清水)は長く急な坂を登り下りせねばならず、昭和に入っても尚、山賊 が出るとの噂があったほどの、かなりの 難所 でもあったらしい。







線路はここでも 旧道 に沿って敷かれていた。開発が進み、小野 の駅前に タバコ屋 の気配はもうない。角にある 現美容院 がその跡かな?



仙台鉄道の駅跡は、宮城交通の営業所 に使われたり、 農協の倉庫 が 置かれていることも多い。農産物の物流はもちろん、木材や石炭・亜炭などの燃料輸送にも一役買っていたかららしい。



ちなみに、仙台駅 から 大和町 小野宮床 を経由して 大和町吉岡 までを結ぶ路線が、暫く前まで 宮城交通バス に引き継がれ、運行されていた







駅舎向かいの、 大和町宮床小学校・小野分校 跡。少し前までは遊具もあった気が。現在の 大和町立小野小学校 は近くの新しい団地( 杜のまちもみじケ丘日吉台 )内の中に、再配置されている。往時とは逆の、比較的マンモス校だ。



さて、黒川小野駅 を出た線路は現役の道路に沿って北上し、荒井公民館( 大和町小野荒井121-1 ) 手前から右手の農道に入り、竹林川 を越えて 富谷駅 へと進んだ。橋脚跡 を探してみたが、農地改良等が進んでおり見つけられ無かった。



話は変わるが、アララギ派の歌人・ 原阿佐緒 は、黒川小野駅 跡 から西にひと山越えた、宮床村 の 中央部の集落に、伊達家御用達の 豪商の娘 として生まれた( 昔はこの峠は越せなかったと思われる )。あの有名な、 石原純 との逃避行 にも、この鉄道は利用されたらしい。当時の交通網から、下車はおそらく次の 富谷駅 と言う気はするけれども。




七北田駅・山ノ寺駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-20 17:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 七北田駅 ( 仙台市泉区市名坂万吉前12 )



仙台鉄道 は 八乙女駅 を出ると、七北田川 を渡り、石留神社 東側から 宮城県警交通機動隊警ら隊旧運転免許センター( 運転免許試験場 ) 跡地 である 仙台市立市名坂小学校( 2004年 4月に七北田小学校 から分離して開校 )の 西側を通って、コーポ七北田 北側の 七北田駅 に到着する。



仙台鉄道の 駅前に必ずある タバコ屋 と同じく必ずあるのが 農協などの大きめの倉庫 だ。ここでは、一ノ蔵酒類販売(株)地酒のリエゾン 敷地内にある倉庫が、それであるように感じる。




七北田 の 村には 1601年 の 仙台開府 以後、宿場町 が置かれた。七北田宿 は、仙台輪中( 城下町 )から北へ下って ひとつ目の宿場町だ。 これら宿場が整備されることにより 奥州のメインストリート は、太白区郡山から 多賀城 へと通じるものでなく、旧国道4号線であるこの通りを指すようになる。


七北田駅 は、この宿場町の外れに設置された。 本陣 はじめ 旧家 の多いメインストリート沿いをもくもくと煙を上げて軽便が堂々通り過ぎる筈はない。駅では、木材などの上げ下ろしが行われたものか、確か近隣に材木問屋があった気がする。 因みに、七北田宿の次の宿場町は、富谷宿 その次は実話を元にした 映画『 殿、利息でござる。』 の舞台・吉岡宿 である。


今でこそ 仙台市営地下鉄南北線 泉中央駅 周辺は、仙台の副都心 であるかのような様相を呈しているが、軽便が通っていた頃は田畑のみしかない 七北田村 の 隣村との境目みたいな場所で、真っ直ぐな道路なんて殆ど無かった。 平地は田畑、少し高まりになっているところは民家で、それらを繋ぐ道はいわゆる 生活道路。くねくね、ご近所とのやりとりの都合や農作業の都合で、曲がりくねっている。 今でも、泉中央 地域の古来からある区画に入ってしまうと、予想もしない場所に連れて行かれ、出て来れなくなるので注意したい(笑)。


さて、泉中央駅 から西北、泉パークタウン街区の境、将監団地10丁目にある中堅進学校・宮城県泉高等学校 だが、昭和の時代、遠くからここに通う生徒は 七北田バス停 を利用した。仙台-古川(大崎市)間を運行する 急行バス も、ここに停車し、たくさんの学生や市民を運んだ。







