![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/da/c115d428598da6a776c4d5b31535b06c.jpg)
報道等でご存知の方も多いと思いますが昨日、オートバイレーサーの阿部典史さんが川崎市内をバイクで走行中、転回禁止場所でUターンしてきたトラックと衝突、日帰らぬ人となりました。
おそらく彼は、私を含めた一般ライダーの域を越えた危険回避行動をおこなったはずです。
そんな彼をもってしても間に合わなかったのでしょう。
世界最高峰レースのモトGPライダーの公道での訃報はかなりショックでした。
オートレーサーの阿部光雄さんの息子という血筋でアメリカにバイク留学・・・今までの日本人ライダーとはまるで違う経歴で国内レースで活躍、チャンピオンになりました。
その実績を受けて94年の鈴鹿サーキットで行われたモトGPで開催国枠でスポット参戦。
当時、世界のトップライダーであったドゥ-ハン、シュワンツ選手を相手に「優勝か?転倒か?」という無謀ともいえるライディングで上位を激走。
「日本人の年間チャンピオンなんてマンガだけ」と思っていたのが(実はマンガの主人公と同じ56番のゼッケン)この選手なら実現するかも!と手に汗握る展開のレースにブラウン管の前で私は大声を上げて応援していました。
結果は惜しくも転倒。
バイクレースを見て涙が出てきたのは初めてでしたね。
カーボン製ディスクブレーキの甲高い音を響かせ上体をやや反らせた独自のスタイルでコーナーに入っていく姿が忘れられません。
バイクに関わらず「行ってきまーす」と出かけた人が、突然何の前触れも無く二度と会えなくなる・・・・事故って悲しいですね。
また、これは他人事ではなくいつでも自分や身の回りでおこりうる現実であると思い知らされます。
32才。若すぎる・・・・・残念です。
※ 写真は幼馴染のセミプロカメラマン「かわごん」が撮影。
引き伸ばしてくれたものをずっと壁に掛けています。
おそらく彼は、私を含めた一般ライダーの域を越えた危険回避行動をおこなったはずです。
そんな彼をもってしても間に合わなかったのでしょう。
世界最高峰レースのモトGPライダーの公道での訃報はかなりショックでした。
オートレーサーの阿部光雄さんの息子という血筋でアメリカにバイク留学・・・今までの日本人ライダーとはまるで違う経歴で国内レースで活躍、チャンピオンになりました。
その実績を受けて94年の鈴鹿サーキットで行われたモトGPで開催国枠でスポット参戦。
当時、世界のトップライダーであったドゥ-ハン、シュワンツ選手を相手に「優勝か?転倒か?」という無謀ともいえるライディングで上位を激走。
「日本人の年間チャンピオンなんてマンガだけ」と思っていたのが(実はマンガの主人公と同じ56番のゼッケン)この選手なら実現するかも!と手に汗握る展開のレースにブラウン管の前で私は大声を上げて応援していました。
結果は惜しくも転倒。
バイクレースを見て涙が出てきたのは初めてでしたね。
カーボン製ディスクブレーキの甲高い音を響かせ上体をやや反らせた独自のスタイルでコーナーに入っていく姿が忘れられません。
バイクに関わらず「行ってきまーす」と出かけた人が、突然何の前触れも無く二度と会えなくなる・・・・事故って悲しいですね。
また、これは他人事ではなくいつでも自分や身の回りでおこりうる現実であると思い知らされます。
32才。若すぎる・・・・・残念です。
※ 写真は幼馴染のセミプロカメラマン「かわごん」が撮影。
引き伸ばしてくれたものをずっと壁に掛けています。
凍り付いてしまいました。
先日、岡山国際でのJSB1000で彼をまじかで観た
のが最後になってしまいました。
ホント若すぎますよね。
ご冥福をお祈り致します。
ノリックよりもオヤジの光雄選手のほうが
なじみが深いんだけど、この出来事はショックでしたね。(男の子を持つ親として)
同じバイク乗りとしてやはり考えさせられます。
事故時は時間的にも暗くなっていたんで相手車の
発見が遅れたんじゃないかと思います。
今日もバイクに乗ったけどより一層安全に気をつけ
ないといけないと感じました。
そういえば、つい先日皆さんで岡山国際サーキットに行かれたのでしたね。
私は実際にノリックに会ったことは無いのですが、あの当時、僕らの夢を背負い走ってくれた彼にとても親近感がありました。
銀バルさん
コツコツと努力や経験を重ねてたくましくなる人間の「強さ」と、どんなに拒絶してもいとも簡単に奪われてしまう命の「脆さ」を目の当たりにしたような気分です。
大袈裟ですが、こどもが生まれてからバイクで出かける時には「絶対生きて帰る!」と心で叫んでから出かけるクセがつきました。
(恥ずかしくて誰にも言ってないけど・・・)