2020:1;18 (終日 小雨&氷雨模様)4名
この山系はそれこそ数々の歴代、歴史が凝縮されたようなところで、しかもまた 今回の天皇の”お代替わり”による元号のゆかりの神社など昨今話題スポットの近くの山歩きです。そのため、その人気スポットの駐車混雑を考慮して少し早めの現地集合となった。
まずは 大宰府政庁跡駐車場から集合出発です。これから我々が向かう四王寺山脈の全容
出発時間の駐車場付近は 心配された天気も嘘のように晴れ渡り ??といい方向に天気も味方してくれればなどなどと思いながらも、出発したまではいいが・・・後述は事前・予報どうりのそぼ降る小雨模様へとなっていくのでした
政庁跡駐車場付近から
空を見上げると福岡空港も比較的近いとあって、上空は飛行ルートとなっているようで、騒々しいばかりの旅客機発着の騒音、この時点まではこんなにピーカンの天気だった
広大な大宰府政庁跡広場を通れば 早咲きの紅梅が初春の雰囲気を醸し出しております
広場を縫うようにして進めば岩屋城址への取り付き登山口へ来ました
やや本格的な登山道に導かれて
この付近から小雨も降り始めて 傘や雨具など各々対応します
雨で滑りやすい登山道を徐々に高度を上げて行けば この地を支配していた 戦国武将・高橋紹運の墓所に着いた。戦国時代に薩摩、島津藩の大軍との壮絶な攻防にて高橋紹運率いる軍勢は悲運の城主ととに落城した。高橋紹運は後の柳川藩主 立花宗茂の父親でもある。まだ若き戦国武将はこの地の墓所で臣下とともに眠っている。
一旦 県道大宰府線を横切り 高橋紹運の居城だった 岩屋城址へと導かれる。今は城址公園&展望所となっています。
岩屋城址展望所
一息いれれば また登山道に復帰して上部へと。馬攻め分岐を直進します
大野城・増長天付近、多くの遺構、発掘調査が行われている
往時から枯れることないとされる鏡池。当時は飲み水、生活用水に使っていたのでしょうか
またまた県道を横切って 焼米ヶ原の広い台地に到着。小雨&氷雨模様も一向に止む気配無い空模様です。いい天気ならのんびりと休憩の一つも出来るのですがこの天気では・・・ 先に進もう。
程なく大原山(355m)に到達。全然小雨も止む気配もないが ここまで来たのでもう少し先まで行って見ようかと・・
小石垣を通過
そして濡れ落ち葉に気を使いながら下って行き、またまた県道宇美町線を横断、途中の 鮎帰りの小滝を見ながら先へ。
県道を横断すれば 今度は眼前に ”百間石垣”の直下にでてきた。
資料
http://shioujikenminnomori.org/history/
百間石垣の名称は内野川の部分を石塁とし、それに続く山腹部を石垣とした城壁で、長さが180mほどであることから名付けられたものです。
平均4mくらいの高さが残っており、外壁面の角度は75度前後の急斜面となっています
これから急登を暫く進む。この間雨も降ってか カメラ撮影なし
途中 森の音楽堂のベンチ借りてお昼タイム 不思議とお昼タイムのときに雨が止んでラッキーでしたが、又すぐに雨は本降りと急変してきた
再度登山道に復帰して 大城山(410m) 本日の最高点と 毘沙門天に参拝。雨も強くなってきたので 早々にその後は下山路へ
結構長いアプローチの下山路 落葉重なってしかも雨に濡れて超すべりやすい 要注意しながらようやく 駐車場も見えてきた
下山は途中、今や<令和>・時代の ゆかりの話題スポットに立ち寄り 深々と参拝します。
3~4年前までは 閑散とした静かな坂本八幡宮は時ならぬ 参拝の人気スポットとなって参拝者は引きも切らないように押し寄せているとか。そのため参拝者用に急造こしらえの お札所、御朱印所と商魂たくましくお旅所やテント施設が設置され 多くの参拝者の受け入れに対応していた。
余りにも押し寄せる参拝者に付近一帯は新しく駐車場の確保や マイクロバスでの参拝者などで、すっかり様変わりしていて驚くばかりでした。
そんなこんなで 終日そぼ降る小雨、またこの時期ならの冷たい氷雨で身体は冷え切った一日では有りましたが、四王寺山脈の山々巡りは古代&戦国時代への歴史の一端に触れることができる充実した山脈歩きでした。
歩数計を確認すれば ほぼ 23000歩 それにしても良く歩きました。
興味のある方は こちらからどうぞ。
https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/d-map/kaisetu06.html
