2020:6:9 (火)快晴
昨年の秋の紅葉時期以来の宝満山へでした、いつもは、竈門神社近くの駐車場から 神社に参拝して基本どうりに登山するのが普通ですが、今日は事情有って取り付き林道の最終地点まで車で上がります、そこが今回のスタート地点となりました。
取り付き登山口の案内板からスタート。
宝満山特有の石段、これからほぼ山頂までこれが続きます
直ぐに 一の鳥居、時期なればしゃくなげが綺麗だろか、まだその時期にはみたことありません
羊腸の道標柱
巨岩を支えている柱、一部 腐食が進み? 大丈夫かな?と要らぬ心配も!
救急箱設置場所で一息いれます、汗もしたたる ”いい男” でもあるまいが毎回ここ宝満山の石段は厳しい~ね
朽ち果てている木段
少し展望あるところで一服。市街地がよく見通せる
大きな石碑と共に。
さあ、名に不足はない宝満山登山の超名物 百段ガンギ、えっちら、えっちら~一歩ずつまた一歩と重たい足を引きずるように上へ上へと。
ここらが一番踏ん張りどころですね
ようやく 休憩ベンチのある小広場に着いた。西谷院の標柱有り。水場も有るようだが・飲めるような水場ではない。(7合目)
しばらくまた急登の石段を登れば 中宮です。一息付けますね。涼風もあってしのぎやすい木陰もある
葉っぱ
暫くすると、小さな小窓のような展望ポイント有り、ヤマツツジが満開
木の花 多分 ネジキの花か? 気分変えてさあ行こう!
さあ気合いれて もう少し頑張ろう!
益影の井
馬蹄岩
袖すり岩まで来れば 山頂は近い
さあ、最後の急階段です。
悪戦苦闘しながらもやっと宝満山山頂へとうちゃこ~。見事な青空の申し分ない天気だかその代わり猛烈に暑い!!
立派な山頂標識
少し目線を移動すれば、まるで 造花?かと見間違えるような、巨岩の割れ目に きれいなヤマツツジが咲いている、一片で疲れも癒される見事な光景に感激
山頂で暫くの休憩とランチタイム、平日ですが次々と登山者が上がってきます、大都会 福岡市街地の山ですね。
さあ、休憩も終わってそろそろ下山しましょうか。
巨岩の下山道
チェーン場を慎重に降りて行けば 見事な 一本のヤマツツジ、こぼれんばかりの花が今が盛りと満開時期を迎えていた
ナルコユリ
帰路は キャンプセンターを経由して下山終了
今は登山者で賑わうキャンプ場周辺は その昔、戦国時代の筑前・宝満城跡でもある。大宰府側にある岩屋城址は宝満城の支城とされる。敵軍を迎え撃つ武士たちの胸中を想うにつき壮絶な戦いが有ったのでしょ、今は平和な良き時代である。
宝満山城(829m/670m) 歴史
築城年代は定かではないが天文年間(1532年~1555年)に高橋鑑種によって築かれたと云われる。 高橋鑑種は豊後の大友氏の庶流一萬田氏より筑前国高橋氏の家督を継いだ武将で、筑前国守護代として宝満山城と岩屋城の城督を務めた。
天正14年(1586年)薩摩の島津氏が北上してくると、岩屋城には高橋紹運、宝満山城には紹運の次男で筑紫広門の娘婿である高橋統増が筑紫氏の家臣とともに籠城した。 岩屋城では壮絶な戦いの末に、高橋紹運以下籠城兵数百がことごとく討死した。その後、宝満山城も島津氏の降伏勧告により開城となった。
興味ある方は 詳しくは こちらからどうぞ
http://www.hb.pei.jp/shiro/chikuzen/homanzan-jyo/
そんなこんなで 宝満山名物の石段を上り下り、もう十分とため息つくほどの厳しい登山路ですが これがまた ある意味では宝満山の魅力であることも間違いない山なのでしょうね。
昨年の秋の紅葉時期以来の宝満山へでした、いつもは、竈門神社近くの駐車場から 神社に参拝して基本どうりに登山するのが普通ですが、今日は事情有って取り付き林道の最終地点まで車で上がります、そこが今回のスタート地点となりました。
取り付き登山口の案内板からスタート。
宝満山特有の石段、これからほぼ山頂までこれが続きます
直ぐに 一の鳥居、時期なればしゃくなげが綺麗だろか、まだその時期にはみたことありません
羊腸の道標柱
巨岩を支えている柱、一部 腐食が進み? 大丈夫かな?と要らぬ心配も!
