ここのところ寒い日が続いている。わが町の最高気温は、今日は5度。昨日は9度であった。これからも寒さは続くと思うと、先が思いやられる。布団から出るのもますますおっくうになってくる。
そんななか、今日ふと「寒い朝」というメロディーがなんとはなしに口に出ていた。なつかしい曲だなと思いながら。
寒い朝
北風吹きぬく 寒い朝も
心ひとつで 暖かくなる
清らかに咲いた・・・
佐伯孝夫 作詞、吉田正 作曲、吉永小百合 マヒナスターズ 歌
この歌は昭和37年4月下旬発売で、吉永小百合のデビュー曲であった。そしてこの歌で彼女は紅白歌合戦に初出場したのである。
しかしこの歌は発売してすぐ爆発的に売れたわけではない。多少はヒットしたが、不思議なことにその年の夏から秋へ、そして翌年へ▪▪▪。さらに数年後へとじわじわと名曲の道を歩み始めたのである。
なぜ当初からの爆発性が薄かったのかを私なりに考察してみた。それには2つの原因があると思う。
まず第1は彼女のその頃の人気度である。たしか10歳で芸能界デビューを果たし、17歳といえば日本を代表する青春スターの座をすでに確保し、映画界トップの座を占めていた。当時のその忙しさは半端ではなく、とてもテレビや舞台で歌う余裕はほぼ皆無に近かったのである。年に何本もの撮影に追われ、一般の人に歌を知られることがきわめて少なかったのである。
その2に、当時の歌謡界の状況による。昭和37年といえば歌謡戦国時代といえるほどヒット曲が次から次へとあらわれる。
「哀愁出船」や「星屑の町」がヒットの王座を占めており、「寒い朝」発売後半年間だけでも順を追ってその時のヒット曲を記してみると、「ハイそれまでよ」「若いふたり」「恋は神代の昔から」「遠くへ行きたい」「なみだ船」「霧子のタンゴ」「赤いハンカチ」「下町の太陽」「島育ち」「一週間に十日来い」と次々に新曲が登場する。
まして「遠くへ行きたい」と同じ9月には、橋幸夫さんとのディエット「いつでも夢を」が発売になっている。ヒット乱立の中で、当然人気歌手絶頂の橋幸夫と人気女優絶頂の吉永がデユエットしたので、ビクターはこの歌を必死になって宣伝し、「寒い朝」は結果として陰に隠れた形になってしまった。後で聞いたところによると、お互いに多忙で、この「いつでも夢を」でさえスタジオ録音は別々に吹き込み、後程合成してレコード発売になっていたとのこと。
「童謡唱歌歌謡曲など(22)寒い朝は今でも歌われる名曲だが」