何気に庭の裏にまわってみた。ほおずきや百合は元気で育っているのかなどと考えながら。すると片隅にタンポポがすまして咲いているではないか。あまりのその黄の美しさに、カメラを急いで取りに行き、思いをこめてシャッターを切る。そしてしみじみとタンポポをふたたび見る。
気取ってなくて、愛らしいなと思う。花弁を包む包葉片が反り返っているので、これは外来種の西洋タンポポだとすぐわかる。日本古来のカントウタンポポはもう少し花が小さかったような気がする。蒲公英と漢字で書くのはどういった由来からなのだろうかなどと思ってもみる。
別名つづみぐさというのもしかり。
タンポポは強い花だ。雑草などではないと思う。れっきとした花であるのに、反面その強さのせいか、人々に可愛がられないのは少し寂しい。花とは、か弱さに限るのであろうか。
けれど、思いがけない所に健気に咲いているのはなんとなく親しみを感じる。庭の片隅や土手などは言うまでもなく、線路の脇や道路の端や駐車場の一角に。そういう所で、鮮やかな黄のタンポポが私たちを見ていてくれる。
花言葉はまた逢う日まで、楽しい思い出、神託。わた毛をフーッと飛ばしたことを思えば、なるほどとうなづける。
たった一輪の裏庭に咲いた花でありながら、なぜか幼い頃の豊かな空地を思い出している。
「季節の花(40)タンポポが一輪、庭の片隅にひっそりと」