救急箱設置場所で一息いれます、汗もしたたる ”いい男” でもあるまいが毎回ここ宝満山の石段は厳しい~ね
朽ち果てている木段
少し展望あるところで一服。市街地がよく見通せる
大きな石碑と共に。
さあ、名に不足はない宝満山登山の超名物 百段ガンギ、えっちら、えっちら~一歩ずつまた一歩と重たい足を引きずるように上へ上へと。
ここらが一番踏ん張りどころですね
ようやく 休憩ベンチのある小広場に着いた。西谷院の標柱有り。水場も有るようだが・飲めるような水場ではない。(7合目)
しばらくまた急登の石段を登れば 中宮です。一息付けますね。涼風もあってしのぎやすい木陰もある
葉っぱ
暫くすると、小さな小窓のような展望ポイント有り、ヤマツツジが満開
木の花 多分 ネジキの花か? 気分変えてさあ行こう!
さあ気合いれて もう少し頑張ろう!
益影の井
馬蹄岩
袖すり岩まで来れば 山頂は近い
さあ、最後の急階段です。
悪戦苦闘しながらもやっと宝満山山頂へとうちゃこ~。見事な青空の申し分ない天気だかその代わり猛烈に暑い!!
立派な山頂標識
少し目線を移動すれば、まるで 造花?かと見間違えるような、巨岩の割れ目に きれいなヤマツツジが咲いている、一片で疲れも癒される見事な光景に感激
山頂で暫くの休憩とランチタイム、平日ですが次々と登山者が上がってきます、大都会 福岡市街地の山ですね。
さあ、休憩も終わってそろそろ下山しましょうか。
巨岩の下山道
チェーン場を慎重に降りて行けば 見事な 一本のヤマツツジ、こぼれんばかりの花が今が盛りと満開時期を迎えていた
ナルコユリ
帰路は キャンプセンターを経由して下山終了
今は登山者で賑わうキャンプ場周辺は その昔、戦国時代の筑前・宝満城跡でもある。大宰府側にある岩屋城址は宝満城の支城とされる。敵軍を迎え撃つ武士たちの胸中を想うにつき壮絶な戦いが有ったのでしょ、今は平和な良き時代である。
宝満山城(829m/670m) 歴史
築城年代は定かではないが天文年間(1532年~1555年)に高橋鑑種によって築かれたと云われる。 高橋鑑種は豊後の大友氏の庶流一萬田氏より筑前国高橋氏の家督を継いだ武将で、筑前国守護代として宝満山城と岩屋城の城督を務めた。
天正14年(1586年)薩摩の島津氏が北上してくると、岩屋城には高橋紹運、宝満山城には紹運の次男で筑紫広門の娘婿である高橋統増が筑紫氏の家臣とともに籠城した。 岩屋城では壮絶な戦いの末に、高橋紹運以下籠城兵数百がことごとく討死した。その後、宝満山城も島津氏の降伏勧告により開城となった。
興味ある方は 詳しくは こちらからどうぞ
http://www.hb.pei.jp/shiro/chikuzen/homanzan-jyo/
そんなこんなで 宝満山名物の石段を上り下り、もう十分とため息つくほどの厳しい登山路ですが これがまた ある意味では宝満山の魅力であることも間違いない山なのでしょうね。