仙台鉄道 山の寺駅 ( 仙台市泉区大沢2丁目1-4 )



ゆるやかに右カーブする現存道路はまさに 線路 跡、やがて国道 4号線と交わる。その後 蛇行を繰り返す様から暴れ川だったことが窺える 要害川 と幾度か交差して 山の寺 洞雲寺 入口に来ると、そこが 山の寺駅 だ。



ここには古くからバス停があった。「 山の寺向陽台 」、仙台-古川間を結ぶ急行バスも停車する要所的バス停だった。 利用者は決して多くないので何故ここに急行が停車するのか不思議に思っていたが、この駅があった 慣例 によるものだろうと納得がいった。



尚、山の寺 洞雲寺 は、日本三山寺( 滋賀大津の 石山寺、山形の 立石寺 )のひとつ。 1338年(暦応元年)開山、1518年(永正15)鋳造で 県内最古青銅鐘 がある。 1943年(昭和18)仙台鉄道 の排煙から山火事が発生し、寺院は 全焼、鉄筋コンクリートで再建されるも 2011年(平成23)3月11日に発生した 東日本大震災 の 揺れ により建物は 全壊 した。 現在は解体され更地となっており、周囲に点在した 岩谷窟 も 崩落の危険があって近寄れない状態という。



ページトップのストリートビューは、七北田駅を出た線路の、国道 4号線との合流地点。






▪️ 参考資料
〈 当時から利用されていた倉庫の残る七北田駅前 跡 〉
〈 七北田駅~山ノ寺駅 〉

東照宮前駅・八乙女駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-15 17:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 東照宮前駅 ( 仙台市青葉区宮町5丁目3-10付近 )



始発の 北仙台駅 を 出た 仙台鉄道 は、現在の ロイヤルホスト 北側を通って 仙山線 に平行しつつ 市立 上杉山中学校 東角へカーブし、宮城教育大学付属中学校 裏を通る 現存道路を進んで(一部一方通行有) 東照宮前前駅 に 到着する。



JR と 仙台鉄道 が接するのは、始発の 北仙台駅東照宮前駅 と 終点の 中新田駅 のみ だか、何故、始発から 2駅目のここも JR と接することになったのだろうか、現代発想で考えると至極不自然な気がする。



これはあくまで想像なのだが、その理由は 東照宮門前町である 宮町( 仙台市青葉区宮町 ) にあったのではないだろうか。



門前町エンドーチェーン
宮町 は、仙台城 造営当時の 城下町 の 町割りに入らなかった町だそうだ。葛西・大崎一揆制圧後、伊達政宗 と 徳川家康 が宿陣した場所に、のちに 徳川家 の許可を得て 東照宮 を 造営。次第に 門前 に町が形成されていった。この通りは、大年寺 まで直線的に続いており、東照宮からの眺めも素晴らしかったらしい。仙台城下中心部には、大町 という 由緒正しき商店街があるが、宮町 は一層庶民的な町として定着したのではないだろうか。沿線の町村からは 東照宮 への 参拝客 だけでなく、宮町 への 買い物客 も たくさんいただろう。東北初のスーパーマーケットエンドーチェーン 」の初出店もここ、宮町 4丁目( 6-21、1962年。【 参考 】 )だった。



東照宮前駅 を出るとそのまま一方通行の細道を道なりに北上し、市立小松島小学校 西側を舐め、交差点を直進した辺りで軌道跡は住宅地に消える。全国的に有名な 東北高校 の 西側で再び現れると、仙台市営地下鉄・旭ヶ丘駅 に合流、台原森林公園 の 黒松入口 に出る。そこから 奥州街道 と並んで走り、八乙女駅 に到着する。






仙台鉄道 八乙女駅 ( 仙台市泉区八乙女中央3丁目8 )



仙台鉄道 八乙女駅 の 駅舎は、仙台市営地下鉄・八乙女駅 北東にある マンション・プラウド八乙女中央 の 東に隣接する駐車場辺りにあった。駅前のタバコ屋 は、及川商店(仙台市泉区八乙女1丁目5-1 )。現在は リバーサイドヒル及川 と言うビルになっており、1F で 営業する ファミリーマート八乙女駅前店 が その名残を感じさせている。



ページトップのストリートビューは、JR 仙山線と立体交差する仙台鉄道の軌道跡。( 東照宮前駅-八乙女駅間 )