長野県にお住まいの親戚のご主人が約10日間の入院から無事退院された。けっこう大がかりな手術だったようだが、コロナ禍のなかお見舞いには行けず、退院御祝と称して手紙を書いた。
退院されたことが本人はもとより、ご家族にとっても喜びはひとしおだと思う。だからその手紙は頭から「この度はご退院おめでとうございます」と書いて、私の嬉しさを前面に出した。そして、本人はもとより、ご家族の心配や苦労もさぞかしだっただろうという内容を添え、その大変さをねぎらった。
そして今日は別便でいちごを送ることにした。いろいろ何にしようか考えたが、地元の特産である「とちおとめ」が人気があるし、味も上品で美味しい。私が好きな品種だということも決定打の一因になっている。片道一時間近くのドライブ気分で出かけてみる。
いちごは今が旬。赤くて、その味は初恋のように甘く、私の好物のひとつである。初めていちごというものを意識したのは学生時代の静岡の石垣いちごだった。何べんかその地を訪ねたが、まだ当時は今のように味も品種もごく限られたものであったが、とにかく美味しさだけは素直に受け入れたことを覚えている。りんごやみかんが主流の時代で、高級果物といえばバナナとこのいちごくらいだったような気がする。そのくせ西瓜などはあまり高級品と感じることなく、夏にはしょっちゅう食べていた。家のまわりが畑だらけのド田舎ということも左右していたのだろう。
その頃はいちごがまさかバラ科に属するということはとんと知らなかった。ましてや多年草であり、野菜として扱われることもあるなどということはまるっきりの未知の世界。ビタミンCを多く含む果物だが、その「いちご」という語源ははっきりしないようだ。が、いちごのわが国の歴史を調べてみると意外と古い。西暦900年代には「以知古」という名でいくつかの書物には登場しているが、それは野いちご全般の呼称であったようだ。
近年のいちごの元となっているオランダイチゴは、江戸時代(1800年代)にオランダから入ってきて、本格的に栽培が開始されたのは明治5年とのこと。つまり来年が、わが国でのいちご栽培150周年ということになる。
いちごは栃木県が全国一の収穫量だという。主要品種は「とちおとめ」。20数年前に品種改良によって育成された品種で、現在ではその栃木県の生産の約9割を占め、全国的にももっとも多く栽培されている品種である。大きめな粒で、赤の鮮やかさやジューシーな味は多くのファンに知られているが、日持ちが比較的よいというのは案外知られていない。
いちごは漢字では、草冠に母と書く。つまり「苺」の文字だが、まことに的を得た感があり嬉しい。もっとこの字をいろんなケースで使ってほしいと思う。母親の味と香りと優しさを感じる食べ物なのだから。
「つれづれ(4)新鮮なイチゴを送りにドライブ気分で」