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"跡" を 辿って。

岩出山城 ・旧有備館 | 伊達氏(・大崎氏家臣 )の居城

2021-10-01 13:00:00 | 城館跡等




宮城県大崎市岩出山町城山・二ノ構・上川原町 


別名      臥牛城、岩手沢城、岩出山要害  
築城・廃城年  1394?~1868年(明治維新) 
主な城主    氏家氏、伊達氏 



近隣河川    江合川 
最寄街道    仙台〜吉岡〜中新田〜岩出山〜鳴子〜山形・最上 

 
構成      本丸・二の丸? 
主な遺構    土塁、空堀、堀切、石垣、虎口、曲輪など 
井戸跡     当然あると思うが不明  




大崎氏家臣・氏家氏が代々守ってきた山城として室町時代に造られ、永く 岩出山伊達家 によって明治維新まで守られて来た。北は断崖南は深い森林、東北に街と田畑が開ける立地である。街は相当大きく、メインストリートの鍵型は大きく入口と出口に2回と半分ぐらいある。昭和の時代はさほど感じなかったのだが、平成・令和になるとその街場・中心街の大きさ・経済の発展状況は(江戸末期あたりでは)仙台の次ぐらいだったのではとも想像できそうなくらいだ。








氏家氏は、大崎氏の源流である斯波氏( 足利氏傍流 )の家人で、越中・富山が発祥とされている。富山から美濃・陸奥(宮城・大崎、一部最上)・下野の3方向に分かれた。陸奥氏家氏がはじめて文書に著れるのは、留守文書による「宮城郡余目郷内」での氏家房十郎や、玉造封内風土記には氏家弾正(最上)の活躍、観蹟聞老志の「この名、旧名を岩手澤と云う。大崎家臣氏家弾正なる者の居館なり」と出現は通常程度であるが、岩出山に氏家氏が初めて入ったのは 1394年(応永年間・1394〜1427年頃だろう。南北朝を統一した3代将軍・足利義満が次代に将軍職を譲渡した)と言われている時分なので相当古いっちゃ古い。氏家直益 初代城主説については 1500年代初頭であろう、改めて整備・竣工したといういわば陸奥氏家氏・中興の祖の意味的な表れと考えた方が良さそうかな。そりゃそうだ、大崎氏が東北に初めて入ったのは中新田、その至近の岩出山だ。一方、大崎氏は中新田に入ってまもなくして玉造・栗原・志田・遠田を支配していき、そうして人々の流れも奥大道の行程も大きく変化した。そりゃ当然、古川方面という、交通と産業の良い方へ移りたくなってきたくなるものだ。










さてここから中新田のサポート・有事に最上へ逃れるための基地でもあった岩出山(岩手沢城)は、激動の時代を迎える。




1534年(天文3)、大崎氏家臣のひとりである新田(新井田)安芸 頼遠 が主君を相手に反乱を起こす。新田は志田郡泉沢の領主で、単独ではなく諸氏を巻き込んで蜂起、氏家氏・古川氏・一迫氏など多くの勢力を味方につけた。困った 大崎義直伊達稙宗 に援軍を願い入れると、黒川氏 が応援に駆け付け、古川城滅亡・氏家氏と高泉氏を降伏させて 1536年(天文5)にこの内乱を鎮めた。その際、岩手沢城( 岩出山 )は反乱軍の最後の拠点となり、新田ら3,000人が籠城して長期戦になったとも言われる。数ヵ月に及んだ反乱は新田が出羽に落ち延びて終幕したらしく、氏家直益は(三丁目城に?)隠居、温情なのか 岩手沢城 は嫡子の 隆継 に引き継がれた。





一方、1542年(天文11)伊達家にて 天文の乱 が起こると、元々の斯波氏系列の大崎氏・黒川氏は、伊達家ととっくに親戚関係となっていたものの、稙宗派についた宮城北部沿岸地域を治める 葛西氏 とともに 大崎氏 は当主の座を奪われてしまった。(黒川氏だけは前後の文脈から首の皮ひとつで難を逃れていた)氏家氏はその後、伊達家への連絡窓口となるべく懐柔されているのである。







そんな中、奥州探題の名誉の光僅かになんとか生き延びているような大崎氏ではあったが、またもやすぐに家中に内乱が生じる。世代は違うが再びの元凶が新田(新井田)氏だというのはちょっと有名だ。大崎義隆の寵愛を巡る 新田刑部 の謀略に関して、氏家吉継(隆継の後継)が伊達家へ救援を申し出たのである。




氏家吉継のフライングのような格好で求めたスタートで大崎家を置き去りにしたような感は否めないが、伊達家は前例もあるのでと家臣の 留守氏・泉田重光らに新井田の反乱鎮圧出兵を命じた。一方、置いてけぼりの 大崎義隆 は 中新田城を拠点として、どういう訳か籠城戦を展開することにしており、何をそんな意固地な、勝ち目があると思ってるのか?という状態。なぜなら中新田を選んだのは、いわばチクった氏家吉継の本拠・岩出山を背にして伊達軍を迎え撃つ格好。それなのに、挟み討ちにならない確証があったのか? もしかして岩出山をあわよくば分捕っちゃおう的な用意すらあったのかという状況のようにも思えて、あるはずのない自信に驚愕してしまうんですよね。





