一昨日、この冬三度目の白鳥を見に行った。住宅街のど真ん中でありながら、よくもまあこんな所に数えきれないほどの白鳥がいるものだなと来るたびに思う。真っ昼間だったので、その飛び姿を見ることはできなかったが、幸いにして黒白鳥を二羽見られたことはラッキーだった。目のあたりでたくさんの鴨たちと遊ぶ姿はなんとも微笑ましい。餌を与えないでくださいという立て札があるものの、どなたかがきっとしょっちゅう餌を与えているのだろう。
一昨日、一緒に行ったメンバーも、たとえかわいそうだという思いは心の隅にはあったとしても、誰一人マナー違反は出ないと確信していた。
そういえば先月下旬に二度目の白鳥を見に行った時のこと。夕刻しかも日没前だったので彼らの帰還する姿を目のあたりにして、しみじみと今の季節ならではの風情を楽しませてもらった。
思えば5年前の冬はこの地をはじめとして計7回も白鳥たちと出会っている。水面に着陸するところを何度も目にし、白い鳥たちの習性を観察という形で興味深く見つめた。
白鳥はなかなか頭がいいといつも思う。彼らは決して深い沼や川には近づかない。釣人が糸や針を置きざりにし、それによって自らの命を絶やすことをちゃんと知っているからだ。朝からどこかへ遊びに行っても日没前には迷わずわが家である自分の沼などに帰ってくる。釣糸のない浅い沼などに住み家を構え、その長い首で餌を漁る。生きる手段をしっかりと心得ている。
わが町から白鳥を見ることのできる日帰りの地はおよそ5ヶ所あるが、そのどこもが冬は白鳥がいるよという宣伝をおおっぴらにはしていない。行政や観光協会などの聞くところによると、直接収入に繋がらないこともあるらしいが、何といっても一番の理由は地元の人たち、特に農家の人々が宣伝に反対をされているようだ。言われてみれば納得できる。
雑食の白鳥は農産物なども食い荒らすとのこと。大切に育てた野菜や苗などを食べられたらと考えると、他人事とは思えなくなる。それなら農家などが反対するのは当然かもしれない。それでかどこの白鳥の地にも「餌を与えないでください」と看板を掲げている。
そうはいっても、やっぱり白鳥は可愛い。
見るたびにいつもそう思う。
「つれづれ(181)冬の風物詩、白鳥の歌が聴こえますか」
白鳥の歌が聴こえますか
人は悲しみ 多いほど
誰にもやさしくなれそうで
心が晴れたら 空に舞う
アアー聴こえますか
もてなすものなどないけれど
白鳥の歌が聴こえますか
吉岡治 作詞 市川昭介 作曲 武山あきよ 歌