2020年5月17日(日) 「アッバ、父よ」 牧師 竹前 治
聖書 ルカによる福音書 23章34節
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
愛する皆さま。主のみ名を賛美します。
昨今のコロナ渦において不安や恐れを抱き、希望を失いかけています。また、様々な言葉が飛び交い自分がどこに立てばよいのか分からないような状態にあります。だからこそ、今、自分が立ち続けなければならないところがどこにあるのか「主の祈り」を通して思い巡らしていきたいと願います。
「主の祈り」は4月26日(日)のショート・メッセージで大まかなことは触れました。今回から少し丁寧に聴いて行きたいと思います。
主の祈りは「天にましますわれらの父よ」という祈りから始まります。「天」とは決して空のことではありません。別の言い方をすれば「天の国」であります。でも、どこかにそのような国があるわけではありません。「天の国」とは、神様の愛で支配されているところをいいます。
主イエスは宣教の第一声で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われました。「神の国」これこそ神の愛の支配、「天の国」であります。主イエスが来られたことにより神の支配、「天の国」が近づいた、と言われたのです。
主イエスは十字架におかかりになる直前、ひどく恐れもだえて「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯(十字架)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。「アッバ」とは、子どもが親しく、信頼をこめて「おとうちゃん」と呼ぶ言葉です。主イエスは、さらに十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、―――「お父ちゃん、あなたに背いている人間を赦して、あなたの子としてください」と血を流しつつ苦しいさ中で祈られました。この執り成しの祈りが、私たちが「父よ」と祈ることが出来る原型です。だからこそ私たちは全幅の信頼をこめて、命の創造主であられ生も死も貫いて守り続けてくださる神様に「父よ」と呼ぶことができるのです。
私たちが立ち続け呼び続けなければならないのは、この「天におられる父」なのです。神様は、いつも神様の名である「父よ」と呼び求めることを、私たちに求めておられます。 今このような状況で、私たちは本当に「天におられる父よ」と呼び続けていますでしょうか。
私たちの生も死も貫く神様は、主イエス・キリストにあってこの名を呼び続ける私たちを必ず良き道へと導いてくださる。このことを信じて共に神様の名「父」を呼び続けていきたいと願います。
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