まあ結果は、黒川氏が寝返って大崎氏を勝たせてしまったような不思議な結末となりました。さらに時は下って 1590年(天正18)には 葛西・大崎一揆 が生じ、小田原征伐のあと腐れも重なって、伊達家16代当主となっていた 伊達政宗 が全てを失って岩出山に入ることになるのでありました。





1589年(天正17)蘆名氏の会津へ侵攻し摺上原の戦いに勝利していた 伊達政宗 は、黒川城(会津若松・鶴ヶ城)をGETして喜びに浸るのも束の間、( 惣無事令違反 )奥州仕置(1590年)により、まもなく会津を没収され、葛西・大崎一揆の始末、小田原征伐だのなんのかんのと盛り沢山に理由をつけられ返す言葉もなく本拠の米沢も取り上げられて奈落の底の気分がはたまた怒り心頭云々か、抗うことも出来ずに渋々家臣皆引き連れて 岩手沢城( 岩出山 )へ入らことになったのだった。




どんな行列がどれほどでやって来たのだろうか…。城の南側を流れる川沿い(蛭沢川)の桜並木等は当時あったのか無かったのか。米沢より広く米もたくさん取れて当時今よりも豊かな街だったかもしれない、家臣たちは景色を見て胸膨らませたろうか。一方終始苦虫を噛み潰した表情であったろう政宗は、入城記念の宴席に葛西・大崎一揆で不手際の原因となった近隣を治める武将・長江月艦斎(勝景)や 黒川月舟斎(晴氏)らを招いていたのだが、案の定彼等は顔すら見せず政宗の怒りにさらなる拍車をかけた。




この後政宗は、翌年の1592年(文禄元)ここ岩出山で正月を迎え、3月には朝鮮出兵の一軍として九州へ出軍する。1603年(慶長3)に 仙台・青葉城 が竣工するとすぐさま移転( 四男・宗泰 に譲渡 )、そりゃそうだろうという殆ど不在の12年間、本拠ではあったのだった。





( 【 余談1 】、朝鮮出兵に関しては、政宗が持参した 仙台味噌 が他藩と違って変質せず味も優れているとして、全国的に有名になったのは皆さんご存知ですね。







【 余談2 】、葛西・大崎一揆 の鎮圧に際しては、下草古城事件 に詳しいが、蒲生氏郷 は黒川城( 会津鶴ヶ城 )を貰っている武将、政宗は尚更地団駄を踏む思いだったに違いない。)







伊達宗泰を初代とする 岩出山伊達家 は、14,600石でこの地を明治維新まで治めた。室町〜明治まで城の縄張りは何十回何百回も改められたに違いない、現在の城山公園には様々な遺構表示が残るが、どの時代のものか通しで使われていたものなのかはもちろん定かではない。城山公園自体も、岩出山高校・小学校用地に大規模に使われているのは、明治維新・廃藩置県の風潮が色濃く現れたためだが故の意味を継いで来たものと思う。岩出山伊達家は、明治維新後は他藩と同様に、北海道移民の道を選び、家中は第3陣に分けて北の大地へ渡って行ったようです。









城下を流れる内川、白石城下も彷彿とするような佇まいだ。この川は政宗によって引かれたそうで、藩校跡・旧有備館の池に満々と水を供給している他、堀の役目もさせていたような配置となっている。( 源流が人工池のような地図表示になっているが、それにしては水量が豊富な気がして謎?!ではある )水の街のイメージは、河原に立つ造り酒屋もそれを引き立たせている。( 森民酒造店









旧有備館は、国指定の史跡に指定されている岩出山伊達家の学問所跡というが、昔からいつ来ても懐かしい先祖代々引き継がれた祖父祖母の家のような佇まいがあって、住んでみたいような気にさせられていた。今回年表をマジマジと見てやはりと合点がいった。岩出山伊達家2代( 宗泰後継・宗敏 )の隠居する居所として設けられたのが最初という。(1677年・延宝3)








岩出山城北壁の断崖を正面の借景としているらしい、池と木々とが絶妙なバランスで折り重なり、川から導入されている池の水のせせらぎがなんとも心を和ませる素晴らしい造りだ。(庭の造園は1715年・正徳5) これを現代まで守り伝え、2011年3月11日の東日本大震災の物凄い揺れで倒壊してなお復元させた旧岩出山町・現大崎市に敬意を表したい。( 岩出山伊達家から市に寄贈されたのは、1970年・昭和45、国史跡名勝指定は1933年・昭和8 ) 仙台・青葉城から移って来たという伊達政宗像( 小野田セメント贈・1962年・昭和37 )には、これからもしっかりとこの地・街と田畑まるごとを見守って欲しいものである。


 




登場文献    『 留守文書 』、『 玉造封内風土記 』など


解説設備    遺構表示所々有り
整備状況    公園、学校敷地など


発掘調査    不明








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