よく晴れた、風のない朝。
時計の針は9時をとっくに過ぎている。どのくらい見ているだろう。
土曜日だから人も車もほとんど姿をみせない。あるのは決して減ることのない、空気のごちそうだけだ。こうしてたまにはヒマ人になるのもいいものだと勝手に思う。
水仙の黄を見ていると、色って不思議だな。黄色ってやっぱり好きな色なんだとあらためて思う。黄から受けるイメージは人それぞれだとは思うけど、やはり真っ先に思うのは若い女性の服だろうか。
昔は黄色の服が好きだった。自分では着ることはできないから、一種のあこがれだったのだろう。どこか躍動的で、それでいて気品があって、若々しさが溢れた色だなと思う。赤やピンクやブルーも、黄のもつチカラにはかなわないものがある。
もしこの世に黄色という存在がなかったら、「なんだかね~」と怖くなってくる。目の前のあたたかみや、躍動感が遠くへ行ってしまう気がする。
これら水仙はヒガンバナ科で地中海沿岸の原産地から中国を経由して日本にお嫁に来たらしい。今ではわが国の暮らしの中に、清楚な姿で冬枯れ庭に彩りを与えてくれる。関東人には下田爪木崎(自生で日本ズイセン)、をくずれ水仙郷が特に有名だ。
寒さに十分当たらないと花が咲かないし、日当たりの好きなお嫁さん。日当たりが好きなのは私に似ている。いや、それは反対だ。日当たりが好きな私は、まるで水仙と同じだ。
雅客(がかく)は古名。雪中花は日本の俗名で、厳しい寒さに耐え、霜や雪を分けて咲くところから命名。
こんなすてきな名をどこのどなたが付けてくれたのだろうか。会ってお話をその時の昔の人に聞いてみたい気がしてきた。
「季節の花(1)冬枯れの庭に咲く清楚な姿水仙」