この山系はそれこそ数々の歴代、歴史が凝縮されたようなところで、しかもまた 今回の天皇の”お代替わり”による元号のゆかりの神社など昨今話題スポットの近くの山歩きです。そのため、その人気スポットの駐車混雑を考慮して少し早めの現地集合となった。
まずは 大宰府政庁跡駐車場から集合出発です。これから我々が向かう四王寺山脈の全容
出発時間の駐車場付近は 心配された天気も嘘のように晴れ渡り ??といい方向に天気も味方してくれればなどなどと思いながらも、出発したまではいいが・・・後述は事前・予報どうりのそぼ降る小雨模様へとなっていくのでした
政庁跡駐車場付近から
空を見上げると福岡空港も比較的近いとあって、上空は飛行ルートとなっているようで、騒々しいばかりの旅客機発着の騒音、この時点まではこんなにピーカンの天気だった
広大な大宰府政庁跡広場を通れば 早咲きの紅梅が初春の雰囲気を醸し出しております
広場を縫うようにして進めば岩屋城址への取り付き登山口へ来ました
やや本格的な登山道に導かれて
この付近から小雨も降り始めて 傘や雨具など各々対応します
雨で滑りやすい登山道を徐々に高度を上げて行けば この地を支配していた 戦国武将・高橋紹運の墓所に着いた。戦国時代に薩摩、島津藩の大軍との壮絶な攻防にて高橋紹運率いる軍勢は悲運の城主ととに落城した。高橋紹運は後の柳川藩主 立花宗茂の父親でもある。まだ若き戦国武将はこの地の墓所で臣下とともに眠っている。
一旦 県道大宰府線を横切り 高橋紹運の居城だった 岩屋城址へと導かれる。今は城址公園&展望所となっています。
岩屋城址展望所
一息いれれば また登山道に復帰して上部へと。馬攻め分岐を直進します
大野城・増長天付近、多くの遺構、発掘調査が行われている
往時から枯れることないとされる鏡池。当時は飲み水、生活用水に使っていたのでしょうか
またまた県道を横切って 焼米ヶ原の広い台地に到着。小雨&氷雨模様も一向に止む気配無い空模様です。いい天気ならのんびりと休憩の一つも出来るのですがこの天気では・・・ 先に進もう。
程なく大原山(355m)に到達。全然小雨も止む気配もないが ここまで来たのでもう少し先まで行って見ようかと・・
小石垣を通過
そして濡れ落ち葉に気を使いながら下って行き、またまた県道宇美町線を横断、途中の 鮎帰りの小滝を見ながら先へ。
県道を横断すれば 今度は眼前に ”百間石垣”の直下にでてきた。
資料
http://shioujikenminnomori.org/history/
百間石垣の名称は内野川の部分を石塁とし、それに続く山腹部を石垣とした城壁で、長さが180mほどであることから名付けられたものです。
平均4mくらいの高さが残っており、外壁面の角度は75度前後の急斜面となっています
これから急登を暫く進む。この間雨も降ってか カメラ撮影なし
途中 森の音楽堂のベンチ借りてお昼タイム 不思議とお昼タイムのときに雨が止んでラッキーでしたが、又すぐに雨は本降りと急変してきた
再度登山道に復帰して 大城山(410m) 本日の最高点と 毘沙門天に参拝。雨も強くなってきたので 早々にその後は下山路へ
結構長いアプローチの下山路 落葉重なってしかも雨に濡れて超すべりやすい 要注意しながらようやく 駐車場も見えてきた
下山は途中、今や<令和>・時代の ゆかりの話題スポットに立ち寄り 深々と参拝します。
3~4年前までは 閑散とした静かな坂本八幡宮は時ならぬ 参拝の人気スポットとなって参拝者は引きも切らないように押し寄せているとか。そのため参拝者用に急造こしらえの お札所、御朱印所と商魂たくましくお旅所やテント施設が設置され 多くの参拝者の受け入れに対応していた。
余りにも押し寄せる参拝者に付近一帯は新しく駐車場の確保や マイクロバスでの参拝者などで、すっかり様変わりしていて驚くばかりでした。
そんなこんなで 終日そぼ降る小雨、またこの時期ならの冷たい氷雨で身体は冷え切った一日では有りましたが、四王寺山脈の山々巡りは古代&戦国時代への歴史の一端に触れることができる充実した山脈歩きでした。
歩数計を確認すれば ほぼ 23000歩 それにしても良く歩きました。
興味のある方は こちらからどうぞ。
https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/d-map/kaisetu06.html